竹生島をめぐる冒険(3) 謡曲「竹生島」と徳川家康の愛した「うさぎ」―波兎文様

夜の竹生島のイメージ

月明かりに照らされた琵琶湖。その湖面に白い波が立つさまは、何匹もの兎(うさぎ)が飛び跳ねているようだ・・・と、昔の人は考えたらしい。

波間を兎が飛び跳ねている図柄は、波兎文様(なみうさぎ もんよう)と呼ばれる。

波と兎の組み合わせは、謡曲『竹生島』(ちくぶしま)の一節「緑樹(りょくじゅ)影沈んで 魚木に上る気色あり 月海上に浮かんでは 兎も波を奔(かけ)るか 面白の島の景色や」に由来するとされている。

波兎文様は桃山時代から江戸時代初期にかけて流行した。徳川家康の孫である千姫の輿に使われたと言う話があるし、豊臣秀吉の七回忌法要を描いた「豊国祭礼図屏風」の中にも見られる。

江戸時代初期以降も、衣装・家紋・建築(欄間彫刻)・陶磁器・蒔絵などに広く見られ、愛されているデザインである。

ところで、どうして兎なのだろうか。波の上を走る兎の意味するものとは。

 

琵琶湖に向かって建つ都久生須麻神社鳥居

 

月と兎

謡曲『竹生島』の一節「月海上に浮かんでは 兎も波を走るか 面白の島の景色や」から生まれた波兎文様。
「月と兎」と言うと、何を連想されるだろうか。

日本人にとっては、月で餅つきをするうさぎ、あるいは因幡の白兎のイメージが強いかもしれない。

中国では、兎は月で(餅ではなく)不老不死の薬をつく動物とされてきた。もともと中国では月は水の精と考えられており(月の満ち欠けと潮汐の関係との事。参照:月兎)、兎は水の精を連想させる。

波兎文様の「波と兎」の組み合わせは「月と兎」と同じ意味を持ち、不老不死・慶兆の象徴として大衆にも広まっていったという(参照:波と兎)。

 

家康の羽織にも使われた波兎文様

この波兎文様を愛した戦国大名がいる。天下人、徳川家康である。

名古屋の徳川美術館には、徳川家康が着用した羽織の数々が残されており、その中に黄金色地白い兎と白い波模様の羽織(辻ヶ花染)がある。

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竹生島をめぐる冒険(2) 徳川家康、秀吉の威光を琵琶湖の島に封じ込める―豊国廟唐門の移築

伊吹山から見た竹生島と琵琶湖

ちょうど今、NHKの大河ドラマ『真田丸』で大坂冬の陣の直前を放送しているが、大坂冬の陣が起きたのは慶長19年 (1614) の冬である。

同じ年の7月には、大坂の陣のきっかけとなった方広寺鐘銘事件が起きている。

豊臣秀吉の死後、家康が豊臣家の財力をなんとか削ごうとして、秀吉の供養と称して秀頼に寺社仏閣への寄進を勧めたのは有名な話だ。秀頼は京都の神社に数々の寄進を行ったので、京の町衆に人気があったという。

実は方広寺鐘銘事件の約10年前、慶長7年~8年(1602-1603)に、秀頼は秀吉の霊廟(豊国廟)の門を琵琶湖に浮かぶ竹生島に寄進している。この門は極楽門(唐門)と呼ばれ、もとは大坂城極楽橋の門だった。現在は国宝に指定されている。

豊国廟は当時、京都の東山にあった。秀頼はなぜ、湖上の島に父親の霊廟の門を移築しなければならなかったのか。

 

竹生島

豊国廟極楽門(唐門)が竹生島に移築された1603年は、江戸幕府が開かれた年である。竹生島へは秀頼が寄進したとされるが、資料を見る限り、実質的に家康が決めた話のようである。

豊国廟の僧侶だった神龍院梵舜の日記『舜旧記』の中に、慶長7年(1602年)6月11日、「今日ヨリ豊国極楽門、内府(注:内大臣=末期豊臣政権の五大老だった家康)ヨリ竹生嶋へ依寄進、壊始」と出てくるのだ。

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茅の輪くぐり(夏越の大祓)と都久夫須麻神社(竹生島神社)

茅の輪くぐり

季節柄、茅の輪くぐりのニュースを目にするので写真を掲載してみました。

先日、琵琶湖の竹生島へ撮影に行ったとき、都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)で目にした茅の輪です。都久夫須麻神社は竹生島神社(ちくぶじまじんじゃ)と呼ばれることが増えてきているようですね。

茅の輪くぐりと竹生島神社

茅の輪くぐりは厄払いと無病息災を願って行われるもので、神道の「夏越の大祓」(なごしのおおはらい)と呼ばれる神事の一環です。6月30日でちょうど一年の半分を終えることと、梅雨が終わって夏が始まることから、この時期に厄を払い、残り半年をつつがなく過ごせるようにという、暮らしの知恵ですね。

ところで、都久夫須麻神社と聞いて、堅田の方ならピンとこられるかもしれませんね。琵琶湖のほとり、堅田の湖岸にも都久夫須麻神社があって、竜神様を祀っています。「竹生島龍神」と刻まれた石(ご神体)があり、本殿の祭神は竹生島同様「弁財天」なのです。こういう話は残しておきたいと思い、このブログに記録しています。

■JR湖西線・堅田駅⇔浮御堂周辺散歩■56 ~Honkatata/本堅田 068-069

 

琵琶湖畔の秘境、有漏神社と阿曽津千軒。堅田との意外な関係と登山道について

琵琶湖の北端に、有漏神社(うろう じんじゃ)という神社があります。
その由緒になんと・・・堅田の地名があって驚きました!
中世のころ、堅田の漁業権が湖北まで及んでいたという史実を裏付けるものでした。

往昔湖上舟楫(ふねかじ)の神として鎮座され、遠く江南堅田方面の漁民のこの地に出漁することも多くその舟楫守護の神として崇敬したと伝える。-有漏神社(滋賀県神社庁)

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滋賀の桜(10) 余呉湖の桜(滋賀県長浜市)

雪山と菜の花と、線路と川
雪山と菜の花と、線路と川。どこか懐かしい、湖北(滋賀県北部)の春の風景です。

春は、今まで眠っていたかのように見えた自然のエネルギーが、いきいきと目覚めるような季節。桜やいろんな花が一気に咲くのを見ていると、私もエネルギーをいっぱいもらいました。

おかげさまで、今回で1400件目の記事となりました。
滋賀の美しい風景をご紹介したくて、琵琶湖畔の堅田という町から始まったブログです。ご訪問いただいている皆さまに、春のいぶきが届きますように!

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伊吹の荒ぶる神12(渡岸寺観音堂(向源寺)、石道寺、菅山寺、そして湖北の仏様たち)~近江山河抄の舞台を歩く(76)

向源寺境内
滋賀県長浜市高月町渡岸寺(どうがんじ)には、向源寺(こうげんじ)という寺がある。
場所はJR高月駅から歩いて10分位のところで、境内には渡岸寺観音堂がある。
ここでは、日本に七体あるという国宝十一面観音像の一体を、予約なしに見ることができる。収蔵庫の慈雲閣ができたのは1974年なので、白洲正子さんの訪問はその前後だったのだろう。

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伊吹の荒ぶる神11(北国脇往還4:小谷郡上から雨森を経て北国街道木之本へ)~近江山河抄の舞台を歩く(75)

ソバ畑
朝の光の中、ソバ畑の向こうに、街道沿いの集落(小谷美濃山)が見えていた。

北国脇往還を3回に分けて歩く最終日は、長浜市の小谷郡上から木之本までの約11km。河毛駅から小谷郡上に出て、道なりに進み、小谷美濃山から小谷丁野(おだにようの)へ入る。

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伊吹の荒ぶる神10(北国脇往還3:長浜市八島から、伊部宿を経て、小谷郡上まで)~近江山河抄の舞台を歩く(74)

秋葉神社の参道と北国脇往還
北国脇往還は、岐阜の関ケ原から滋賀の木之本へ抜ける脇街道で、伊吹山南麓を通る。中山道・北国街道間の近道で、秀吉の大返しや江戸時代の参勤交代に使われた歴史ある道だ。

この北国脇往還を3回に分けて歩いたのは、今年9月のことだった。
9月も中旬を過ぎると気温30度を切るが、この日は風の強い日だった事を覚えている。

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伊吹の荒ぶる神9(北国脇往還2:米原市春照から小田分水、姉川越え、峠を歩いて長浜市野村町まで)~近江山河抄の舞台を歩く(73)

春照の町並み
滋賀県米原市春照(すいじょう)は、伊吹山麓、北国脇往還と長浜道の分岐点に位置する。

脇往還の近くには伊吹の薬草風呂に入れる施設があり、街道沿いの町並みも美しい。今回は近江長岡駅から伊吹山登山口行きバスに乗り、伊吹庁舎前で下りて歩くことにした。

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滋賀と京都の紅葉(2014年11月撮影)【洛北】大原から古知谷阿弥陀寺、蓮華寺、赤山禅院 【滋賀】湖東三山、永源寺、石山寺、三井寺、日吉大社、西教寺、鶏足寺、石道寺、湖南三山、不動寺、太郎坊宮、教林坊

蓮花寺庭園の紅葉

11月後半はいかがお過ごしでしたか?
私は連日、紅葉の撮影で、京滋のお寺を中心に回っていました。
ひたすら早起きして、移動、撮影、移動の毎日でした。

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