里山の初秋便り、9月の優しい空の下で

中津川駅の夕焼け

長野からの帰り道。乗り換え駅である岐阜県中津川駅で、わずかな時間に見えた夕焼け(写真)を見ていました。

約半年ぶりとなった県外撮影を乗り切った安堵感とともに、この夏、ずっと朝の歩き撮影を続けていて本当に良かったと思いました。

前日に8km、この日は24km歩きながら中山道を撮影して、翌朝は5時から地元滋賀の里山を撮影することになるのですが、以前は考えられませんでした。体力的なこともそうですが、10代の頃も約10年前も孤立無援の時期があって、ちょっとした嫌がらせや意地悪の類を受けても気づかないふりをする天然のキャラクターを装ってその場を立ち去るしかなかったのです(今だから書ける話ですが)。

 

私は特に体力があったわけでもどこかにコネがあったわけでもなく、むしろ不安要素だらけのところから再スタートでした。ただ写真と故郷の風景が好きだからやってきました。写真だけはやめなくてよかった。

イギリスの首相だったサッチャーさん(在任1979年-1990年)は鉄の女と呼ばれましたが、色んな重圧や心無い言葉に家で泣いていたこともあったそうです。サッチャーさんの気持ちは痛いほど分かります。

何かで怖い思いをした後の「また同じことがあるかもしれない」という怖さは、常に隣り合わせでした。それを心の中で蹴り上げて外へ出かけていく、時には勇気のいることでした。そういったことを出さずに頑張るしかない時期もある。そうやって乗り越えようとしている人は他にもいると思うから、私だけでもあなた一人だけでもないんだと思うことがあります。

そうやって見た後の風景はかけがえのないものだと思うから、私はまた新しい風景に出逢いたい。今はその気持ちを支えにやっています。

 

翌朝、5時前にぱっちり目が覚めてしまったので、結局いつもの里山に来ていました。

 








 

 

 

 

 

 

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東下りの中山道―美濃路の謡坂~細久手宿~大湫宿~十三峠、恵那山と御嶽山(岐阜県)

中山道の道標

中山道を京都から歩く人は珍しいそうで、8割方の人は東京から京都を目指して歩くと聞きました。

私は京都の近くに住んでいるので、中山道を歩くと決めたとき、必然的に東下りで行くことになりました。

2018年秋、京都から草津まで東海道を歩いた後に、草津から中山道歩きを始めました。2019年暮れまでに滋賀県すべてと岐阜県の大半を歩いたので、その一部をご紹介します。

中山道と言えば馬籠(岐阜県)から妻籠(長野県)、奈良井(長野)が有名ですが、今回はその手前に位置する岐阜県南東部(東濃)を中心にお届けします。日本の原風景が残っている、とても美しい所です。 続きを読む →

白露の頃、大きな栗の木(岐阜県不破郡関ケ原町玉)

大きな栗の木

写真は以前の9月に、岐阜県不破郡関ケ原町玉にて撮影した、大きな栗の木です。
2016年9月7日は、二十四節気の一つ「白露」(はくろ)。

大気が冷えてきて、露ができ始めるころ。『暦便覧』では、「陰気やうやく重りて、露にごりて白色となれば也」と説明している。(ウィキペディア)

今年の夏は暑くて、長時間屋外で撮影するのはなかなか難しいですが、もう少し気温が下がったら、堅田を歩きまわって撮影したいです。

お盆の頃の本堅田の記憶といえば、堅田小学校近くの院内道で、地蔵堂の前にシンテッポウユリの白い花が咲いていたこと。2008年はこんな感じでした↓

堅田で過ごす夏(15) ユリの花と地蔵堂(院内道にて) ~Honkatata/本堅田 310

そして、9月といえば、琵琶湖畔の今堅田。
9月の今堅田はいつまでも終わらない夏のような輝きと陽気さがあります。堅田内湖の周辺から琵琶湖畔は、まるで一枚の絵のようになります。こちらは2009年9月10日撮影↓

湖でもなく、池でもなく。 堅田内湖(1) ~Imakatata/今堅田 098

 

伊吹の荒ぶる神8(北国脇往還1:関ケ原から藤川の里を訪ねる、上平寺に寄り道して春照へ)~近江山河抄の舞台を歩く(72)

蔵のある風景

ある時私は、関ケ原から遡って、藤川の集落を訪ねたことがある。一条兼良はしばらくこの辺に滞在し、『藤川記』という書を残したが、定家も若い頃いたと伝えられ、彼が住んだという旧家も残っている。
・・・
藤川から伊吹の山麓を通って、木之本へぬける裏道があり、北国街道の「脇往還」と呼ばれる。田圃の中に稲架(はさ)がつづくひなびた風景は、近江の懐深く入りこんだという感じがする。その途中、伊吹の村で、円空作の十一面観音を見た。-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

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