本堅田、琵琶湖畔の静かなお正月の風景

浮御堂北湖岸2017年元旦

前回は1月1日に撮影した今堅田の風景を掲載しましたが、本堅田もちゃんと撮影してきましたよー!というわけで、引き続き、お正月の本堅田を一挙掲載します。

ちなみに当ブログは12月27日に開設9周年となり、記念として、4回連続で、年末の本堅田をご紹介しました。

今回はそのときご紹介できなかった場所と、新年ならではの本堅田の風景を掲載します。まずは、浮御堂北湖岸の穏やかな新春の風景からどうぞ。

浮御堂北湖岸で琵琶湖を眺める家族

浮御堂北湖岸から堅田港方面

湖岸沿いに遊歩道が続いていて、浮御堂北湖岸から十六夜公園・堅田港まで歩くことができます。

冬場はユリカモメの天国で、湖上に白く浮かんでいる大群がユリカモメです。

十六夜公園周辺は、こちらでご紹介していますので、あわせてどうぞ↓

琵琶湖畔の本堅田にて、年末の風景2(十六夜公園から浮御堂周辺)

堅田港と漁船と水上派出所

十六夜公園の対岸が堅田港です。漁師さんの漁船などが停泊しています。左の大きな建物は、大津北警察署堅田水上派出所です。

堅田港と琵琶湖と三上山

堅田港。こちらには臨時の観光船などが停泊します。対岸に三上山(近江富士)が見えていますね。対岸に三上山が見えるのは、堅田ならではの風景です。


居初邸近くの地蔵堂

堅田に多いのが、お地蔵さんと地蔵堂です。

かつてこの辺りは琵琶湖でした。堅田内湖と琵琶湖にはさまれた本堅田と今堅田の地域では、かつての水辺のなごり(守護神)として、地蔵堂が残っていると考えられています。

琵琶湖に続く路地

堅田港周辺は路地の多い場所です。琵琶湖に続く路地が至るところで見られます。


お正月の伊豆神社

お正月の伊豆神社。ご近所の方がたくさん初詣に来ておられました。

琵琶湖畔の本堅田にて、年末の風景3(おとせの浜~伊豆神社の幸福の石~本福寺)

伊豆神社から光徳寺へ続く路地

伊豆神社から本福寺、光徳寺へ続く路地です。本福寺は年末にご紹介したので、今回は光徳寺の方向へ行ってみますね。

光徳寺2017年元旦

光徳寺。殉教者・堅田源兵衛の首で知られるお寺です。

前回今堅田のところで書きましたが、浄土真宗中興の祖である蓮如は、比叡山延暦寺から迫害を受け、堅田に滞在した時期があります。堅田は町を挙げて延暦寺と戦って負け(堅田大責)、蓮如は越前に向かうことになりました。

実はそのとき宗祖である親鸞の木像を三井寺に預けたのですが、後年三井寺から人の首を二つ差し出すなら返そうと言われます。堅田の漁師源兵衛は、蓮如を助けるために自分の首を父親に討たせます。

源兵衛の父親は息子の首を三井寺に持って行き、自分の首もはねてくれと言い、三井寺は親鸞の木像を返したという話が残っています。

浮御堂周辺5・堅田源兵衛の首(光徳寺) ~Honkatata/本堅田 164

驚くべきことに、堅田源兵衛の伝承は、実は大津市内のほかのお寺にもありまして・・・小関町の等正寺、三井寺町の両願寺です。

『滋賀県の歴史散歩』(山川出版社)を見ると等正寺だけ載っていて、「同じ人間の首がなぜ3つもあるのかは謎である(両願寺は現在非公開) 」とのこと。

私は源兵衛さんの故郷である光徳寺だといいな、救われるのに、と思っていますが、どちらにしろ悲しいお話ですよね。

実は2011年の3月に、光徳寺のご住職から源兵衛さんの首を見せていただいたことがあります。どくろ、それも小さな部類に入ると思われる、愛らしいものでした。

逢坂越7(小関越と堅田源兵衛の伝承)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(13)

 

祥瑞寺の門2017年元旦-1

前回、松尾芭蕉の句碑があるとご紹介した祥瑞寺です。新年の装いをご紹介します。

祥瑞寺本堂2017年元旦-2


堅田漁港の芭蕉句碑

こちらが前回ご紹介できなかった、堅田漁港の芭蕉句碑です。
入り口のすぐ右側に句碑があります。

「海士の屋は小海老にまじるいとど哉」(芭蕉)

堅田漁港と船

堅田漁港と漁協会館。↓こちらでも三上山が見えていますね。

堅田漁港と漁協会館


福聚院の庭砂

堅田漁港の前にある福聚院(福聚禅院)。お庭が見事です。

福聚院2017年元旦

↓堅田漁港周辺は、堅田内湖の風景がおすすめです。

琵琶湖畔の本堅田にて、年末の風景1(堅田内湖周辺と堅田漁港)


↓映画ロケ地となった自転車屋さんのほか、神田神社、堅田教会などを掲載。

琵琶湖畔の本堅田にて、年末の風景4(湖族の郷資料館~神田神社~商店街~堅田教会)

撮影日:2017年1月1日
撮影地:滋賀県大津市本堅田2丁目、本堅田1丁目
Lake Biwa and Honkatata town(Otsu,Shiga,Japan).

Copyright(c)Jun Kanematsu/junphotoworks.com(兼松純写真事務所)

 

逢坂越7(小関越と堅田源兵衛の伝承)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(13)

桜の名所、長等公園
桜の名所、長等公園。春はハイカーや家族連れがたくさん訪れる。小関越道標にも近い。(2013年4月4日撮影)

北国街道(西近江路)から分かれて藤尾で東海道に合流する約5kmの道が、小関越である。かつては東海道の間道として利用されてきた。芭蕉が初めて大津に入ったときの道でもある。

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浮御堂周辺5・堅田源兵衛の首(光徳寺) ~Honkatata/本堅田 164

堅田源兵衛父子殉教之像と、蓮如上人像、岡本一平文学碑

前回、蓮如が越前吉崎へと逃れた話を書きました。そのとき蓮如は、三井寺(滋賀県大津市)に親鸞の御真影(ごしんねい・親鸞の木像のこと)を預けていったのです。文明十二年(1480)、三井寺に赴いたところ、人の生首を二つ並べるなら返そうと言われ、蓮如は困り果てました。
ここ堅田の光徳寺の門徒であった漁師の源兵衛は、蓮如を助けるため、自分たち親子の首を差し出すことを決意。自分の首を父親に打たせます。父親はその首を三井寺に持っていき、親鸞の御真影を取り戻しました。

堅田源兵衛父子殉教之像と、蓮如上人像。岡本一平氏の『琵琶湖めぐり』の文学碑が並んでいます。24才で亡くなった源兵衛の墓と頭蓋骨は、ここ堅田の光徳寺にあります。


Last time, I wrote the talk which Rennyo escaped to Echizen Yoshizaki. He deposited Shinran’s wooden statue in Miidera temple(Otsu City, Shiga Prefecture) then. Shinran was the founder of the Jōdo Shinshū sect of Buddhism,which was their cult.When he went to Mii-dera for bunmei 12 (1480), it was said that it would return the statue if two heads just severed of people were put in order, and he was completely at a loss.Genbei of the fisherman , who was an adherent of here Koutoku-ji temple in katata,decided to hold out his own head and his father’s head in order to help Rennyo. He made his head strike to his father.His father brought his son’s head to Mii-dera, and regained Shinran’s wooden statue.This photograph is the statue of martyrdom of Katata Genbei ,and the statue of Rennyo.The literary monument of Mr. Ippei Okamoto’s “tour around Lake Biwa” is located in a line.The grave and skull of Genbei which passed away at the age of 24 are in here Koutoku-ji temple in Katata .


堅田の写真(滋賀県大津市本堅田) 本堅田 光徳寺4 「堅田源兵衛の首」  2008.05.21 11:17
photograph of Katata,Otsu,Shiga,Japan  Honkatata  Koutoku-ji temple”Katata Genbei’s Head”  2008.05.21 11:17

■JR湖西線・堅田駅⇔浮御堂周辺散歩■20~alley/路地 014

堅田源兵衛の首の看板

堅田源兵衛の首について(その後)

事の子細を聞いた蓮如は、「源兵衛こそが浄土真宗再興の基である」と涙を流した。取り戻された御真影(ごしんねい・親鸞の木像のこと)は、山科(京都市山科)の坊舎に安置され、文明十五年(1483)8月、山科本願寺が落成した。

父親の源右衛門は息子を弔うため諸国巡礼の旅に出て、備後(広島県)の福山にて90才で亡くなった。24才で亡くなった源兵衛の墓と頭蓋骨は、堅田の光徳寺にある。

堅田の写真(滋賀県大津市本堅田) 路地 「本堅田・其角亭跡のある路地4」
an alley,Kikakutei,near Koutokiji (Katata,Shiga prefecture,Japan)  2008.03.02 12:27


今月お送りしているのは、JR湖西線と堅田駅、および滋賀県大津市本堅田1丁目の古い路地を写した、 2008年春の記録です。

■JR湖西線・堅田駅⇔浮御堂周辺散歩■19~Honkatata/本堅田 049

光徳寺の本堂。桜が咲いている。

堅田源兵衛の首について(後編)

堅田の光徳寺の門徒に、漁師の源兵衛という若者がいた。三井寺の出した難題を聞いた源兵衛は、自分たち親子の首を差し出すことを決心した。源兵衛は、父親の源右衛門に、父に先立つのは不幸の極みだが、早く自分の首を打って、御真影(ごしんねい・親鸞の木像のこと)を取り戻してくれと頼んだ。源右衛門は泣く泣く息子の首を打ち、三井寺に赴いて、自分の首もはねてくれと言った。三井寺は源兵衛の殉教心に感じ入り、直ちに御真影と源兵衛の首を返した。(その後は次回)

堅田の写真(滋賀県大津市本堅田) 本堅田 光徳寺1 「光徳寺本堂」
Koutoku-ji temple(Katata,Shiga prefecture,Japan)  2008.04.06 11:12


今月お送りしているのは、JR湖西線と堅田駅、および滋賀県大津市本堅田1丁目の古い路地を写した、 2008年春の記録です。

■JR湖西線・堅田駅⇔浮御堂周辺散歩■18~alley/路地 013

其角亭跡のある路地

堅田源兵衛の首について(前編)

文明三年(1471)、堅田から越前吉崎へと逃れた際、蓮如は、三井寺(滋賀県大津市)に親鸞の御真影(ごしんねい)を預けていった。御真影とは、浄土真宗の開祖である親鸞の木像のことをいう。文明十二年(1480)、御真影を返してもらおうと三井寺に赴いたところ、人の生首を二つ並べるなら返そうと言われ、蓮如は困り果てた。(次回に続く)

堅田の写真(滋賀県大津市本堅田) 路地 「本堅田・其角亭跡のある路地3」 an alley,Kikakutei(Katata,Shiga prefecture,Japan)  2008.03.02 12:27


今月お送りしているのは、JR湖西線と堅田駅、および滋賀県大津市本堅田1丁目の古い路地を写した、 2008年春の記録です。