本堅田、琵琶湖畔の静かなお正月の風景

浮御堂北湖岸2017年元旦

前回は1月1日に撮影した今堅田の風景を掲載しましたが、本堅田もちゃんと撮影してきましたよー!というわけで、引き続き、お正月の本堅田を一挙掲載します。

ちなみに当ブログは12月27日に開設9周年となり、記念として、4回連続で、年末の本堅田をご紹介しました。

今回はそのときご紹介できなかった場所と、新年ならではの本堅田の風景を掲載します。まずは、浮御堂北湖岸の穏やかな新春の風景からどうぞ。

浮御堂北湖岸で琵琶湖を眺める家族

浮御堂北湖岸から堅田港方面

湖岸沿いに遊歩道が続いていて、浮御堂北湖岸から十六夜公園・堅田港まで歩くことができます。

冬場はユリカモメの天国で、湖上に白く浮かんでいる大群がユリカモメです。

十六夜公園周辺は、こちらでご紹介していますので、あわせてどうぞ↓

琵琶湖畔の本堅田にて、年末の風景2(十六夜公園から浮御堂周辺)

堅田港と漁船と水上派出所

十六夜公園の対岸が堅田港です。漁師さんの漁船などが停泊しています。左の大きな建物は、大津北警察署堅田水上派出所です。

堅田港と琵琶湖と三上山

堅田港。こちらには臨時の観光船などが停泊します。対岸に三上山(近江富士)が見えていますね。対岸に三上山が見えるのは、堅田ならではの風景です。


居初邸近くの地蔵堂

堅田に多いのが、お地蔵さんと地蔵堂です。

かつてこの辺りは琵琶湖でした。堅田内湖と琵琶湖にはさまれた本堅田と今堅田の地域では、かつての水辺のなごり(守護神)として、地蔵堂が残っていると考えられています。

琵琶湖に続く路地

堅田港周辺は路地の多い場所です。琵琶湖に続く路地が至るところで見られます。


お正月の伊豆神社

お正月の伊豆神社。ご近所の方がたくさん初詣に来ておられました。

琵琶湖畔の本堅田にて、年末の風景3(おとせの浜~伊豆神社の幸福の石~本福寺)

伊豆神社から光徳寺へ続く路地

伊豆神社から本福寺、光徳寺へ続く路地です。本福寺は年末にご紹介したので、今回は光徳寺の方向へ行ってみますね。

光徳寺2017年元旦

光徳寺。殉教者・堅田源兵衛の首で知られるお寺です。

前回今堅田のところで書きましたが、浄土真宗中興の祖である蓮如は、比叡山延暦寺から迫害を受け、堅田に滞在した時期があります。堅田は町を挙げて延暦寺と戦って負け(堅田大責)、蓮如は越前に向かうことになりました。

実はそのとき宗祖である親鸞の木像を三井寺に預けたのですが、後年三井寺から人の首を二つ差し出すなら返そうと言われます。堅田の漁師源兵衛は、蓮如を助けるために自分の首を父親に討たせます。

源兵衛の父親は息子の首を三井寺に持って行き、自分の首もはねてくれと言い、三井寺は親鸞の木像を返したという話が残っています。

浮御堂周辺5・堅田源兵衛の首(光徳寺) ~Honkatata/本堅田 164

驚くべきことに、堅田源兵衛の伝承は、実は大津市内のほかのお寺にもありまして・・・小関町の等正寺、三井寺町の両願寺です。

『滋賀県の歴史散歩』(山川出版社)を見ると等正寺だけ載っていて、「同じ人間の首がなぜ3つもあるのかは謎である(両願寺は現在非公開) 」とのこと。

私は源兵衛さんの故郷である光徳寺だといいな、救われるのに、と思っていますが、どちらにしろ悲しいお話ですよね。

実は2011年の3月に、光徳寺のご住職から源兵衛さんの首を見せていただいたことがあります。どくろ、それも小さな部類に入ると思われる、愛らしいものでした。

逢坂越7(小関越と堅田源兵衛の伝承)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(13)

 

祥瑞寺の門2017年元旦-1

前回、松尾芭蕉の句碑があるとご紹介した祥瑞寺です。新年の装いをご紹介します。

祥瑞寺本堂2017年元旦-2


堅田漁港の芭蕉句碑

こちらが前回ご紹介できなかった、堅田漁港の芭蕉句碑です。
入り口のすぐ右側に句碑があります。

「海士の屋は小海老にまじるいとど哉」(芭蕉)

堅田漁港と船

堅田漁港と漁協会館。↓こちらでも三上山が見えていますね。

堅田漁港と漁協会館


福聚院の庭砂

堅田漁港の前にある福聚院(福聚禅院)。お庭が見事です。

福聚院2017年元旦

↓堅田漁港周辺は、堅田内湖の風景がおすすめです。

琵琶湖畔の本堅田にて、年末の風景1(堅田内湖周辺と堅田漁港)


↓映画ロケ地となった自転車屋さんのほか、神田神社、堅田教会などを掲載。

琵琶湖畔の本堅田にて、年末の風景4(湖族の郷資料館~神田神社~商店街~堅田教会)

撮影日:2017年1月1日
撮影地:滋賀県大津市本堅田2丁目、本堅田1丁目
Lake Biwa and Honkatata town(Otsu,Shiga,Japan).

Copyright(c)Jun Kanematsu/junphotoworks.com(兼松純写真事務所)

 

滋賀堅田の桜、一挙大公開!(後編・おとせの浜から真野川まで)

4月12日(火)に、堅田駅周辺の桜を訪ね歩いてきました。前編では、堅田駅から駅西口(山の手)→衣川台→天神川→仰木道から浮御堂周辺への道中を掲載しました。

後編にあたる今回は、浮御堂周辺→居初邸の前から堅田内湖→伊豆神田神社→今堅田の琵琶湖岸→米プラザ前→真野川下流と歩きました。帰りは真野川周辺から駅までバスに乗ろうかと思いつつ、結局駅まで歩きました。

この10年に撮影しながら覚えた道を、ほぼ全部歩いた感じです。

堅田なぎさ苑前から見たおとせの浜の桜

堅田なぎさ苑前から見たおとせの浜(本堅田1丁目)。ヨシ原の向こうに桜が見え、釣りをする人をよく見かける場所です。


堅田なぎさ苑前の桜

堅田なぎさ苑前(本堅田1丁目)。琵琶湖の入り江に面した公共施設(公民館)です。琵琶湖のそばというのが、いかにも堅田らしい風景です。

5月14日には、なぎさ苑は供御人行列の準備会場になります。供御人行列は葵祭の前儀で、堅田から京都の下鴨神社へ鮒と鮒寿司を届ける神事です。なぎさ苑の前で桜を見ると、もうすぐ供御人行列だなあと思う筆者です。そうか、あと一ヶ月なんですね。


伊豆神社参道の桜

伊豆神社参道(本堅田1丁目)。江戸時代から残る掘割に、桜の花びらが散って桜色に染まっていました。道は浮御堂北湖岸へ続いています。ちなみに右折すると浮御堂の前に出ますよ。

↓2009年撮影の写真はこちらに掲載しています。

浮御堂の隣・伊豆神社から(2) 蔵通り、桜咲く ~Honkatata/本堅田 252

↓伊豆神社境内の桜はこちらに掲載しています(2015年撮影)。

滋賀の桜(7) 伊豆神社の桜と、幸福の石(滋賀県大津市本堅田)

↓こちらも境内の桜です(2008年撮影)。

桜 ~Honkatata/本堅田 038


光徳寺から祥瑞寺へ続く路地と、祥瑞寺の桜

光徳寺から祥瑞寺へ続く路地(本堅田1丁目)。一番奥は祥瑞寺の境内で、桜が咲いています。左折すると腰切り地蔵(北向地蔵)と本福寺保育園があります。


十六夜公園の枝垂桜

十六夜公園の枝垂桜(本堅田1丁目)。琵琶湖畔の公園で、浮御堂がよく見えます。公園の名は、堅田を訪れた松尾芭蕉の紀行文『堅田十六夜の弁』から採られました。


都久生須麻神社と枝垂桜

都久生須麻神社と枝垂桜(本堅田1丁目)。堅田では遅めに咲く桜で、隣の敷地にある医院の方が植えられた桜です。神社に続く鉄階段が新しくなっていました。

堅田、桜と花と緑(11)・路地と琵琶湖と桜と ~Honkatata/本堅田184、Honkatata/本堅田046(2)


堅田港近くの一本桜と民家と舟

堅田港近くの一本桜(本堅田2丁目)。桜の全容は↓こちらです。

琵琶湖の畔、堅田港の桜 ~Honkatata/本堅田 380


堅田内湖と舟と桜

堅田内湖(本堅田2丁目)。この場所を桜の咲く季節に撮ったのは初めてでした。

↓ちなみに5月末にはこんな感じになります。

琵琶湖のほとりの風景写真「Katata/堅田」|琵琶湖のラグーン(潟湖)、堅田内湖。水に浮かんでいるような町、舟と緑と花と。 ~Honkatata/本堅田 467-471 #shiga #otsu #photo


琵琶湖大橋の見える公園と桜

琵琶湖大橋の見える公園(今堅田1丁目)。今堅田版のおとせの浜と言ったらいいでしょうか。湖岸では、冬場に刈られたヨシが生えてきていました。茶色の球状のもの、丈の長い茶色の草がヨシです。


堅田内湖公園と桜

堅田内湖公園(今堅田1丁目)。公民館の隣で水門と一緒に撮りました。奥で桜が咲いています。


道の駅米プラザと桜

道の駅米プラザ(今堅田3丁目)。かつてこのあたりにあったイーゴス108(観覧車)がないので、ここに来るまでの道中、寂しくなりました。あるはずのものがないので落ち着かない感じといったらいいでしょうか。堅田在住ではないため、このあたりに来ることは少なく、イーゴスのない風景に慣れるまでもう少しかかりそうです。


真野川の桜

真野川下流(真野5丁目~今堅田3丁目)。桜の名所です!

写真ブログ「Katata/堅田」更新しました|真野川の桜 ~Imakatata/今堅田 132 #shiga #otsu #photo

堅田の桜の写真(2) 真野川 

堅田、桜と花と緑(10)・真野川の桜 ~Imakatata/今堅田 010(2)


今回は掲載していませんが、堅田駅西口の再開発が進んでいて新しい道路ができていました。一部はすでに歩けるようになっていたので、真野の中村八幡宮から本堅田6丁目へと歩いています。

堅田駅西口(本堅田6丁目)の街並みは印象がすっかり変わっていて、牧歌的だった江若バスの営業所の辺りは一変していました。今堅田では伊豆神田神社の隣の圓成寺が墓地になっていたりと、歩きながら新しい発見がたくさんありました。堅田駅西口の写真については、時期を改めて掲載したいと思っています。

最初に中村八幡宮に行くと決めていた以外は、足の向くまま、気の向くままの撮影でした。新緑も日ごとに濃くなって、春の伊吹満載。お天気に恵まれた一日でした。

堅田駅(真野1丁目)の桜は、散りかけていたので今回は撮影していません。
堅田駅の桜は↓こちらに掲載しています。

堅田、桜と花と緑(5)・堅田駅と満開の桜 ~Station/駅 107

※堅田駅西口の再開発のため、大友桜があると思われる公園に入ることができませんでした。大友桜については、京都新聞のふるさと昔語り(113)大友桜(大津市)をご参照下さい。

撮影日:2016年4月12日(火)
Beautiful scenery of Katata (Honkatata and Imakatata,Otsu city,Shiga,Japan).
Copyright(c)Jun Kanematsu/junphotoworks.com(兼松純写真事務所)

 

–お地蔵さんがいっぱい、本堅田1丁目(滋賀県大津市)– ~Honkatata/本堅田 363-367

妙盛寺境内の地蔵

妙盛寺境内の地蔵(Jizos at Myousei-ji Temple)
妙盛寺には、前回ご紹介した「天正の六地蔵」とは別に、これだけの数のお地蔵さんがあります。
赤の前掛けが美しく、かなりの存在感があります。


こしきり地蔵

こしきり地蔵(Koshikiri jizo)
腰から下がない地蔵で、地蔵の腰をさすると腰痛に効くという言い伝えがあります。
北を向いている珍しいお地蔵さんで、北向地蔵とも呼ばれています。


光徳寺の地蔵

光徳寺の地蔵(Jizos at Koutoku-ji Temple)
こしきり地蔵堂の隣にある地蔵。二体のお地蔵さんが、少しだけ顔を覗かせています。


寿寧寺門前の地蔵

寿寧寺門前の地蔵(Jizo at Jyunei-ji Temple)
琵琶湖がすぐ目の前にある寿寧寺。門前で迎えてくれるのは、オリエンタルな顔立ちのお地蔵さんです。


神田神社前の地蔵

神田神社前の地蔵(Jizos in front of Kanda Shrine)
素朴な味わいがある、優しい雰囲気のお地蔵さんです。
前掛けはいつも新しく、瑞々しいお花が欠かさずお供えしてあります。

堅田はお地蔵さんの町です。


写真一枚目:堅田(滋賀県大津市)の写真 本堅田 「妙盛寺境内の地蔵(2011年3月)」 2011.03.13 13:27撮影 ■撮影地:妙盛寺(滋賀県大津市本堅田1丁目)

写真二枚目:堅田(滋賀県大津市)の写真 本堅田 「こしきり地蔵(2011年3月)」
2011.03.13 11:56撮影 ■撮影地:こしきり地蔵堂(滋賀県大津市本堅田1丁目)

写真三枚目:堅田(滋賀県大津市)の写真 本堅田 「光徳寺の地蔵(2011年3月)」
2011.03.13 11:55撮影 ■撮影地:光徳寺(滋賀県大津市本堅田1丁目)

写真四枚目:堅田(滋賀県大津市)の写真 本堅田 「寿寧寺門前の地蔵(2011年3月)」2011.03.13 13:55撮影 ■撮影地:寿寧寺(滋賀県大津市本堅田1丁目)

写真五枚目:堅田(滋賀県大津市)の写真 本堅田 「神田神社前の地蔵(2011年3月)」 2011.03.13 13:45撮影 ■撮影地:神田神社前(滋賀県大津市本堅田1丁目)


1:Photograph of Honkatata,Otsu,Shiga,Japan  Honkatata
2011.03.13 13:27″Jizos at Myousei-ji Temple,Japan”

2:Photograph of Honkatata,Otsu,Shiga,Japan  Honkatata
2011.03.13 11:56″Koshikiri jizo”

3:Photograph of Honkatata,Otsu,Shiga,Japan  Honkatata
2011.03.13 11:55″Jizos at Koutoku-ji Temple”

4:Photograph of Honkatata,Otsu,Shiga,Japan  Honkatata
2011.03.13 13:55″Jizo at Jyunei-ji Temple”

5:Photograph of Honkatata,Otsu,Shiga,Japan  Honkatata
2011.03.13 13:45″Jizos in front of Kanda Shrine”

新緑の堅田(1) 自転車で、路地をゆく(光徳寺前) ~alley/路地 017(2)

自転車で、路地をゆく(光徳寺前) Alley_near_the_koutokuji_temple

前回まで、京都・下鴨神社巡行の写真でしたので、
ひさしぶりの堅田の写真になります。
そのころ、堅田では・・・と言ったところでしょうか。

写真左、白壁の美しいお寺は、
殉教者・堅田源兵衛の眠る光徳寺。

路地の先に見えている新緑は、
一休さんが修行した寺・祥瑞寺の境内になります。


春祭りも終わり、堅田に流れるのは緩やかな空気。
その雰囲気を出せればいいなと、私もペースダウンして、
今月後半の更新は、2日に1回のペースにします。
次回の更新は、5/18(火)の予定です。


堅田(滋賀県大津市)の写真 路地 2008.05.21 11:10
「新緑の堅田(1) 自転車で、路地をゆく(光徳寺前)」

■撮影地:光徳寺前 ■拝観(光徳寺):境内自由(本堂 要相談)
光徳寺■住所:滋賀県大津市本堅田1丁目22-20 ■TEL:077-572-1030

photograph of Katata,Otsu,Shiga,Japan  alley  2008.05.21 11:10
” alley near the Koutoku-ji temple in Honkatata,Japan”

路地の町・本堅田(3) ~alley/路地 032

雪の日の路地(本堅田)3

前回の路地を、直進せずに、松の木の角で左折したところです。
蔵と民家が並び、向かいには光徳寺の鐘楼と白壁。
この路地の向こうはすぐ、こしきり地蔵と、祥瑞寺です。(祥瑞寺の境内の緑が見えています。)
祥瑞寺の先は、港橋、そして琵琶湖(堅田港)。堅田港周辺の風景は、2/25-27に掲載します。


堅田の写真(滋賀県大津市本堅田) 路地 「雪の日の路地(本堅田)3」 2010.02.07 11:34:26
■撮影地:滋賀県大津市本堅田1丁目(光徳寺から祥瑞寺の間の路地)


A warehouse and a private house. In the other side, they are a bell tower
and the white wall of the Koutoku-ji temple.There are Kosikiri Jizodo and
Syozui-ji temple ahead of this alley, and there is Lake Biwa (Katata harbor).

photograph of Katata,Otsu,Shiga,Japan  alley 2010.02.07 11:34:26 ”alley in snowy day in Honkatata,Japan”3

お地蔵さんの町 ~Honkatata/本堅田 202

光徳寺裏のお地蔵さん

本堅田1―3丁目は、お地蔵さんと常夜灯の町。
堅田源兵衛の首で有名な光徳寺の裏で、撮影しました。
本福寺保育園の近く、こしきり地蔵堂の右隣です。

堅田の写真(滋賀県大津市本堅田) 本堅田 光徳寺6 「光徳寺裏のお地蔵さん」 2009.10.13 10:04

There are jizoudo and  night-lights everywhere in the town in Honkatata 1-3 chome.
I took this picture at the back of the Kotoku-ji temple famous for martyr Mr.Genbe Katata.It is near the Honpukuji nursery and at the right of Kosikiri Jizoudo.
photograph of Katata,Otsu,Shiga,Japan  Honkatata  Koutoku-ji  temple 6
“The Jizo in the back of the Koutoku-ji temple”  2009.10.13 10:04

堅田と蓮如 ~Honkatata/本堅田 114 (2)

光徳寺の報恩講のお知らせが張られている民家

民家の軒先に、お寺からのお知らせが張られていました。堅田ではよくみかける風景です。

報恩講とは、浄土真宗の開祖(宗祖)である親鸞(1173~1262) の祥月命日の前後に、
宗祖に対する報恩謝徳のために営まれる法要のこと。浄土真宗の僧侶・門徒にとっては、年中行事の中でも最も重要な法要です。(『ウィキペディア(Wikipedia)』)
※写真は昨年のものです。

堅田の写真(滋賀県大津市本堅田) 本堅田 「光徳寺の報恩講のお知らせ」 2008.10.02 15:54

Information from the temple is put on the front of the private house.It is the scenery of often seeing in Katata.
Houonko(報恩講) means the Buddhist service performed since the obligation to the founder is rewarded and virtue is appreciated before or after the anniversary of death of Shinran (親鸞,1173₋1262) who is the founder of the Jodoshinsyu(浄土真宗).For the priest and adherent of Jodoshinsyu, it is the most important Buddhist service also in an annual event.(Source:”Wikipedia”)
photograph of Katata,Otsu,Shiga,Japan Honkatata “Information of Houonko at Koutokuji temple” 2008.10.02 15:54


堅田と蓮如

室町時代の浄土真宗の僧・蓮如は、堅田と縁の深い人物。開祖である親鸞の直系だが、生まれた時の本願寺は、他宗や浄土真宗他派に押され、衰退の極みにあった。本願寺を追われた蓮如は、応仁元年(1467)、堅田の本福寺に身を寄せて再興の時を待つ。

ところが、比叡山延暦寺は本願寺と蓮如を「仏敵」と認定し、応仁二年(1468)、延暦寺西塔の衆徒は大軍を もって堅田を攻撃した。世に言う「堅田大責」(かたたおおぜめ)で、堅田は蓮如の味方になって戦った。(今でも、堅田の複数の寺(光徳寺、本福寺、泉福寺)が蓮如に対する厚い信仰を持つ。)

しかし、比叡山は堅田のすぐ背後にあることから、蓮如は堅田の地をあきらめ、文明三年(1471)4月、越前吉崎へと向かうことになる。蓮如は、北陸を本拠に一大勢力を作り上げていくことになる。


蓮如は越前吉崎へと逃れた際、三井寺(滋賀県大津市)に親鸞の木造(御真影・ごしんねい)を預けていった。人の生首を二つ並べるなら返そうと三井寺に言われ、蓮如は、困り果てた。

堅田の光徳寺の門徒だった漁師の源兵衛という若者が、この話を聞いた。源兵衛は、父親の源右衛門に自分の首を打ってもらい、源右衛門は三井寺に赴いて、自分の首もはねてくれと言った。三井寺は源兵衛の殉教心に感じ入り、直ちに御真影と源兵衛の首を返した。

事の子細を聞いた蓮如は、「源兵衛こそが浄土真宗再興の基である」と涙を流したという。取り戻された御真影は、山科(京都市)の坊舎に安置され、文明十五年(1483)8月、山科本願寺が落成。 こうして蓮如は本願寺を中興し、現在の本願寺教団(本願寺派・大谷派)の礎を築いた。

源兵衛の父親の源右衛門は息子を弔うため諸国巡礼の旅に出て、備後(広島県)の福山にて90才で亡くなった。24才で亡くなった源兵衛の墓と頭蓋骨は、本堅田1丁目の光徳寺にある (「堅田源兵衛の首」)。

堅田、桜と花と緑(24)・黄色い花 ~Honkatata/本堅田191

黄色い花のお供えと石仏

堅田らしい風景のひとつ、といえば、「石仏とお供え」でしょうか。
今月15日には、 祥瑞寺の石仏をご紹介しました。
今回ご紹介するのは、本堅田の光徳寺境内の一角。
堅田源兵衛の首で有名な光徳寺ですが、 あの殉教物語が生まれたのも、
こんな堅田の人の優しさがあってこそ。


堅田の写真(滋賀県大津市本堅田) 本堅田 光徳寺5 「光徳寺の石仏」 2008.04.15 12:01
photograph of Katata,Otsu,Shiga,Japan  Honkatata Koutoku-ji temple 5
“Stone statue of the Buddha in Koutoku-ji temple”  2008.04.15 12:01

浮御堂周辺5・堅田源兵衛の首(光徳寺) ~Honkatata/本堅田 164

堅田源兵衛父子殉教之像と、蓮如上人像、岡本一平文学碑

前回、蓮如が越前吉崎へと逃れた話を書きました。そのとき蓮如は、三井寺(滋賀県大津市)に親鸞の御真影(ごしんねい・親鸞の木像のこと)を預けていったのです。文明十二年(1480)、三井寺に赴いたところ、人の生首を二つ並べるなら返そうと言われ、蓮如は困り果てました。
ここ堅田の光徳寺の門徒であった漁師の源兵衛は、蓮如を助けるため、自分たち親子の首を差し出すことを決意。自分の首を父親に打たせます。父親はその首を三井寺に持っていき、親鸞の御真影を取り戻しました。

堅田源兵衛父子殉教之像と、蓮如上人像。岡本一平氏の『琵琶湖めぐり』の文学碑が並んでいます。24才で亡くなった源兵衛の墓と頭蓋骨は、ここ堅田の光徳寺にあります。


Last time, I wrote the talk which Rennyo escaped to Echizen Yoshizaki. He deposited Shinran’s wooden statue in Miidera temple(Otsu City, Shiga Prefecture) then. Shinran was the founder of the Jōdo Shinshū sect of Buddhism,which was their cult.When he went to Mii-dera for bunmei 12 (1480), it was said that it would return the statue if two heads just severed of people were put in order, and he was completely at a loss.Genbei of the fisherman , who was an adherent of here Koutoku-ji temple in katata,decided to hold out his own head and his father’s head in order to help Rennyo. He made his head strike to his father.His father brought his son’s head to Mii-dera, and regained Shinran’s wooden statue.This photograph is the statue of martyrdom of Katata Genbei ,and the statue of Rennyo.The literary monument of Mr. Ippei Okamoto’s “tour around Lake Biwa” is located in a line.The grave and skull of Genbei which passed away at the age of 24 are in here Koutoku-ji temple in Katata .


堅田の写真(滋賀県大津市本堅田) 本堅田 光徳寺4 「堅田源兵衛の首」  2008.05.21 11:17
photograph of Katata,Otsu,Shiga,Japan  Honkatata  Koutoku-ji temple”Katata Genbei’s Head”  2008.05.21 11:17

Honkatata/本堅田 105

お寺の前に貼ってある、住職さんの手書きのメッセージ

お寺の前に貼ってある、住職さんの手書きのメッセージ。痛いけど、心に染みる言葉。

堅田の写真 本堅田 光徳寺3 「光徳寺・住職さんの言葉1」 2008.05.03 11:34

今月は、「ここにしかない風景 ~本堅田・堅田駅編~」と題して、滋賀県大津市本堅田およびJR湖西線堅田駅の風景をお送りしています。

” It is not a success that money can be earned now. What other people’s care came to be able to carry out is a success.” The words are impressed deep in my heart although they are painful to me.
photograph of Katata  Honkatata  Koutokuji temple 3 “Words of the chief priest of the Koutokuji temple”1 2008.05.03 11:34
” Scenery seen only here~ Honkatata and Katata station ~” is entitled, and the scenery of Honkatata, Otsu, Shiga and JR Kosei Line Katata station is sent this month.