教林坊の紅葉(滋賀県近江八幡市安土町石寺)

教林坊
安土の繖山(きぬがさやま)の麓に、聖徳太子によって605年に創建された寺がある。教林坊という天台宗の寺で、白洲正子さんの著作には「石の寺」「石寺」として登場する。

麓の石寺という部落は、世捨人のような風情のある村で、かつては観音正寺の末寺が三十以上もあり、繁栄を極めたというが、現在は教林坊というささやかな寺が一つ残っているだけである。(白洲正子『かくれ里』

続きを読む →

奈良・柳生街道(滝坂の道)から春日山、若草山を歩く(2)―首切地蔵と春日山石窟仏

柳生街道(滝坂の道)
春日山原始林の中を続く柳生街道(滝坂の道)。江戸時代中期に奈良奉行によって敷かれたという石畳の道が、往時の面影を残しています。柳生は、剣豪で知られる柳生十兵衛の故郷で、大和国添上郡柳生郷(現在の奈良市柳生町)です。

江戸時代には、奈良から柳生の里まで、この道を剣士たちが往来しました。そして「昭和のはじめまで、柳生から奈良方面へ米や薪炭を牛馬の背につけて下り、日用品を積んで帰っていくのに使われ」ました(道中の案内板より)。

さほど高低差は感じなかった道でしたが、静かな山中をどこまでも続く道を、汗をかきながら登っていくと、つくづく思うのは「昔の人は健脚ですよね…」
Photograph of the old Yagyu Road,Nara,Japan.

首切地蔵
首切地蔵。柳生十兵衛の弟子・荒木又右衛門が試し切りをしたと伝わる傷が残る地蔵。鎌倉時代の作と言われます。首切地蔵の向かいには休憩所とトイレがあり、ここで春日山遊歩道と合流します。飛火野バス停からここまで、撮影しながら歩いて約1時間でした。
Photograph of Kubikiri Jizo(the old Yagyu Road,Nara,Japan).

見上げた空と春日山原始林
見上げた空と春日山原始林。春日大社の神山なので、原始の林が残っています。
Photograph of Kasugayama Primeval Forest (the old Yagyu Road,Nara,Japan).

首切地蔵の少し先で、柳生街道は再び春日山遊歩道と分かれます。ところが、付近を「奈良奥山ドライブウェイ」(若草山山頂へ行く自動車道。ハイカーも通行可能)が通っていまして、春日山遊歩道から奥山ドライブウェイへきちんと出ないと、柳生街道から出られなくなってしまうことに気がつく筆者…(山の中だし…実際に出るまで不安になるものです)。分岐点が少し分かりにくかったので、地図にしてみました。

春日山石窟仏の上り口道標
こちらが、春日山石窟仏の上り口です。奈良方面から来た場合、ここが柳生街道から春日山遊歩道に出る最後の地点になります。

春日山石窟仏
春日山石窟仏。保護のためフェンスに囲まれていました。(ちなみにここから右へ少し行くと、春日山遊歩道に下りることができ、奈良奥山ドライブウェイに合流します。)

春日山石窟仏
春日山石窟仏(国史跡)。覗き込んだとき、思わず息を飲む荘厳さでした。

案内板によれば、東大寺大仏殿を建てるために石材を掘り取った跡に、18体の石仏が彫られたそうです。作者は不明ですが、正面左側の洞窟(写真)には久寿二年(1155年)の銘があり、平安時代の作と考えられています。

あまり訪ねる人もいないようで、隠れた名所だと思います。実際は春日山遊歩道からも柳生街道からもすぐのところにありますので、周辺を歩く方はぜひ訪ねてみてください。
Photograph of Kasugayama Caves Buddha (the old Yagyu Road,Nara,Japan).

春日山石窟仏

1人体制なので今回はここで春日山へ戻りましたが、柳生街道は峠茶屋を経て、円成寺、柳生へと続いています。奈良から柳生へは山中の道標で確か18km程度あったと思うのですが、今度はせめて円成寺(奈良市忍辱山町)まで撮影しながら歩いてみたいと思っています。

(そうなると連れがいないと厳しいかな・・・ちなみにアシスタントさんがいてくれるといいという本当の意味は、荷物持ちをさせる云々ではなく、こういうときに相棒がいてくれるという強みのことじゃないのかなと思う、今日この頃です。)

次回は、春日山から若草山までの道中を掲載予定です。(撮影日:10月8日)
Copyright(c)Jun Kanematsu/junphotoworks.com(兼松純写真事務所)

ただいま奈良の秋を撮影中(1)―法起寺三重塔とコスモス畑

法起寺への道中で出会った石仏
ただいま古都・奈良の秋を撮影中です。
早朝にJRで滋賀から大阪へ出て、大和路快速でJR法隆寺駅へ。駅から歩くこと30分、一番に向かったのは法起寺でした。

この日は外を歩いていて、そろそろ風を冷たく感じる季節に入ったなと思いました。そういえば歩き回って撮影していると、寒い記憶か暑い記憶しかないんですよね。営業で外回りが多い方も同じかもしれません。バイクのライダーさんも言っていたけど、いい気候の季節ってそんなに長くないものです。そういう意味で今年の10月は天候に恵まれて助かりました!

法起寺三重塔とコスモス
写真は斑鳩町の法起寺にて、飛鳥時代の三重塔とコスモス畑です(10月25日撮影)。
Photograph of Ikaruga,Nara,Japan.Cosmos and Hokiji Temple.

ご覧のコスモスは地元の方のご好意で植えられているものですが、近年は畑に無断で入ったり、車で乗り付ける人もいるらしくて、注意書きの看板をいくつも見ました。看板に「通報します」とあると見たほうはぎょっとするけど、「通報します」と書く気持ちも最近は分かるような気がしています。

不特定多数の人と関わる場合、今まで経験したことの無い信じられないようなケースが出てくるから、当初のように気楽にいかなくなることがあって、そのときの経験や気持ちを外にうまく伝えるのはとても難しいものです。(たとえば突然の暴言に遭ったなど。筆者も経験していますので…)

マナー次第では、いつかここも柵を張ることになるのかもしれません。柵を張らずにこの風景を残してくれている岡本地区の皆さんに、改めて感謝の気持ちで一杯です。

奈良は若草山の山頂や春日山原始林(柳生街道)なども撮影してきていますので、このブログで今後ご紹介できればと思っています。今週から徐々に寒くなりそうですので、皆さまもご自愛ください。

滋賀の戦争遺跡1:米原の蒸気機関車避難壕、伊吹山測候所着氷観測所(滋賀県米原市)

1.はじめに

今年の夏(2015年8月)は終戦70周年にあたります。
この機会にご紹介したいと思っていたのが、滋賀の戦争遺跡です。

「戦争遺跡」と聞くと、何を想像されるでしょうか。
広島の原爆ドーム、沖縄のひめゆりの塔、各地に残る防空壕・・・。

実は滋賀県内には、全国的に貴重でありながらあまり知られていない戦争遺跡があります。米原駅からさほど離れていない岩脇山には、非常に珍しい「蒸気機関車避難壕」があります。東近江市の陸軍八日市飛行場跡周辺には、「掩体壕」(えんたいごう)と呼ばれる軍用機の避難壕が現存しています。幸いなことに、どちらも地元の方にご案内いただいて撮影する機会を得ました。

続きを読む →

近江路5(滋賀県野洲市:妙光寺山磨崖仏と福林寺跡磨崖仏)~近江山河抄の舞台を歩く(77)

日本一大きい銅鐸のレプリカ
滋賀県野洲(やす)市といえば、三上山(近江富士)と銅鐸で知られる町だ。
野洲の小篠原にある大岩山からは、明治14年に14個、昭和37年に10個の銅鐸が発見されている。日本一大きい銅鐸が見つかったのも野洲の大岩山で、この写真はそのレプリカを撮影したもの。
※野洲の銅鐸博物館(野洲市歴史民俗博物館)にて、許可を得て撮影しています。

続きを読む →

あかねさす 紫野4(滋賀の天然記念物「熊野のヒダリマキガヤ」、熊野神社と西明寺:滋賀県蒲生郡日野町)~近江山河抄の舞台を歩く(67)

白壁の家と山が美しい熊野の風景
三重県境に近い滋賀県日野町の一番奥に、熊野という地区がある。
その昔、鈴鹿山系の綿向山で修行した山伏が、熊野神社を祀ったと言われる場所だ。
日野の中心部から綿向山に向かい、音羽から蔵王を経て、平子からかなり狭い林道を走った。
県境に近い山中まで、1日がかりの撮影となった。

しばらく林の中を行くと、突然目の前が開け、谷をへだてた向う側に、白壁の美しい村が現われた。熊野である。わずか十軒ぐらいの小さな山村だが、静寂そのものの環境は、心の底まで浄められる思いがする。村の中には、老樹にかこまれた熊野神社が建ち、おきまりの神体山もそびえている。-白洲正子『近江山河抄』「あかねさす 紫野」

続きを読む →

あかねさす 紫野2(道の駅 竜王かがみの里周辺の隠れた名所をめぐる。老々塚古墳・東山道鏡宿・義経元服池・鏡神社・西光寺跡の宝篋印塔:滋賀県蒲生郡竜王町)~近江山河抄の舞台を歩く(65)

老々塚古墳
それはまるで石舞台古墳のような、見事な古墳だった。
住宅街のはずれにある児童公園に案内板を見つけて、山へと続く小道をたどってゆく。公園入口から1、2分しか歩いていないのに、山中に突如現れた老々塚古墳(三ッ山古墳群)。
鏡山周辺には古墳が多いと聞いていたが、この古墳には本当に驚いた。
石室というのは地中に埋まっていることが多いが、ここではほとんどが地表に現れている。

続きを読む →