松尾芭蕉と堅田2:俳文「堅田十六夜の弁」全文(滋賀県大津市本堅田)

浮御堂の見える公園

近江八景の一つとして知られる堅田の浮御堂の近くに、十六夜公園という名前の公園があります。公園の名前は、松尾芭蕉の俳文「堅田十六夜の弁」にちなみます。

元禄4年(1691)8月16日、芭蕉は堅田の竹内茂兵衛成秀(たけうちもへいなりひで)の家で俳句の席を催しました。この夜の様子を記して成秀に贈ったのが、俳文「堅田十六夜の弁」(かたたいざよいのべん)です。 続きを読む →

松尾芭蕉と堅田1:芭蕉の句碑5か所と宝井其角寓居跡(滋賀県大津市本堅田)・芭蕉と大津

本福寺にある千那の句碑

堅田と芭蕉:

芭蕉が大津に来たきっかけとなったのは、 本堅田にある本福寺第十一代住職明式の案内があったからだといわれています。

明式は芭蕉の弟子となり、貞享2年(1685)「千那」(せんな)の俳号を与えられました。以来、芭蕉はしばしば堅田を訪れて、堅田の人々と親交を深めるとともに多くの句を残しています。 続きを読む →

竹生島をめぐる冒険(3) 謡曲「竹生島」と徳川家康の愛した「うさぎ」―波兎文様

夜の竹生島のイメージ

月明かりに照らされた琵琶湖。その湖面に白い波が立つさまは、何匹もの兎(うさぎ)が飛び跳ねているようだ・・・と、昔の人は考えたらしい。

波間を兎が飛び跳ねている図柄は、波兎文様(なみうさぎ もんよう)と呼ばれる。

波と兎の組み合わせは、謡曲『竹生島』(ちくぶしま)の一節「緑樹(りょくじゅ)影沈んで 魚木に上る気色あり 月海上に浮かんでは 兎も波を奔(かけ)るか 面白の島の景色や」に由来するとされている。

波兎文様は桃山時代から江戸時代初期にかけて流行した。徳川家康の孫である千姫の輿に使われたと言う話があるし、豊臣秀吉の七回忌法要を描いた「豊国祭礼図屏風」の中にも見られる。

江戸時代初期以降も、衣装・家紋・建築(欄間彫刻)・陶磁器・蒔絵などに広く見られ、愛されているデザインである。

ところで、どうして兎なのだろうか。波の上を走る兎の意味するものとは。

 

琵琶湖に向かって建つ都久生須麻神社鳥居

 

月と兎

謡曲『竹生島』の一節「月海上に浮かんでは 兎も波を走るか 面白の島の景色や」から生まれた波兎文様。
「月と兎」と言うと、何を連想されるだろうか。

日本人にとっては、月で餅つきをするうさぎ、あるいは因幡の白兎のイメージが強いかもしれない。

中国では、兎は月で(餅ではなく)不老不死の薬をつく動物とされてきた。もともと中国では月は水の精と考えられており(月の満ち欠けと潮汐の関係との事。参照:月兎)、兎は水の精を連想させる。

波兎文様の「波と兎」の組み合わせは「月と兎」と同じ意味を持ち、不老不死・慶兆の象徴として大衆にも広まっていったという(参照:波と兎)。

 

家康の羽織にも使われた波兎文様

この波兎文様を愛した戦国大名がいる。天下人、徳川家康である。

名古屋の徳川美術館には、徳川家康が着用した羽織の数々が残されており、その中に黄金色地白い兎と白い波模様の羽織(辻ヶ花染)がある。

続きを読む →

竹生島をめぐる冒険(2) 徳川家康、秀吉の威光を琵琶湖の島に封じ込める―豊国廟唐門の移築

伊吹山から見た竹生島と琵琶湖

ちょうど今、NHKの大河ドラマ『真田丸』で大坂冬の陣の直前を放送しているが、大坂冬の陣が起きたのは慶長19年 (1614) の冬である。

同じ年の7月には、大坂の陣のきっかけとなった方広寺鐘銘事件が起きている。

豊臣秀吉の死後、家康が豊臣家の財力をなんとか削ごうとして、秀吉の供養と称して秀頼に寺社仏閣への寄進を勧めたのは有名な話だ。秀頼は京都の神社に数々の寄進を行ったので、京の町衆に人気があったという。

実は方広寺鐘銘事件の約10年前、慶長7年~8年(1602-1603)に、秀頼は秀吉の霊廟(豊国廟)の門を琵琶湖に浮かぶ竹生島に寄進している。この門は極楽門(唐門)と呼ばれ、もとは大坂城極楽橋の門だった。現在は国宝に指定されている。

豊国廟は当時、京都の東山にあった。秀頼はなぜ、湖上の島に父親の霊廟の門を移築しなければならなかったのか。

 

竹生島

豊国廟極楽門(唐門)が竹生島に移築された1603年は、江戸幕府が開かれた年である。竹生島へは秀頼が寄進したとされるが、資料を見る限り、実質的に家康が決めた話のようである。

豊国廟の僧侶だった神龍院梵舜の日記『舜旧記』の中に、慶長7年(1602年)6月11日、「今日ヨリ豊国極楽門、内府(注:内大臣=末期豊臣政権の五大老だった家康)ヨリ竹生嶋へ依寄進、壊始」と出てくるのだ。

続きを読む →

竹生島をめぐる冒険(1) 2つの都久生須麻神社―弁才天と龍神信仰 

都久生須麻神社(滋賀県大津市本堅田)

琵琶湖に浮かぶ竹生島。古くから弁才天と龍神を祀って来た信仰の島で、宝厳寺と都久生須麻神社がある。しかし、同名の神社が滋賀県大津市本堅田にあることは、ほとんど知られていない。

本堅田の都久生須麻神社(つくぶすま じんじゃ)境内には、「喜動大弁財天」「竹生島龍神」と刻まれた石(ご神体)がある。そして本殿の祭神は、竹生島同様「弁財天」だという。そんな話を以前書いたことがある。

■JR湖西線・堅田駅⇔浮御堂周辺散歩■56 ~Honkatata/本堅田 068-069

あれから8年経ち、文化財の撮影で各地をめぐった。まるでジグソーパズルのピースを集めるように、竹生島にまつわる意外な話と出合ってきた。というのも、琵琶湖上の島であるがゆえに、歴史のタイムカプセルのように秘められた話が出てくるのだ。

今回は、当時掲載していなかった、本堅田の都久生須麻神社のご神体写真(下記)を紹介するとともに、竹生島をめぐる深い話を書いてみたい。

続きを読む →

堅田駅西口(山の手)の再開発、進む-2016年4月(2009年、2015年の写真とともに)

堅田駅西口(山の手)の再開発が進んでいます。一番奥に見えているのが堅田駅です。西口のロータリーは工事中なので、駅から写真の交差点まで車は入ってこれませんが(2016年4月現在)、真野の中村八幡宮からここまで歩いてくることはできました。

中村八幡宮の桜

ちなみに、こちらが真野の中村八幡宮(社寺林と桜)です。さきほどの交差点からさほど離れていない場所で撮影しています(2016年4月12日)。


さきほどの道沿いに衣川の方向へ歩いていくと、江若バスの営業所があります(本堅田6丁目)。

以前はどんな感じだったかというと・・・
(下の写真は2009年4月11日に撮影したものです。)

バスの寝床、うららかな春の日に(江若交通堅田営業所)

バスの寝床、うららかな春の日に(江若交通堅田営業所) ~Honkatata/本堅田 238


畑の脇の道を歩く猫

かつての本堅田6丁目では、畑の脇の道を歩く立派な猫と出会ったことも・・・

Honkatata/本堅田 041


この道は衣川天満宮そば(明神橋)まで続いています。本堅田6丁目の途中で通行止めになっていました。逆に明神橋から、堅田駅方面を見たときの写真を再掲します(2015年12月8日撮影)。↓

新しい道

堅田駅北側(山の手)の再開発-2015年と2009年秋の写真とともに


新しい道

こちらは同じ場所から2016年2月21日に撮影したものです。アスファルトの舗装がほぼ終わっていますね。ちなみに、写真のお兄さんが覗き込んでいる看板はこちらです↓

拡大写真はこちら(←リンク先ページで「4本矢印マーク」を押すと拡大します)

どうやら平成34年度まで続く工事のようですね。本堅田衣川線と呼ぶ道路のようです。同じ時代に立ち会ったのも何かの縁なので、変わり行く姿をしっかり見届けたいです。

※今回で衣川特集続編(全3回)を終わります。
Copyright(c)Jun Kanematsu/junphotoworks.com(兼松純写真事務所)

 

西羅古墳(滋賀県大津市衣川)

西羅1号古墳

衣川(きぬがわ)特集の続編です。

今回掲載するのは、大津市衣川2丁目9の西羅古墳(にしらこふん・西羅1号古墳)です。左側の階段を上っていくと、墓地の隅に大津市設置の現地案内版があります。

案内版によれば、「堅田丘陵の東部、天神川と御呂戸川の間の入り込んだ丘陵地に位置し、・・・帆立貝式とも呼ばれる前方後円墳」で「全長46m」。「古墳時代中期の五世紀後半頃」に造られたと推定されています。

大津の古墳は琵琶湖に向けて造られているものが多いのですが、この古墳も例外ではありません。

案内版の場所からはそれ以上は近づくことができませんでした。近くにもう一箇所、別の墓地へと続く山道(階段)があるのですが、そちらも墓地だけのようだったのですぐに帰りました。

初めて衣川に行ったのは2013年3月、鞍掛神社を訪ねた帰りでした。古墳の場所が分からなくて、早春の衣川台をとぼとぼと歩いた記憶があります。探していた古墳は衣川台南自治会館の前にありました。そして自治会館をはさんだ南側にあるのが、なんと衣川廃寺跡だったのでした!

衣川廃寺については、以前にこちらでご紹介しています。↓

国指定史跡「衣川廃寺跡」(滋賀県大津市衣川)

春日山古墳群の円墳

堅田周辺は古墳の宝庫で、春日山古墳群が知られています。春日山公園へ行くと円墳を見ることができますよ!

春日山古墳群(前編) ~春日山公園から1


妙法寺の門と桜

春日山古墳群の入り口は、本堅田6丁目の妙法寺さんの隣にあります。左奥に続く山道の向こうに何があるのか見てみたいのですが、道の概要が分からないのと、女一人だと不測の事態があると難なので行けていません。

妙法寺さんの屋根が見える高台までは、何度か行ってみたことがあります。堅田駅前とアルプラザ堅田と湖西線がよく見えて、眺めのいい場所でした。本堅田や衣川の方は、犬の散歩や山菜取りで入られているようです。春日山古墳探検部を募集したい心境です。

堅田の高台を歩く(6) 山桜(春日山古墳群へ続く道にて) ~Honkatata/本堅田 247-248 

Copyright(c)Jun Kanematsu/junphotoworks.com(兼松純写真事務所)

坂本に残る「衣川北国道」の道標~北国海道と衣川の話(滋賀県大津市衣川)

衣川北国道の道標

山王祭直前の3月中旬。比叡山の門前町・坂本で、思いがけない道標と出会いました。「左 衣川 北国道」と刻まれています。

場所は坂本3丁目の大神門神社の境内で、京阪坂本駅から湖岸へ下っていく道(井神通り)に面した神社です。

衣川北国道の道標

こちらが大神門神社(だいしんもん じんじゃ)です。
大神門神社と並ぶようにして日吉神社一の鳥居が見えますね。それが井神通りです。

ところでなぜ、坂本に衣川(きぬがわ)の道標があるのか??不思議でした。
答えは北国海道にありました。坂本も衣川も北国海道のそばの町なのです。

北国海道は西近江路とも呼ばれ、司馬遼太郎さんが『街道をゆく』で最初に取り上げた道です。現在の国道161号線といえば分かりやすいかもしれません。

衣川と北国海道については、前回特集のときの冒頭の文章を再掲しておきます。

このブログは、2007年に、琵琶湖畔の町・堅田の写真を掲載したことから始まったブログです。堅田は滋賀県大津市北部に位置するまちで、南北に西近江路(北国海道)、西は京都の大原で、東は琵琶湖、しかも琵琶湖の最狭部(幅が最も狭いところ)にあるため、古くから交通の要所でした。

堅田の南西に広がるのが、衣川(きぬがわ)という地区です。近世には西近江路の宿駅(衣川宿)が置かれたところで、近江国(滋賀)大津から高島を経て、越前国(福井)へと、古来から多くの往来がありました。

続きを読む →