白露の頃、大きな栗の木(岐阜県不破郡関ケ原町玉)

大きな栗の木

写真は以前の9月に、岐阜県不破郡関ケ原町玉にて撮影した、大きな栗の木です。
2016年9月7日は、二十四節気の一つ「白露」(はくろ)。

大気が冷えてきて、露ができ始めるころ。『暦便覧』では、「陰気やうやく重りて、露にごりて白色となれば也」と説明している。(ウィキペディア)

今年の夏は暑くて、長時間屋外で撮影するのはなかなか難しいですが、もう少し気温が下がったら、堅田を歩きまわって撮影したいです。

お盆の頃の本堅田の記憶といえば、堅田小学校近くの院内道で、地蔵堂の前にシンテッポウユリの白い花が咲いていたこと。2008年はこんな感じでした↓

堅田で過ごす夏(15) ユリの花と地蔵堂(院内道にて) ~Honkatata/本堅田 310

そして、9月といえば、琵琶湖畔の今堅田。
9月の今堅田はいつまでも終わらない夏のような輝きと陽気さがあります。堅田内湖の周辺から琵琶湖畔は、まるで一枚の絵のようになります。こちらは2009年9月10日撮影↓

湖でもなく、池でもなく。 堅田内湖(1) ~Imakatata/今堅田 098

 

伊吹の荒ぶる神8(北国脇往還1:関ケ原から藤川の里を訪ねる、上平寺に寄り道して春照へ)~近江山河抄の舞台を歩く(72)

蔵のある風景

ある時私は、関ケ原から遡って、藤川の集落を訪ねたことがある。一条兼良はしばらくこの辺に滞在し、『藤川記』という書を残したが、定家も若い頃いたと伝えられ、彼が住んだという旧家も残っている。
・・・
藤川から伊吹の山麓を通って、木之本へぬける裏道があり、北国街道の「脇往還」と呼ばれる。田圃の中に稲架(はさ)がつづくひなびた風景は、近江の懐深く入りこんだという感じがする。その途中、伊吹の村で、円空作の十一面観音を見た。-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

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伊吹山麓の道、北国脇往還を歩く~花と水辺の風景1(関ケ原の栗の木⇒米原市春照のヒガンバナ)

ヒガンバナ
滋賀から岐阜にかけて、北国脇往還と呼ばれる脇街道があります。
北国街道から中山道への近道で、木之本(滋賀)から関ケ原(岐阜)までの30数キロの道です。

近江(滋賀県)から関ケ原へ抜ける近道として、江戸時代に参勤交代に利用されて栄えました。この街道沿いには、歴史あふれる美しい集落が残っています。

その宿場のひとつ、藤川(滋賀県米原市藤川)を訪ねるのが当初の予定でした。
藤川へは路線バスが通っておらず、関ケ原から歩いていくことを考えていたからです。
せっかくの機会なので、関ケ原から木之本までを3回に分けて歩いてみることにしました。(『近江山河抄の舞台を歩く』「伊吹の荒ぶる神」の続編としても今後掲載予定です。)

歴史の話を書くと、どうしても花や風景の写真を載せる機会が少なくなってしまうので、それとは別に、北国脇往還のまちの花や水路の風景を中心に載せてみようと思います。

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伊吹の荒ぶる神7(中山道・柏原宿から関ケ原へ~柏原から寝物語の里、今須宿、不破の関跡を歩く<後編>)~近江山河抄の舞台を歩く(69)

妙応寺山門
妙応寺は、美濃国今須領主の長江重景が、母(妙応)の菩提を弔うため建てた寺である。
正平15年(1360)の創建で、岐阜県下最古の曹洞宗寺院といわれている。
現在は参道の上を国道と東海道本線が走っており、旧中山道から寺を見ることはできない。長いトンネルをくぐって外に出ると、立派な寺が姿を現した。

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伊吹の荒ぶる神6(中山道・柏原宿から関ケ原へ~柏原から寝物語の里、今須宿、不破の関跡を歩く<前編>)~近江山河抄の舞台を歩く(68)

伊吹堂亀谷佐京商店
伊吹山の麓の柏原(かしわばら・滋賀県米原市)は、岐阜の関ケ原と8km程しか離れていない。江戸時代、中山道・柏原宿の名物といえば「伊吹もぐさ」だった。
江戸時代の柏原宿には、最盛期に10軒のもぐさ屋があったといわれている。
現在はJR柏原駅から西へ10分ほどのところに、「伊吹堂亀谷佐京商店」一軒が残るのみ。

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