琵琶湖畔【十六夜お月見イベント】のお知らせ(近江八景「浮御堂」近く・滋賀県大津市本堅田「十六夜公園」にて。2016/9/16(金)19時開演、津軽三味線と湖族太鼓の生演奏、ゲストは近江学研究所の木村先生)

チラシ

堅田十六夜ほろよいシンポジウム

◆日時:2016年9月16日(金) 午後7時より
◆場所:琵琶湖畔「十六夜公園」(堅田港・堅田水上派出所の南隣)
※午後5時の時点で雨天の場合は「堅田なぎざ苑」にて開催します。

☽津軽三味線:山口晃義氏(日本民謡晃和会会主・津軽三味線晃和流家元)
☽湖族太鼓:鈴木秀夫氏
☽ほろよいトーク「芭蕉と堅田」:木村至宏氏(成安造形大学近江学研究所顧問)
☽「堅田十六夜の辨」朗詠:細川源太郎氏(湖族の郷郷長)
☽琴演奏:江野俊江さん

◆会費 おひとり(飲み物とも)¥1000
※チケットは当日会場でお求めいただけます。

◆主催:堅田 湖族の郷
◆お問い合わせ:湖族の郷資料館(電話077-574-1685)

□アクセス:京都駅よりJR湖西線で約20分、堅田駅下車。
堅田駅より江若バス堅田町内循環線で約5分、「堅田出町」下車。
湖岸方面(東洋紡・堅田高校の反対方向)へ徒歩約10分。

□雨天時の会場・堅田なぎざ苑 ※十六夜公園は都久生須麻神社のそばです。

大きな地図で見る

近江八景のひとつ、堅田の浮御堂は、琵琶湖に浮かぶようにして建つ禅寺です。
その浮御堂から歩いて5分くらいの湖畔に、十六夜公園という小さな公園があります。

公園の名は、「十六夜」の日に、松尾芭蕉が堅田でお月見の会をしたことにちなみます。この日のことを芭蕉は「堅田十六夜の弁」という俳文にして残しました。

今回ご紹介するイベントは芭蕉にちなんで「ほろよいシンポジウム」となっていますが、ジュースやお茶を飲みながら生演奏を楽しんだりお話を伺ったりする、ゆったりイベントです。(お酒、缶ビールもあります^^)

主催者様から今年もご案内をいただきましたので、皆様にご案内させていただきます。
お近くの方はぜひどうぞ!


写真は十六夜公園堅田十六夜の弁碑(句碑)、そして浮御堂です。

浮御堂の見える公園

付記:芭蕉の俳文「堅田十六夜の弁」について

元禄4年(1691)8月16日、堅田の竹内茂兵衛成秀の家で俳句の席を催したと書かれています。芭蕉はこの夜の様子を俳文「堅田十六夜の弁」として記し、成秀に贈りました。

この前日(十五夜)、芭蕉は大津市南部の「義仲寺」で月見の会を催していました。(”望月の残興なほやまず”)
十六夜の日、弟子数人と琵琶湖に舟を出し、大津市北部の堅田に来たという訳です。(”二三子いさめて、舟を堅田の浦に馳す。”)

義仲寺(ぎちゅうじ)は大津市南部にあるお寺で、木曽義仲と芭蕉のお墓があります。木曽殿の隣で眠りたいというのが、芭蕉の遺言でした。

芭蕉は大津を愛し、何度も訪ねては長期滞在しています。芭蕉が大津で読んだ句は、芭蕉の全発句の約一割にあたる89句にのぼるそうです。(大津市観光物産課発行のパンフレットより)

前置きが長くなりました。以下、「堅田十六夜の弁」全文を掲載します。

望月の残興なほやまず。二三子いさめて、舟を堅田の浦に馳す。
その日、申の時ばかりに、何某茂兵衛成秀という人の家のうしろに至る。
「酔翁・狂客、月に浮 れて来たれり」と、舟中より声々に呼ばふ。
あるじ思ひがけず、驚き喜びて、簾をまき塵をはらふ。
「園中に芋あり、大角豆(ササゲ)あり。鯉・鮒の切り目たださぬこそいと興なけれ」と、岸上に櫂をならべ筵(むしろ)をのべて宴を催す。
月は待つほどもなくさし出で、湖上はなやかに照らす。
かねて聞く、仲秋の望 (もち)の日、月浮御堂にさし向ふを鏡山といふとかや。
今宵しも、なほそのあたり遠からじと、かの堂上の欄干によって、三上(みかみ)・水茎の岡、南北に分かれ、その間にして峰ひきはへ、小山いただきを交ゆ。
とかく言ふほどに、月三竿(さんかん)にして黒雲のうちに隠る。いづれか鏡山といふことをわかず。
あるじの曰く、「をりをり雲のかかるこそ」と、客をもてなす心いと切なり。
やがて月雲外に離れ出でて、金風・銀波、千体仏の光に映ず。
かの「かたぶく月の 惜しきのみかは」と、京極黄門の嘆息のことばをとり、十六夜の空を世の中にかけて、無常の観のたよりとなすも、この堂に遊びてこそ。
「ふたたび恵心(えしん)の僧都の衣をうるほすなれ」と言へば、あるじまた言ふ、「興に乗じて来たれる客を、など興さめて帰さむや」と、もとの岸上に杯をあげて、月は横川(よかわ)に至らんとす。

鎖(じょう)明けて月さしいれよ浮御堂
やすやすと出でていざよふ月の雲

”千体仏”・・・浮御堂に安置されている一千体の阿弥陀仏のこと。
”恵心の僧都”・・・比叡山横川恵心院の僧・源信のこと。平安時代に浮御堂を開いたお坊様です。

”月は横川(よかわ)に至らんとす”に出てくる横川は、比叡山延暦寺の一番奥にある聖地です。芭蕉さんたち、月が傾くまで一晩中飲んだということですね^^;


堅田と芭蕉

芭蕉が大津に来たきっかけとなったのは、 本堅田にある本福寺第十一代住職明式の案内があったからだといわれています。
明式は芭蕉の弟子となり、貞享2年(1685)「千那」の俳号を与えられました。以来、芭蕉はしばしば堅田を訪れて、堅田の人々と親交を深めるとともに多くの句を残しています。

▼堅田には、芭蕉の句碑が5箇所もあります!句碑めぐりのご参考に。

居初氏庭園と堅田教会、堅田の句碑・文学碑・顕彰碑、芭蕉の句碑
風光明媚な堅田は古くから数多くの文化人に愛されてきました。本堅田の名勝である居初氏庭園、ヴォーリズ建築で知られる堅田教会、そして堅田の句碑・文学碑・顕彰碑、芭蕉の句碑をご紹介します。 目次1.堅田の町について2.本堅田の寺社3.居初氏庭園と堅田教会、堅田の句碑・文学碑・顕彰碑、芭蕉の句碑3-1.本堅田...

▼芭蕉の弟子として有名な人物に宝井其角(たからいきかく)がいますが、其角の父親が堅田出身です。本堅田1丁目には宝井其角寓居跡があります。

■JR湖西線・堅田駅⇔浮御堂周辺散歩■17~alley/路地 012
松尾芭蕉の弟子・宝井其角(たからいきかく)は、父親が堅田の出身だったこともあり、たびたび堅田を訪れては滞在した。見えているのは光徳寺の屋根と其角亭跡。芭蕉ゆかりの本福寺はこの光徳寺のすぐ隣にあり、其角亭のあった場所が文化の中心地だったことがうかがえる。堅田の写真(滋賀県大津市本堅田) 路地 「本...

 

堅田駅西口(山の手)の再開発、進む-2016年4月(2009年、2015年の写真とともに)

堅田駅西口(山の手)の再開発が進んでいます。一番奥に見えているのが堅田駅です。西口のロータリーは工事中なので、駅から写真の交差点まで車は入ってこれませんが(2016年4月現在)、真野の中村八幡宮からここまで歩いてくることはできました。

中村八幡宮の桜

ちなみに、こちらが真野の中村八幡宮(社寺林と桜)です。さきほどの交差点からさほど離れていない場所で撮影しています(2016年4月12日)。


さきほどの道沿いに衣川の方向へ歩いていくと、江若バスの営業所があります(本堅田6丁目)。

以前はどんな感じだったかというと・・・
(下の写真は2009年4月11日に撮影したものです。)

バスの寝床、うららかな春の日に(江若交通堅田営業所)

バスの寝床、うららかな春の日に(江若交通堅田営業所) ~Honkatata/本堅田 238
JR堅田駅の西側(山側)にあるのが、江若交通堅田営業所。ここからバスが出て行き、一仕事終わればここに帰ってきます。付近はのどかな田園地帯。春、営業所のまわりでは、いろんな花が咲きます。桃の花、菜の花、桜の花etc。車体に浮御堂が描かれたバスの手前に、菜の花が見えていますね。この写真は昨年の4月中旬に撮...

畑の脇の道を歩く猫

かつての本堅田6丁目では、畑の脇の道を歩く立派な猫と出会ったことも・・・

Honkatata/本堅田 041
大きくて堂々としていたから、一瞬、犬かと思った。ボスネコなんだろう。堅田の写真(滋賀県大津市本堅田) 本堅田6丁目 1 「畑の脇の道を歩く猫」big cat walking(Katata,Shiga prefecture,Japan)   2008.04.15 14:31

この道は衣川天満宮そば(明神橋)まで続いています。本堅田6丁目の途中で通行止めになっていました。逆に明神橋から、堅田駅方面を見たときの写真を再掲します(2015年12月8日撮影)。↓

新しい道

堅田駅北側(山の手)の再開発-2015年と2009年秋の写真とともに
前回は衣川天満宮(滋賀県大津市衣川)の紅葉を掲載しました。今回は衣川天満宮周辺の写真を掲載します(2015年12月8日撮影)。このあたりは堅田駅の裏側(北側/山の手)に位置し、数年前から再開発が進んでいます。写真右側の建物が密集している一帯が堅田駅周辺になります。この写真は明神橋の横断歩道を渡ったあたり...

新しい道

こちらは同じ場所から2016年2月21日に撮影したものです。アスファルトの舗装がほぼ終わっていますね。ちなみに、写真のお兄さんが覗き込んでいる看板はこちらです↓

拡大写真はこちら(←リンク先ページで「4本矢印マーク」を押すと拡大します)

どうやら平成34年度まで続く工事のようですね。本堅田衣川線と呼ぶ道路のようです。同じ時代に立ち会ったのも何かの縁なので、変わり行く姿をしっかり見届けたいです。

※今回で衣川特集続編(全3回)を終わります。
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西羅古墳(滋賀県大津市衣川)

西羅1号古墳

衣川(きぬがわ)特集の続編です。

今回掲載するのは、大津市衣川2丁目9の西羅古墳(にしらこふん・西羅1号古墳)です。左側の階段を上っていくと、墓地の隅に大津市設置の現地案内版があります。

案内版によれば、「堅田丘陵の東部、天神川と御呂戸川の間の入り込んだ丘陵地に位置し、・・・帆立貝式とも呼ばれる前方後円墳」で「全長46m」。「古墳時代中期の五世紀後半頃」に造られたと推定されています。

大津の古墳は琵琶湖に向けて造られているものが多いのですが、この古墳も例外ではありません。

案内版の場所からはそれ以上は近づくことができませんでした。近くにもう一箇所、別の墓地へと続く山道(階段)があるのですが、そちらも墓地だけのようだったのですぐに帰りました。

初めて衣川に行ったのは2013年3月、鞍掛神社を訪ねた帰りでした。古墳の場所が分からなくて、早春の衣川台をとぼとぼと歩いた記憶があります。探していた古墳は衣川台南自治会館の前にありました。そして自治会館をはさんだ南側にあるのが、なんと衣川廃寺跡だったのでした!

衣川廃寺については、以前にこちらでご紹介しています。↓

国指定史跡「衣川廃寺跡」(滋賀県大津市衣川)
話は飛鳥時代にさかのぼります。667年3月19日、中大兄皇子(後の天智天皇)は飛鳥から近江大津に都を遷しました。同時代に大津にあった寺院が、今回ご紹介する衣川廃寺跡です。大津市歴史博物館の解説には「7世紀中頃に創建された滋賀県最古の寺院と見られている」とあります。大津宮と同時代の寺院跡は、園城寺(三井寺...

春日山古墳群の円墳

堅田周辺は古墳の宝庫で、春日山古墳群が知られています。春日山公園へ行くと円墳を見ることができますよ!

春日山古墳群(前編) ~春日山公園から1
写真奥の男性が歩いているのは、古墳(円墳)の周りです。ここは滋賀県大津市真野谷口町。いつもご紹介している本堅田の隣町です。この地域は堅田丘陵と呼ばれ、JR堅田駅の西側(山側)に位置します。堅田丘陵は、数多くの古墳が埋もれているといわれている場所です。この春日山古墳群は、比叡山麓から派生した堅田丘陵の...

妙法寺の門と桜

春日山古墳群の入り口は、本堅田6丁目の妙法寺さんの隣にあります。左奥に続く山道の向こうに何があるのか見てみたいのですが、道の概要が分からないのと、女一人だと不測の事態があると難なので行けていません。

妙法寺さんの屋根が見える高台までは、何度か行ってみたことがあります。堅田駅前とアルプラザ堅田と湖西線がよく見えて、眺めのいい場所でした。本堅田や衣川の方は、犬の散歩や山菜取りで入られているようです。春日山古墳探検部を募集したい心境です。

堅田の高台を歩く(6) 山桜(春日山古墳群へ続く道にて) ~Honkatata/本堅田 2...
春日山古墳群は、比叡山麓から派生した堅田丘陵の東端に位置し、200基以上の古墳から構成される、湖西(琵琶湖の西側)でも有数の大規模古墳群です。滋賀県大津市真野谷口町から衣川町に位置しており、昭和49年に国の史跡指定を受けています。写真一枚目は、衣川町との境界付近にある妙法寺(本堅田6丁目)のそばに設置...

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坂本に残る「衣川北国道」の道標~北国海道と衣川の話(滋賀県大津市衣川)

衣川北国道の道標

山王祭直前の3月中旬。比叡山の門前町・坂本で、思いがけない道標と出会いました。「左 衣川 北国道」と刻まれています。

場所は坂本3丁目の大神門神社の境内で、京阪坂本駅から湖岸へ下っていく道(井神通り)に面した神社です。

衣川北国道の道標

こちらが大神門神社(だいしんもん じんじゃ)です。
大神門神社と並ぶようにして日吉神社一の鳥居が見えますね。それが井神通りです。

ところでなぜ、坂本に衣川(きぬがわ)の道標があるのか??不思議でした。
答えは北国海道にありました。坂本も衣川も北国海道のそばの町なのです。

北国海道は西近江路とも呼ばれ、司馬遼太郎さんが『街道をゆく』で最初に取り上げた道です。現在の国道161号線といえば分かりやすいかもしれません。

衣川と北国海道については、前回特集のときの冒頭の文章を再掲しておきます。

このブログは、2007年に、琵琶湖畔の町・堅田の写真を掲載したことから始まったブログです。堅田は滋賀県大津市北部に位置するまちで、南北に西近江路(北国海道)、西は京都の大原で、東は琵琶湖、しかも琵琶湖の最狭部(幅が最も狭いところ)にあるため、古くから交通の要所でした。

堅田の南西に広がるのが、衣川(きぬがわ)という地区です。近世には西近江路の宿駅(衣川宿)が置かれたところで、近江国(滋賀)大津から高島を経て、越前国(福井)へと、古来から多くの往来がありました。

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国指定史跡「衣川廃寺跡」(滋賀県大津市衣川)

衣川廃寺跡案内板

話は飛鳥時代にさかのぼります。667年3月19日、中大兄皇子(後の天智天皇)は飛鳥から近江大津に都を遷しました

同時代に大津にあった寺院が、今回ご紹介する衣川廃寺跡です。大津市歴史博物館の解説には「7世紀中頃に創建された滋賀県最古の寺院と見られている」とあります。

大津宮と同時代の寺院跡は、園城寺(三井寺)の前身寺院、そして滋賀里の崇福寺跡が知られています。PDF「古代の大津. 大津京遷都の時代背景. 大津京遷都の時代背景」(大津市)には、この2つに加えて、南滋賀町廃寺跡穴太廃寺跡の名前がありました。この中に衣川廃寺跡も入れて欲しいと思うのは、ただの贔屓目でしょうか。というのも、衣川もまた大友皇子(天智天皇の息子)とゆかりの深い土地だからです。

衣川には、大友皇子が最期を迎えた地であるという伝承が1300年以上にわたってあります。壬申の乱に敗れた大友皇子は、従者とともに衣川に落ち延びて、乗ってきた馬の「鞍」を柳の木に「掛」けると、自ら命を絶ったと伝わっています(鞍掛神社の伝承)。

もしかして、皇子が衣川を選んだのなら、それは衣川寺があったからかもしれません。7世紀と言えば仏教は日本に伝わっていて、政情不安の中、高貴な人たちは仏教を心のよりどころにしていました。最期に寺を訪ねてもおかしくありません。今回改めて思い出したのは、随筆家の白洲正子さんが大友皇子について触れた一節でした。
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衣川城跡/衣川のお地蔵さんと鞍掛神社の伝承 (滋賀県大津市衣川)

衣川城跡

滋賀県大津市衣川に、琵琶湖の見える閑静な住宅街があります。衣川台です。JR堅田駅から高架に沿って歩き、天神川の明神橋を渡って歩くこと、約20分。先日ご紹介した鞍掛神社へ続く坂道を登っていくと、右手に児童公園があります。

公園の入り口近くには、なんと、「衣川城跡」の石碑が!突然出合った歴史ミステリー、ずっと気になっていました。衣川城について分かっていることはとても限られていて、案内板に書いていることや資料をまとめると、次のような感じです。

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しばらく衣川特集です!(滋賀県大津市衣川)

衣川地区の田んぼと三上山

このブログは、2007年に、琵琶湖畔の町・堅田の写真を掲載したことから始まったブログです。堅田は滋賀県大津市北部に位置するまちで、南北に西近江路(北国海道)、西は京都の大原で、東は琵琶湖、しかも琵琶湖の最狭部(幅が最も狭いところ)にあるため、古くから交通の要所でした。

堅田の南西に広がるのが、衣川(きぬがわ)という地区です。近世には西近江路の宿駅(衣川宿)が置かれたところで、近江国(滋賀)大津から高島を経て、越前国(福井)へと、古来から多くの往来がありました。

衣川と堅田との地理的・歴史的な結びつきは強く、堅田を調べていると一緒に出てくることが多い地区でもあります。江戸時代に堅田藩が置かれたときも、衣川村は本堅田村とともに堅田藩の領地となりました。

そういえば、先月研究者の方から聞いた話の中に、「江戸時代に松平春嶽(第16代越前福井藩主)の一行が衣川宿に泊まったが、行列の人数が多すぎて、春嶽は本堅田の本福寺に急遽宿を求めたという記録が残っている」という話がありました。

先日の当ブログでは、堅田駅から30分程歩いたところにある「梅宮神社」をご紹介しました。2月21日に衣川を歩き、まだまだご紹介していない素敵な風景があるなと実感しています。これまで衣川天満宮天神川緑地鞍掛神社などをご紹介してきましたが、今回改めて衣川を特集することにしました。

しばらく衣川特集です!(滋賀県大津市衣川)

◆掲載済み
梅の花と、大津市衣川の梅宮神社(後編)(2016/2/21撮影)
梅の花と、大津市衣川の梅宮神社(前編)(2016/2/21撮影)

◆バックナンバーにて掲載済み
鞍掛神社(天智天皇の子、大友皇子が最期を迎えた場所という伝承が残る地)
衣川天満宮
天神川緑地
堅田駅北側(山の手)の再開発-2015年と2009年秋の写真とともに
江戸時代の堅田と堅田藩、大庄屋と居初氏について(後編)(滋賀郡衣川村)

◆次回以降予定(掲載随時・順不同)
鞍掛神社と梅の花(2016/2/21撮影)
衣川城跡/衣川のお地蔵さんと鞍掛神社の伝承
JRの見える風景(衣川台から)⇒貨物列車「レッドサンダー」、早春のJR湖西線を走る

稲荷神社とJR湖西線、三上山の見える風景
国指定史跡「衣川廃寺跡」
幻の龍瑞寺(堅田藩主堀田正高の祈願寺)

北国海道道標と榎(衣川1丁目~本堅田5丁目)⇒坂本に残る「衣川北国道」の道標~北国海道と衣川の話

西羅古墳

明神橋から見た堅田駅方面・再開発の様子⇒堅田駅西口(山の手)の再開発、進む-2016年4月(2009年、2015年の写真とともに)

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大津市のマンホールの蓋

マンホールの蓋

撮影した写真を整理していたら、大津市の「マンホールの蓋」の写真が出てきました。
撮影したのはもちろん堅田なのですが、左上の観覧車?らしきもの、あれはやっぱりイーゴス108なのかな・・・

観覧車
在りし日のイーゴス108です。こちらがモデルだったのでしょうね。

マンホールの蓋
上から時計回りに(若干蛇行しながら)、蓋に何が描いてあるのか見てみます。

観覧車(イーゴス108)、ユリカモメ?、琵琶湖大橋、ミシガン(琵琶湖の遊覧船)、花火(大津の花火大会)、競技ボート、スミレ?(←松尾芭蕉が大津で読んだ句「山路(やまじ)来て 何やらゆかし 菫草」を連想)、左下は良く分からないけど、あとはヨットと雲。そんなところでしょうか。

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安曇河御厨(あどがわのみくりや)と供祭人(ぐさいにん)

以前、滋賀県高島市安曇川町在住の方から、安曇川にも「御厨」(みくりや)があり、神社に魚を奉納する「献饌」を行っていたと伺ったことがありました。今回改めて調べてみたところ、非常に興味深い話が見つかりました。

琵琶湖畔の堅田は、平安時代に京都の下鴨神社の「御厨」(みくりや)として”琵琶湖の鮒(ふな)”を奉納していた歴史があります。

なんと、堅田が下鴨神社の御厨になったのと同じ1090年に、安曇川の北船木は「上賀茂神社」の御厨となり、献饌をおこなっていたというのです。(安曇川(高島市観光情報)

御厨 みくりや
古代,中世の神社の荘園である神領。厨とは元来台所で,神に供える神饌調理の屋舎をいったが,のちその材料を供給する土地を称した
コトバンク:御厨(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)

神主さんと
堅田の場合は、魚を奉納する人々を「供御人」(くごにん)と呼びますが、安曇川では「供祭人」(ぐさいにん)と呼ぶそうです。

堅田では、毎年5月14日(葵祭の前日)に京都の下鴨神社で琵琶湖の鮒(ふな)を奉納する「献饌供御人行列」(けんせんくごにんぎょうれつ)が行われています。

他方、上賀茂神社では毎年10月1日に「安曇川献進祭」(あどがわけんしんさい)を行っておられます!(詳細は上賀茂神社のホームページをご参照下さい)

安曇川献進祭の写真は上賀茂神社のfacebookに掲載されています。

▼まとめ:堅田と安曇川の御厨

◎共通点
・賀茂神社(上賀茂・下鴨両社)と延暦寺の荘園だった

・琵琶湖岸の御厨となる(ともに1090年)
・漁業特権を与えられていた
・湖上交通の要所で、延暦寺の湖上関が置かれた(堅田関・船木関)

○堅田(滋賀県大津市本堅田)
・下鴨神社の御厨
・供御人(くごにん)・・・下鴨神社に湖魚を奉納する人
・献饌供御人行列(毎年5/14@本堅田&下鴨神社)、フナとフナ寿司を奉納

○安曇川(滋賀県高島市安曇川町北船木)
・上賀茂神社の御厨
・供祭人(ぐさいにん)・・・上賀茂神社に湖魚を奉納する人
・安曇川献進祭(毎年10/1@上賀茂神社)、「アメノウオ」を奉納
※葵祭(毎年5/15)には、氷と塩でしめたアユを干した「干しアユ」を上賀茂神社へ奉納されているそうです。(参照:安曇川やな漁・高島市安曇川町~その1

【供祭人】
…山城(京都府)の賀茂神社(上賀茂・下鴨両社)が各地に領有した御厨(みくりや)の住民で,漁猟に従事し,供祭物(神前への供物)としての魚類の貢進を任とした人々。1090年(寛治4)白河上皇が賀茂両社にそれぞれ不輸田600余町を寄進するとともに,御厨を諸国に分置したが,それ以前からのものも含め,両社は琵琶湖岸や瀬戸内海周辺に多くの御厨を領有した。上社の近江安曇河(あどがわ)御厨では,寛治の寄進以後同社神人(じにん)となった52人について,人別に3町の公田を引き募って神田とし,贄(にえ)を貢進させたと伝え,その数年前に下社が社領とした摂津の長洲御厨の場合は,以来〈海中の網人を招き寄せ,河漁にたずさわる輩を語らい寄せて,数百家をいざないすえ,供祭人となした〉といわれる。…

【船木荘】
…彼らは11世紀末には賀茂社の供祭人としての身分を得,安曇川流域や琵琶湖での漁労特権を保証された。この供祭人に与えられた雑免田(ぞうめんでん)を中心に成立したのが賀茂社領安曇川御厨(あどがわのみくりや)である。船木浜(北浜,中浜等々)には南北朝末期には延暦寺の管理する船木関が置かれ,琵琶湖を通行する船から関銭を徴収した。…
コトバンク(世界大百科事典内の安曇川(河)御厨の言及)

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