近江八幡の水郷と長命寺(バックナンバーより6月の美しい風景をお届けします・滋賀県近江八幡市)

水郷めぐりの和船(西の湖)-1

繖山(観音寺山)の上から撮影した安土山、西の湖、長命寺山

水郷めぐりの和船が、西の湖(にしのこ)周辺の水郷と呼ばれる葦原を行く。ここは滋賀県近江八幡市円山町。

織田信長がかつて、安土城から眺めた山並みもこんな感じだったのだろう。
写真二枚目は、安土の繖山(観音寺山)の上から撮影した水郷のまちの風景。

手前より安土山西の湖、奥島山(右奥)~長命寺山(中央奥)~八幡山(左奥)。
一番奥にぼんやり見えるのが、琵琶湖の向こうの比良山系

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サツキツツジの名刹:東海道水口にて大池寺蓬莱庭園、石部から野洲川渡って正福寺(滋賀県甲賀市~湖南市)

大池寺庭園-1(5月の頃)

大池寺庭園

滋賀県南部でもサツキ(サツキツツジ)が咲き始めました。

ツツジとの違いはというと、ツツジよりも小さな花で、ツツジよりも遅く咲く花です。植え込みによく使われているので、親しみを持って眺めている方は多いのではないでしょうか。

昨今なかなか遠出もできないので、バックナンバーから、サツキの見事な庭園をご紹介します。いずれも白洲正子さんの随筆『近江山河抄』に掲載されている名刹です。

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伊吹の荒ぶる神14(円空の仏像彫刻・大平観音堂の十一面観音)~近江山河抄の舞台を歩く(79)

春照の町並み

藤川から伊吹の山麓を通って、木之本へぬける裏道があり、北国街道の「脇往還」と呼ばれる。田圃の中に稲架(はさ)がつづくひなびた風景は、近江の懐深く入りこんだという感じがする。その途中、伊吹の村で、円空作の十一面観音を見た。-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

2014年9月、岐阜県の関ケ原から滋賀県米原市・長浜市をつなぐ「北国脇往還」を3回に分けて歩き、撮影したことがある。
1回目は関ケ原から米原市春照(すいじょう)まで12kmほど歩いた。山中の峠を越え、美しい春照の町(写真)に出てきたときは心からほっとした。

伊吹の荒ぶる神8(北国脇往還1:関ケ原から藤川の里を訪ねる、上平寺に寄り道して春照へ)~近江山河抄の舞台を歩く(72)

このとき立ち寄れなくて心残りだったのが、白洲正子さんが「その途中、伊吹の村で、円空作の十一面観音を見た。」と記した春照の大平観音堂(※要予約)である。

大平観音堂

写真は、同じ日に見学した皆さんの後姿と大平観音堂。
江戸時代に円空が修行したのは、「伊吹山四ヶ寺」の一つである「太平寺」だったといわれている。

太平寺集落(滋賀県坂田郡伊吹村大字太平寺)はもともと伊吹山中腹にある集落だった。天空の城のような集落で、夏は涼しくソバの畑が広がり、と書くと牧歌的だが、冬場の積雪とそれに伴う集落の孤立は人々を苦しめた(このあたりのことは「地域包括ケアセンターいぶき」の医師の方による解説ページ「太平寺」に詳しい)。

太平寺集落は住民の総意で移転を決め、昭和38年(1963年)にセメント工場の開設に伴って伊吹村の春照に移転(現・滋賀県米原市春照)。十一面観音も一緒に移った。現在は地元の方が観音堂の管理をされている。

円空作の十一面観音

自分の撮影した中では、この写真が一番雰囲気が出ていると思う。円空さんらしいふくよかさ、ほほえみ、そしてノミ使いの跡が見て取れる。

銘文には、伊吹山の桜の木で、一日で彫り上げたと記してあり、高さ二メートルばかりの細長い木像である。何か霊感のようなものを得て、一気呵成に彫ったのであろう。荒っぽい鉈(なた)の跡に、烈しい気魄が現われている。窮屈な格好で、水瓶(すいびょう)を握りしめ、一心に何事かを念じている姿は、仏像というより神像に近く、「立木観音」というものの原型を見る思いがする。・・・十一面観音としては異質のもので、円空の創意と工夫がうかがわれる。-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

円空作の十一面観音・横顔

こちらは横顔。「像高180.5cmの桜の一本造り。元禄2年円空58才という晩年の作」である(資料提供:円空仏保存会)。この角度から見ると、すべてをくぐり抜けて悟りに達したような心境や、何かを許しているような表情にも見えてくる。

かつて伊吹村で、円空作の十一面観音に出会ったときの感動が私には忘れられない。それまで私は、円空には人がいう程興味を覚えないが、この像だけは印象に残っている。
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この観音様は違っていた。おそらく素材に制約されたのであろう。窮屈そうに肩をすぼめて、宝瓶ををにぎりしめ、鱗形の天衣をまとった長身からは、鬱勃とした精気がほとばしるようであった。悲しいような、寂しいような微笑を浮かべた表情にも、孤独な人の魂が感じられる。-白洲正子『十一面観音巡礼』

▼大平観音堂(※2016年5月現在の情報)
予約制 毎月第1・第3日曜日 午後1時~4時
拝観料:300円
申し込み:米原市伊吹山文化資料館(0749-58-0252)


泉神社鳥居

この日はJR近江長岡駅から泉神社、伊吹薬草の里文化センター(昼食)と歩き、大平観音堂を見学して「伊吹せんろみち」を経てJR近江長岡駅まで帰った。

泉神社神泉

泉神社の湧水は名水百選に選ばれていて、地元の方のご好意で自由に持ち帰ることができるようになっている(※下の写真が泉神社の取水場)。

伊吹の荒ぶる神に敗れたヤマトタケルが口にして息を吹き返したとされる水は、この泉神社の湧水とも、近くの醒井の水とも言われている。

イブキ、イブクという言葉は、息を吹くことを意味するから、霧の多い伊吹山に、古代の人々は、神のいぶきを想ったに違いない。そのいぶきに当って、日本武尊は命を落した。
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『古事記』では、「居寝(ゐさめ)の清水」と呼び、大蛇も白猪になっているが、ともに伊吹山に住む原住民族を象徴したものに違いない。山頂からは、石器が多く出土しており、毒草をぬった石矢が、氷雨となって降りかかったのであろう。
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このあたりを領した息長(おきなが)氏の祖先には、水依媛という人物がおり、水が豊富な伊吹山の周辺に、多くの水神が祀られたのも不思議ではない。・・・もしかすると、息長氏に助けられたのが、そのような伝説となって残ったのではあるまいか。尊の妃の一人は息長氏で、その一族が祀った水神と結びついたとも考えられる。 -白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

泉神社の取水場

醒井の「居醒の清水」については、以前にこちらでご紹介している。

伊吹の荒ぶる神2(中山道・柏原宿から醒井宿を歩く~後編:柏原一里塚から醒井「居醒の清水」とバイカモの花)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(34)


大清水のお地蔵さん

泉神社の地元・大清水(滋賀県米原市大清水)にて。きれいな水が流れる集落の一角で、絵になるお地蔵さんに出合った。

『近江山河抄の舞台を歩く』の撮影で私が一番通ったのは、間違いなく米原(滋賀県米原市)である。2016年は毎月のように伊吹山麓に通い、大久保のセツブンソウ小泉の棚田大久保の長尾寺ときて、大平観音堂の円空仏(今回)、そして観音寺(米原市朝日)と続いている。

地元滋賀のありのままの美しさをお届けしたいと続けてきたブログなので、悪質な無断転載(詳細は前回記事)などにめげず、少しずつでも掲載を続けていきたい。

田植え前の風景

田植え前の風景(滋賀県米原市大清水)。


オドリコソウ

オドリコソウが咲いていた。


田植えの風景と伊吹山

伊吹山(右奥)と田植え中の田んぼ(滋賀県米原市長岡)。
米原はいつどこへ行っても美しいと実感する、今日この頃です。

撮影日:2016年5月18日
Copyright(c) Jun Kanematsu/junphotoworks.com(兼松純写真事務所)

『近江山河抄の舞台を歩く』は、『かくれ里』で知られる随筆家・白洲正子さんの紀行文『近江山河抄』に登場する場所を、写真と現在の情報を交えてご紹介する個人プロジェクトです。

近江生まれの筆者(兼松)が各地をなるべく公共交通機関と徒歩で訪ねて、時には現地のボランティアガイドの皆さんにご協力いただきながら、2013年3月より掲載してきました。

撮影許可が必要な場所や同伴者が必要な山の中以外は、現在ほとんどご紹介済みとなりました。その後2015年に滋賀で日本遺産に選ばれた場所があることから、そちらを追加してみようと現在各地を撮影中です。

 

▼こちらの本でも、大平観音堂の十一面観音(円空仏)が登場します。

伊吹の荒ぶる神13(北国街道米原宿から中山道番場宿へ、鎌刃城跡に登り蓮華寺を訪ねる)~近江山河抄の舞台を歩く(78)

『近江山河抄の舞台を歩く』は、『かくれ里』で知られる随筆家・故白洲正子さんの紀行文『近江山河抄』に登場する場所を、写真と現在の情報を交えてご紹介する個人プロジェクトです。

近江生まれの筆者(兼松)が各地をなるべく公共交通機関と徒歩で訪ねて、時には現地のボランティアガイドの皆さんにご協力いただきながら、2013年3月より掲載してきました。

撮影許可が必要な場所や同伴者が必要な山の中以外は、現在ほとんどご紹介済みとなりました。その後2015年に滋賀で日本遺産に選ばれた場所があることから、そちらを追加してみようと現在各地を撮影中です。


北国街道米原宿の町並み
国道8号線を彦根方面から北へ走ると、JR米原駅東口のすぐ左側を通る。平行して一本奥へ入ると、北国街道米原宿の町並みが広がっていることは意外と知られていない。

米原市は坂田郡の4町が合併して発足した市で、成立年は2005年(平成17年)と新しい。ちなみに米原町の「米原」は「まいはらちょう」と読む。米原宿の読み方も「まいはら」である。

琵琶湖に近いこのあたりはもともと葦が多く、「まよいはら」→「まいはら」と呼ばれるようになったのが語源だという。明治になって鉄道が敷かれたときに米原駅「まいばらえき」と呼ぶようになり、現在は「まいはら」と「まいばら」が並存している。

市名の米原市は駅名に合わせて「まいばらし」と読むが、米原インターチェンジ・米原ジャンクション(北陸自動車道)、米原湊の読み方は旧来通りの「まいはら」である。

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教林坊の紅葉(滋賀県近江八幡市安土町石寺)

教林坊
安土の繖山(きぬがさやま)の麓に、聖徳太子によって605年に創建された寺がある。教林坊という天台宗の寺で、白洲正子さんの著作には「石の寺」「石寺」として登場する。

麓の石寺という部落は、世捨人のような風情のある村で、かつては観音正寺の末寺が三十以上もあり、繁栄を極めたというが、現在は教林坊というささやかな寺が一つ残っているだけである。(白洲正子『かくれ里』

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