雪の堅田内湖から、道の駅びわ湖大橋米プラザまで(今堅田を撮る1)

雪に覆われた今堅田

1月中旬、琵琶湖畔の今堅田にも雪が降りました。

いいお天気なので、本堅田の浮御堂の前から、今堅田まで歩いてみることにしました。
撮影で10年近く歩き回っている道です。


氷の張った堅田内湖

雪景色の今堅田と、雪の比良山系です。堅田内湖は一面に氷が張っています。


雪の堅田内湖

堅田内湖公園。小さな船着場の向こうに、わずかに琵琶湖大橋が見えています。
右手の民家の奥に、伊豆神田神社があるので行ってみます。


伊豆神田神社ご神木のムクノキ

伊豆神田神社ご神木のムクノキ。
地元の方が奉納された石碑には、樹齢約400年とありました。


伊豆神田神社本殿

伊豆神田神社本殿。
由緒に、貞観二年(860)に神田神社を勧請し、昌泰三年(900)に伊豆神社を合祀したとあります。

Imakatata/今堅田 041-043


伊豆神田神社

伊豆神田神社を後にします。


柿の木と、雪の畑と、カラフルな家

柿の木と、カラフルな家と、雪の畑。今堅田出島灯台バス停付近にて。


野上神社・匂当内侍御廟道の碑

琵琶湖大橋に向かって道なりに進むと、すぐに野上神社があります。

匂当内侍御廟道とあるのは、新田義貞の妻・匂当内侍(こうとうないし)を祀った神社だからです。

匂当内侍は今堅田の琵琶湖で亡くなったといわれています。


匂当内侍御廟道

野上神社。一番奥に匂当内侍のお墓があります。


匂当内侍の墓

南北朝時代、匂当内侍は後醍醐天皇の寵愛を受けて御所に仕えていた。 内侍は、ある月の夜、新田義貞と出会い、愛し合うようになる。

後醍醐天皇は2人の仲を許し、内侍は義貞の妻となった。しかし、足利尊氏の上洛によって義貞は越前に向かい、内侍を今堅田に残してゆく。

3年後の延元三年(1338)7月2日、義貞は越前国藤島で戦死。 義貞の死を伝え聞いた内侍は、悲しみのあまり琵琶湖に身を投げたという。

村人たちは内侍の死を哀れみ、塚を築き、明応六年(1497)には、塚の場所に野神神社を建立した。

内侍の命日にあたる10月8日・9日(旧暦9月9日)には、内侍の霊を弔う「野神祭り」が行われている。

※2017/10/6追記:現在は10月第三日曜日に、伊豆神田神社の氏子さんによって実施されています(10時から例大祭、夜8時から松明行列)。2017年は10/15(日)開催です。

Imakatata/今堅田 054-055


雪の畑と比良山系と今堅田

高架下をくぐると、左手に雪化粧した畑と町。比良山系が見事な姿を見せていました。


雪の畑と今堅田

畑の野菜も雪の下。向こうにヤマダ電機の建物が見えているので、地元の方はだいたいの場所がお分かりだと思います。


道の駅びわ湖大橋米プラザ

道の駅びわ湖大橋米プラザに到着しました!


琵琶湖畔の雪の風景と琵琶湖大橋

米プラザからは琵琶湖大橋がよく見えます。


琵琶湖畔の雪の風景

米プラザの前に広がっていた、琵琶湖畔の風景です。


琵琶湖と葦と停泊中の船

琵琶湖と、ヨシ(葦)と、停泊中の船。


琵琶湖畔の幻想的な風景

琵琶湖畔の幻想的な風景。沖島の背後に、雪の伊吹山がきれいに見えていました。

左から、湖岸のヨシ原と木々、沖島(写真ほぼ中央)、近江八幡市の伊崎山、御所山~奥島山(津田山)~長命寺山です。

この後、米プラザの横にある階段から琵琶湖大橋を歩いて渡って、守山の菜の花畑まで行ってみました(次回・次々回掲載)。

◇撮影日:2017年1月18日(水)
◇撮影地:滋賀県大津市今堅田1丁目・2丁目
Katata inner lake,Lake Biwa and Imakatata town(Otsu,Shiga,Japan).

Copyright(c)Jun Kanematsu/junphotoworks.com(兼松純写真事務所)

Imakatata/今堅田 056

野神神社鳥居

野神神社は、新田義貞の妻・匂当内侍(こうとうないし)の塚の場所に建立された神社。
Nogami shrine is a shrine built by the place of the mound of Kotonaishi who was Yoshisada Nitta’s wife.
Yoshisada Nitta was a famous samurai in the 14th century.

堅田の写真(滋賀県大津市今堅田) 今堅田 「野神神社鳥居」 2008.08.10 11:34
photograph of Katata,Otsu,Shiga,Japan Imakatata “Nogami shrine Torii”2008.08.10 11:34

Imakatata/今堅田 054-055

匂当内侍の墓石

新田義貞の妻・匂当内侍(こうとうないし)の墓が、今堅田にある。
The grave of Kotonaishi who was Yoshisada Nitta’s wife is in Imakatata.
Yoshisada Nitta was a famous samurai in the 14th century.

匂当内侍の墓の近くにある案内板

南北朝時代、匂当内侍は後醍醐天皇の寵愛を受けて御所に仕えていた。 内侍は、ある月の夜、新田義貞と出会い、愛し合うようになる。 しかし、足利尊氏の上洛によって義貞は越前に向かい、内侍を今堅田に残してゆく。 3年後の延元三年(1338)7月2日、義貞は越前国藤島で戦死。 義貞の死を伝え聞いた内侍は、悲しみのあまり琵琶湖に身を投げたという。 村人たちは内侍の死を哀れみ、塚を築き、明応六年(1497)には、塚の場所に野神神社を建立した。 内侍の命日にあたる10月8日・9日(旧暦9月9日)には、内侍の霊を弔う「野神祭り」が行われている。 (出典:湖族の郷資料館配布の「堅田ウォーキングマップ」、大津市教育委員会作成の案内板)

 

※2017/10/6追記:現在は10月第三日曜日に、伊豆神田神社の氏子さんによって実施されています(10時から例大祭、夜8時から松明行列)。2017年は10/15(日)開催です。Added 10/6/2017: It is currently being held on the third Sunday in October. Festival from 10 o’clock. A torch line from 20 o’clock.It is held on October 15 (Sunday) in 2017.(追記ここまで)

 

In the 14th century and Japan, it was called Nanbokutyou era. Kotonaishi who was loved by Emperor Godaigo and had served the royal palace met Yoshisada Nitta in the evening of a moonlight night, and it came to love each other. However, Yoshisada left her to Imakatata toward Echizen by Ashikaga Takauji was going up to Kyoto. Yoshisada was killed in war after the three years in Echizen country Fujishima on July 2 in Engen 3 or 1338. Kotonaishi who heard Yoshisada’s death from others was told to have thrown herself into Lake Biwa out of sadness. Villagers pitied her death, built the mound and built Nogomi shrine at the place of the mound in Meiou 6 or 1497. The “Nogami festival” which performs a memorial service is performed on October 8 and 9th (lunar-calendar September 9), which hits on her anniversary of death. (Source: The “Katata walking map” of Museum of Katata,Kozokunosato-siryoukan&The direction board which Otsu city’s board of education created)

堅田の写真(滋賀県大津市今堅田) 今堅田 「匂当内侍の墓1」 2008.08.10 11:33
堅田の写真(滋賀県大津市今堅田) 今堅田 「匂当内侍の墓2」 2008.08.10 11:32
photograph of Katata,Otsu,Shiga,Japan Imakatata “Grave of Kotonaishi”1 2008.08.10 11:33
photograph of Katata,Otsu,Shiga,Japan Imakatata “Grave of Kotonaishi”2 2008.08.10 11:32