湖西の里山から2011・伊香立 【緑の大地、美しい山のまち(15)】 融川ではホタルが見られるそうです #shiga #otsu

源氏ボタル観賞会(南庄融川ホタル保存会)の張り紙

神社の蔵の前に達筆で書いてあったのは、「源氏ボタル観賞会(南庄融川ホタル保存会)」の張り紙でした(写真)。

融神社は、「源氏物語」の光源氏のモデルになった源融(みなもとのとおる)公を祀っている神社です。隣にはその名も「融川」という小さな川があって、参道の脇には川へ下りていく階段も整備されていました。

撮影地は、堅田の西に位置する「伊香立」(滋賀県大津市)。京都・大原と境を接する、美しい里山の町です。伊香立南庄に荘園をもっていたのが、平安時代の源融(みなもとのとおる)公。嵯峨天皇の第八皇子で左大臣、「源氏物語」の光源氏のモデルになった人物です。

この夏は源氏物語の世界に思いをはせながらホタルを観賞するのもいいかもしれません。
Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan.


堅田周辺の町/Towns around Katata 093 伊香立南庄町(滋賀県大津市)の写真 融神社14
「湖西の里山から2011・伊香立 【緑の大地、美しい山のまち(15)】 融川ではホタルが見られるそうです」

■撮影地:融神社(滋賀県大津市伊香立南庄町1846) ■撮影日:2011.06.06 15:15
■アクセス:JR堅田駅から江若バス・堅田葛川線「南庄」下車、徒歩15分

Photograph of Ikadachiminamisyotyo,Otsu,Shiga,Japan  2011.06.06 15:15
“Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan 10”


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湖西の里山から2011・伊香立 【緑の大地、美しい山のまち(14)】 特に男性にご利益のある、旧暦の5月5日の特別な風景(光源氏のモデル・源融公を祀った『融神社』にて) #shiga #otsu

融神社拝殿とショウブとヨモギと石灯籠

源融(みなもとのとおる)公は、嵯峨天皇の第八皇子で左大臣、「源氏物語」の光源氏のモデルになった人物です。
融公を祀る融神社では、旧暦の5月5日(男子の節句)に、境内いたるところにショウブとヨモギをお供えします。特に男性の皆さんにはご利益のある、特別な日の風景なのです。

最初に出迎えてくれて、そして最後に見送ってくれたのが、写真の石灯籠。鳥居と拝殿(写真)を結ぶ参道の傍らにあるので、より一層パワーがあるかもしれません^^

 

ところで、小倉百人一首(14番目)に出てくる「河原左大臣」とは、源融公のことです。
どんな歌を詠んだのかといいますと・・・

『みちのくの しのぶもじずり たれゆれに みだれそめにし われならなくに』
河原左大臣

歌意
「みちのくの信夫(しのぶ)の里のすり衣(ごろも)といえば、乱れ模様が目に浮かびます。
その、しのぶもずりの乱れ模様のように私の心は揺れています。恋いしのび、心が乱れるようになってしまいましたが、あなた以外の誰かを思ってそうなるような私ではありません。私の心が乱れたのは、他ならぬあなたのせいなのですよ。」

※歌意は、「百人一首を読もう」(http://blog.livedoor.jp/rosarywind/?p=3 )より引用させていただきました。素晴らしいサイトをありがとうございます。

心乱れたと言いながら逆に人の心を揺らす歌を詠む男性・・・付き合うには賢い女性でないと大変な気がしました・・・

 

※撮影地は、堅田の西に位置する「伊香立」(滋賀県大津市)。京都・大原と境を接する、美しい里山の町です。伊香立は古来から京都と若狭を結ぶ重要な場所であり、歴史ある社寺が点在する地域です。伊香立南庄に荘園をもっていたのが、平安時代の源融(みなもとのとおる)公でした。

由緒によると、融神社の創建は天慶8年(945-6年)で、最初に社殿が造営されたのが寛和2年(986年)、そして現在の社殿は寛政9年(1791年)の再造営となっています。

Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan.


堅田周辺の町/Towns around Katata 092 伊香立南庄町(滋賀県大津市)の写真 融神社13
「湖西の里山から2011・伊香立 【緑の大地、美しい山のまち(14)】 特に男性にご利益のある、旧暦の5月5日の特別な風景(光源氏のモデル・源融公を祀った『融神社』にて)」

■撮影地:融神社(滋賀県大津市伊香立南庄町1846) ■撮影日:2011.06.06 15:14
■アクセス:JR堅田駅から江若バス・堅田葛川線「南庄」下車、徒歩15分

Photograph of Ikadachiminamisyotyo,Otsu,Shiga,Japan  2011.06.06 15:14
“Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan 9”


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湖西の里山から2011・伊香立 【緑の大地、美しい山のまち(13)】 宮の子育地蔵(光源氏のモデル・源融公を祀った『融神社』にて) #shiga #otsu

宮の子育地蔵

旧暦の5月5日、融神社では境内いたるところに「ショウブとヨモギ」をお供えします、とご紹介してきました。境内にある「宮の子育地蔵」の前にも、ショウブとヨモギが・・・(写真)。

子どもの健やかな成長を願う気持ちは、いつの世も変わらないのですね。

 

※撮影地は、堅田の西に位置する「伊香立」(滋賀県大津市)。京都・大原と境を接する、美しい里山の町です。古来から京都と若狭を結ぶ重要な場所であり、歴史ある社寺が点在する地域です。

ここ伊香立南庄町に荘園をもっていたのが、平安時代の源融(みなもとのとおる)公。
嵯峨天皇の第八皇子で左大臣、「源氏物語」の光源氏のモデルになった人物です。

由緒によると、融神社の創建は天慶8年(945-6年)で、最初に社殿が造営されたのが寛和2年(986年)、そして現在の社殿は寛政9年(1791年)の再造営となっています。

Miya no kosodate jizo at Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan.


堅田周辺の町/Towns around Katata 091 伊香立南庄町(滋賀県大津市)の写真 融神社12
「湖西の里山から2011・伊香立 【緑の大地、美しい山のまち(13)】
宮の子育地蔵(光源氏のモデル・源融公を祀った『融神社』にて)」

■撮影地:融神社(滋賀県大津市伊香立南庄町1846) ■撮影日:2011.06.06 15:29:41■アクセス:JR堅田駅から江若バス・堅田葛川線「南庄」下車、徒歩15分

Photograph of Ikadachiminamisyotyo,Otsu,Shiga,Japan  2011.06.06 15:29:41
“Miya no kosodate jizo at Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan”


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湖西の里山から2011・伊香立 【緑の大地、美しい山のまち(12)】 光源氏のモデル・源融公を祀った『融神社』にて #shiga #otsu

光源氏のモデル・源融公を祀った『融神社』にて

南庄(現・伊香立南庄町)、谷口(現・真野谷口町)、家田(現・真野家田)三村の産土の神さまである、融神社。ヒノキの深い緑が、神社独特の雰囲気を醸し出していました(写真)。

正面が拝殿(寛政9年(1791年)造営)、拝殿の奥にちらっと見えているのが本殿(寛政9年(1791年)造営)です。本殿はふたつあって、左側が源融(みなもとのとおる)公を、右側が大原全子(融公のお母さん)を祀っています。ちなみに、融神社に祀られているもうひとりの神様は、「大山昨(おおやまずみ)の神」。山の神さまなのです。

 

※撮影地は、堅田の西に位置する「伊香立」(滋賀県大津市)。京都・大原と境を接する、美しい里山の町です。古来から京都と若狭を結ぶ重要な場所であり、歴史ある社寺が点在する地域です。

ここ伊香立南庄町に荘園をもっていたのが、平安時代の源融(みなもとのとおる)公。嵯峨天皇の第八皇子で左大臣、「源氏物語」の光源氏のモデルになった人物です。由緒によると、融神社の創建は天慶8年(945-6年)で、最初に社殿が造営されたのが寛和2年(986年)、そして現在の社殿は寛政9年(1791年)の再造営となっています。

Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan.


堅田周辺の町/Towns around Katata 090 伊香立南庄町(滋賀県大津市)の写真 融神社11
「湖西の里山から2011・伊香立 【緑の大地、美しい山のまち(12)】 光源氏のモデル・源融公を祀った『融神社』にて」

■撮影地:融神社(滋賀県大津市伊香立南庄町1846) ■撮影日:2011.06.19 16:15
■アクセス:JR堅田駅から江若バス・堅田葛川線「南庄」下車、徒歩15分

Photograph of Ikadachiminamisyotyo,Otsu,Shiga,Japan  2011.06.19 16:15
“Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan 8”


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湖西の里山から2011・伊香立 【緑の大地、美しい山のまち(11)】 広角レンズで撮った境内(光源氏のモデル・源融公を祀った『融神社』にて) #shiga #otsu

広角レンズで撮った境内

融神社本殿の前から見た境内です。寛政9年(1791年)に造られた拝殿と、ヒノキの社寺林が見事ですね。

 

※撮影地は、堅田の西に位置する「伊香立」。京都・大原と境を接する、美しい里山の町です。古来から京都と若狭を結ぶ重要な場所であり、歴史ある社寺が点在する地域です。
ここ伊香立南庄町に荘園をもっていたのが、平安時代の源融(みなもとのとおる)公。
嵯峨天皇の第八皇子で左大臣、「源氏物語」の光源氏のモデルになった人物です。

由緒によると、融神社の創建は天慶8年(945-6年)で、最初に社殿が造営されたのが寛和2年(986年)、そして現在の社殿は寛政9年(1791年)の再造営となっています。

 

※しばらくご紹介してきた融神社ですが、次回からは帰り道から見た風景をお届けします。(といっても、融神社がもう少し・・・続きます。)

Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan.


堅田周辺の町/Towns around Katata 089 伊香立南庄町(滋賀県大津市)の写真 融神社10
「湖西の里山から2011・伊香立【緑の大地、美しい山のまち(11)】  広角レンズで撮った境内(光源氏のモデル・源融公を祀った『融神社』にて)」

■撮影地:融神社(滋賀県大津市伊香立南庄町1846) ■撮影日:2011.06.06 15:18:52■アクセス:JR堅田駅から江若バス・堅田葛川線「南庄」下車、徒歩15分

Photograph of Ikadachiminamisyotyo,Otsu,Shiga,Japan  2011.06.06 15:18:52
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湖西の里山から2011・伊香立 【緑の大地、美しい山のまち(10)】 寛政9年(1791年)に作られた本殿(光源氏のモデル・源融公を祀った『融神社』にて) #shiga #otsu

寛政9年(1791年)に作られた本殿

普通は正面から撮るのでしょうが、横顔に見とれてしまったので、側面(横)から撮ってみました。人もそうですが、その良さや本質、すごさが伝わるのは、横顔だったりしますね。

案内によると、「一間流造り」という造りの本殿だそうです(写真)。
ここに祀られているのが、平安時代の源融(みなもとのとおる)公。
嵯峨天皇の第八皇子で左大臣、「源氏物語」の光源氏のモデルになった人物です。
ちなみに、宇治の平等院は融公の別荘(!)でした。

 

撮影地は、堅田の西に位置する「伊香立」。京都・大原と境を接する、美しい里山の町です。ここ伊香立南庄に荘園をもっていたのが、融公でした。

由緒によると、現在の社地は融公が閑居されたときの旧跡で、後世のために鏡を埋めたといいます。天慶8年(945-6年)にその鏡を掘り出して神璽とし、祠を建ててお祀りしたのが創建になります。寛和2年(986年)、花山法皇の近江巡行の折に、最初の社殿が造営されました。

永延2年(988年)、一条天皇の時代に南庄は神領となりましたが、鎌倉時代以降は衰え、廃絶となりました。融神社は、南庄(現・伊香立南庄町)、谷口(現・真野谷口町)、家田(現・真野家田)三村の産土の神となりました。

こうして土地の神様となった融神社ですが、比叡山から10数キロしか離れていない場所にあります。元亀2年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちの際には、融神社も社殿その他が焼亡しました。当時の神職だった山本若狭は、神璽(融公由来の神鏡)を持って、山間に避難したといいます。

天正7年(1579年)になって社殿は再興され、後世は、武士の所領となりました。その後、寛政8年(1790年)に火災にあい、現在の社殿は寛政9年(1791年)の再造営となっています。

Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan.


堅田周辺の町/Towns around Katata 088 伊香立南庄町(滋賀県大津市)の写真 融神社9
「湖西の里山から2011・伊香立 【緑の大地、美しい山のまち(10)】   寛政9年(1791年)に作られた本殿(光源氏のモデル・源融公を祀った『融神社』にて)」

■撮影地:融神社(滋賀県大津市伊香立南庄町1846) ■撮影日:2011.06.06 15:18
■アクセス:JR堅田駅から江若バス・堅田葛川線「南庄」下車、徒歩15分

Photograph of Ikadachiminamisyotyo,Otsu,Shiga,Japan  2011.06.06 15:18
“Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan 6”


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湖西の里山から2011・伊香立 【緑の大地、美しい山のまち(9)】 石仏の前も、末社の屋根にも、「ショウブとヨモギ」のお供え(光源氏のモデル・源融公を祀った『融神社』にて) #shiga #otsu

石仏の前も、末社の屋根も、「ショウブとヨモギ」のお供え

旧暦の5月5日、融神社では境内いたるところに「ショウブとヨモギ」をお供えします。
石仏の前も、末社の屋根も、御覧のとおり。屋根への挟み方が独特ですね。

※撮影地は、堅田の西に位置する「伊香立」。京都・大原と境を接する、美しい里山の町です。古来から京都と若狭を結ぶ重要な場所であり、歴史ある社寺が点在する地域です。

ここ伊香立南庄町に荘園をもっていたのが、平安時代の源融(みなもとのとおる)公。
嵯峨天皇の第八皇子で左大臣、「源氏物語」の光源氏のモデルになった人物です。

Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan.


堅田周辺の町/Towns around Katata 087 伊香立南庄町(滋賀県大津市)の写真 融神社8
「湖西の里山から2011・伊香立 【緑の大地、美しい山のまち(9)】
石仏の前も、末社の屋根にも、「ショウブとヨモギ」のお供え(光源氏のモデル・源融公を祀った『融神社』にて)」

■撮影地:融神社(滋賀県大津市伊香立南庄町1846) ■撮影日:2011.06.06 15:17
■アクセス:JR堅田駅から江若バス・堅田葛川線「南庄」下車、徒歩15分

Photograph of Ikadachiminamisyotyo,Otsu,Shiga,Japan  2011.06.06 15:17
“Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan 5”


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湖西の里山から2011・伊香立 【緑の大地、美しい山のまち(8)】 寛政9年に作られた拝殿と、赤い花(光源氏のモデル・源融公を祀った『融神社』にて) #shiga #otsu

寛政9年に作られた拝殿と、赤い花(シャクナゲ)

寛政9年(1791年)=遠山の金さんが4才で、葛飾北斎は37才だった時代に作られた拝殿です。苔むした屋根に、境内の緑。赤い花が彩りを添えて、日本ならではの美しさを感じました。

案内によると、融神社の拝殿は「三間四方十二柱欄間造り」という造りだそうです。
前回は近くからご紹介しましたが、今回は少し離れた場所から撮影しています。

撮影地は、堅田の西に位置する「伊香立」。京都・大原と境を接する、美しい里山の町です。古来から京都と若狭を結ぶ重要な場所であり、歴史ある社寺が点在する地域です。

ここ伊香立南庄町に荘園をもっていたのが、平安時代の源融(みなもとのとおる)公。
嵯峨天皇の第八皇子で左大臣、「源氏物語」の光源氏のモデルになった人物です。

由緒によると、融神社の創建は天慶8年(945-6年)で、最初に社殿が造営されたのが寛和2年(986年)、そして現在の社殿は寛政9年(1791年)の再造営となっています。

※写真の赤い花は石楠花(シャクナゲ)で、花の咲く時期(6月初め)に撮影したものです。少し季節がずれてしまいましたが、お楽しみいただければ幸いです。

Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan.


堅田周辺の町/Towns around Katata 086 伊香立南庄町(滋賀県大津市)の写真 融神社7
「湖西の里山から2011・伊香立【緑の大地、美しい山のまち(8)】 寛政9年に作られた拝殿と、赤い花(シャクナゲ)(光源氏のモデル・源融公を祀った『融神社』にて)」

■撮影地:融神社(滋賀県大津市伊香立南庄町1846) ■撮影日:2011.06.06 15:32
■アクセス:JR堅田駅から江若バス・堅田葛川線「南庄」下車、徒歩15分

Photograph of Ikadachiminamisyotyo,Otsu,Shiga,Japan  2011.06.06 15:32
“Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan 4”


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湖西の里山から2011・伊香立 【緑の大地、美しい山のまち(7)】 寛政9年に作られた拝殿(光源氏のモデル・源融公を祀った『融神社』にて) #shiga #otsu

寛政9年に作られた拝殿

堅田の西、真野・仰木の奥に位置するのが、「伊香立」。京都・大原と境を接する、美しい里山の町です。真野、伊香立は古来から京都と若狭を結ぶ重要な場所であり、歴史ある社寺が点在する地域です。

ここ伊香立南庄町に荘園をもっていたのが、平安時代の源融(みなもとのとおる)公。嵯峨天皇の第八皇子で左大臣、「源氏物語」の光源氏のモデルになった人物です。

前々回、鳥居越しに見えていたのが、融神社の拝殿(写真)でした。かなり古いことがお分かりいただけると思いますが、寛政9年(1791年)のものだそうです。

由緒によると、融神社の創建は天慶8年(945-6年)で、最初に社殿が造営されたのが寛和2年(986年)、そして現在の社殿は寛政9年(1791年)・・・ということで、寛政9年がどんな年か調べてみました。

寛政9年(1791年)は、湯島聖堂を昌平坂学問所と改称した年だそうです。
歌川広重が生まれ、遠山金四郎は4才、式亭三馬は21才、間宮 林蔵は22才、十返舎 一九は32才、葛飾北斎は37才、松平定信は39才、喜多川歌麿は44才、伊能忠敬は52才、杉田 玄白は64才・・・
(出典:http://www.weblio.jp/content/%E5%AF%9B%E6%94%BF9%E5%B9%B4

歴史上の人物や融神社が、ものすごく身近な存在に感じました。
その時代からこの拝殿があって、それ以前の時代からこの神社がある。すごいことですね。
融神社を守り続けている南庄の方々に、心から敬意を表します。

Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan.


堅田周辺の町/Towns around Katata 085 伊香立南庄町(滋賀県大津市)の写真 融神社6
「湖西の里山から2011・伊香立 【緑の大地、美しい山のまち(7)】
寛政9年に作られた拝殿(光源氏のモデル・源融公を祀った『融神社』にて)」

■撮影地:融神社(滋賀県大津市伊香立南庄町1846) ■撮影日:2011.06.06 15:17
■アクセス:JR堅田駅から江若バス・堅田葛川線「南庄」下車、徒歩15分

Photograph of Ikadachiminamisyotyo,Otsu,Shiga,Japan  2011.06.06 15:17
“Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan 3”


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湖西の里山から2011・伊香立 【緑の大地、美しい山のまち(6)】 融神社の狛犬と、神社の由緒(光源氏のモデル・源融公を祀った『融神社』にて) #shiga #otsu

融神社の狛犬 (左側で口を閉じている狛犬=吽形)

なかなか男前の狛犬ですね。旧暦の5月5日、融神社では境内いたるところにショウブとヨモギをお供えします。幽玄な雰囲気が一層引き立つ境内でした。

融神社の狛犬 (右側で口を開けている狛犬=阿形)

源融(みなもとのとおる)公は、ここ伊香立南庄に荘園をもち、嵯峨の清涼寺、宇治の平等院が別荘だった(!)といいます。

そして、小倉百人一首(14番目)『みちのくの しのぶもじずり たれゆれに みだれそめにし われならなくに』 の詠み人でもありました。

嵯峨天皇の第八皇子で左大臣、「源氏物語」の光源氏のモデルになった人物です。

源融公と融神社の由緒については、下記(写真)を御覧下さい。

融神社由緒

※撮影地は堅田の奥にある町、伊香立(滋賀県大津市)。京都・大原と境を接する、美しい里山の町です。今月はじめは、引き続き「伊香立」から、初夏の涼しい風景をお届けします。

Komainu statue pairs at Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan.The left side of komainu statue pairs is generally called “ungyō”. Ungyō closes the mouth.The right side of komainu statue pairs is generally called “agyō”. Agyō opens the mouth.


堅田周辺の町/Towns around Katata 082-084 伊香立南庄町(滋賀県大津市)の写真 融神社3-5
「湖西の里山から2011・伊香立 【緑の大地、美しい山のまち(6)】
融神社の狛犬 (左側で口を閉じている狛犬=吽形(うんぎょう))/(右側で口を開けている狛犬=阿形(あぎょう))/融神社由緒(看板より)」

■撮影地:融神社(滋賀県大津市伊香立南庄町1846) ■撮影日:2011.06.06 15:16:52/15:16:04/15:08■アクセス:JR堅田駅から江若バス・堅田葛川線「南庄」下車、徒歩15分

1:Photograph of Ikadachiminamisyotyo,Otsu,Shiga,Japan  2011.06.06 15:16:52
“An ungyō komainu at Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan ”
2:Photograph of Ikadachiminamisyotyo,Otsu,Shiga,Japan  2011.06.06 15:16:04
“An agyō komainu at Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan ”
3:Photograph of Ikadachiminamisyotyo,Otsu,Shiga,Japan  2011.06.06 15:08
“About Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan ”


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