出島灯台と今堅田の寺社(伊豆神田神社・海蔵寺・泉福寺・野神神社)

堅田内湖に面した民家と渡し場

琵琶湖大橋の大津側に位置するのが、今堅田(滋賀県大津市今堅田)です。
琵琶湖堅田内湖にはさまれた今堅田1丁目は、中世から造船業の町として栄えました。
水辺に美しい町並みと杢兵衛造船所があります。

1枚目は内湖、2枚目以降は琵琶湖畔で撮影。
※3枚目以降の写真で、発表年の記載の無いものは2017年1月1日に撮影し、1月14日に当ページへ追加掲載しています。

春の琵琶湖畔

雪の琵琶湖とヨシ原

琵琶湖とヨシ原と琵琶湖大橋

琵琶湖とヨシ原と琵琶湖大橋

琵琶湖大橋を望む造船所跡の鉄柱

造船所跡の鉄柱の向こうに、琵琶湖大橋。
この柱は船を進水させるときに使われた柱だそうです。


杢兵衛造船所と船

今堅田の杢兵衛造船所。琵琶湖に面した老舗の造船所です。
修理中の船が見えていますね。

水路をはさんで出島灯台があります。

琵琶湖と出島灯台

堅田内湖の地図

 

目次
1.堅田の町について
2.本堅田の寺社
3.居初氏庭園と堅田教会、堅田の句碑・文学碑・顕彰碑、芭蕉の句碑
4.出島灯台と今堅田の寺社(伊豆神田神社・海蔵寺・泉福寺・野神神社)
4-1.出島灯台
4-2.今堅田の寺社(伊豆神田神社・海蔵寺・泉福寺・野神神社)

5.江戸時代の堅田と堅田藩、大庄屋と居初氏について

 

4-1.出島灯台

出島灯台

出島灯台(でけじまとうだい)

~明治に建てられた木造の灯台~

今堅田の浜の突端に建つこの灯台は、高さ約7.8メートルの高床式木造灯台です。

かつて湖上関があったと言われるこの場所は、琵琶湖がくびれて対岸が迫っており、
座礁や難破事故が絶えなかった難所でもありました。

近年に入ってからも舟の出入りが多かったことから、明治8年(1875年)
航行の安全を願って建てられたものです。 現在は、児童公園の奥に残っています。

昭和36年(1961)9月の第二室戸台風により倒壊寸前の状態となりましたが、
地元の皆さんの熱心な保存運動により、 昭和48年(1973)復旧されました。

四本の柱と中心に立つ支柱の計5本の柱で支え、支柱の頭部に火袋を取り付けています。
光源は大正7年(1918)年までランプを使用、以後は電灯になりました。

第二室戸台風で一度その火は途絶えましたが、地元有志の皆さんの手で 平成元年(1989)から
点灯が再開
され、現在に至っています。

 

所在地 滋賀県大津市今堅田1丁目22
閑静な住宅街の一角にあり、駐車場はありませんので、ご注意下さい。

今堅田・出島灯台へのアクセス
◆最寄り駅 JR堅田駅(京都駅から湖西線で約20分)

◆バス 堅田駅より5分、江若交通(こうじゃくこうつう) 
琵琶湖大橋線「今堅田出島灯台」(いまかたた・でけじまとうだい)下車

◆徒歩 堅田駅より徒歩30分(約1.5キロ)。
湖岸へ直進、堅田漁港入り口で左折し泉福寺まで直進して下さい。
地蔵堂の脇の道へ入り、すぐ右折し、住宅街を抜けて下さい。

◆車・バス・徒歩共通の追加情報→ 今堅田出島灯台について(追加)

 

4-2.今堅田の寺社(伊豆神田神社・海蔵寺・泉福寺・野神神社)

伊豆神田神社

伊豆神田神社の鳥居
伊豆神田神社の由緒
伊豆神田神社の社殿と御神木

由緒に、貞観二年(860)に伊岐宿禰是雄が堅田浦の関屋浜に神田神社を勧請し、
昌泰三年(900)に伊豆神社を合祀したとあります(写真1枚目・2枚目)。

御神木は樹齢約400年のムクノキ(椋)で、社殿の脇にあります(写真3枚目)。
東側に琵琶湖大橋、西側に堅田内湖を望む絶好のロケーションは、まさに水辺の神様です。

所在地 滋賀県大津市今堅田1丁目
拝観 境内自由
◆伊豆神田神社の写真(バックナンバー)⇒https://katata.info/tag/izukanda-shrine/



海蔵寺

海蔵寺・門

曹洞宗の寺で、境内には道元(曹洞宗宗祖)の歌碑があります。

「にほの海や 矢橋のおき乃 渡し舟 おしても人に あふみならはや」
(藤葉和歌集 道元法師)

琵琶湖の矢橋の沖にみゆる渡し舟の景色に、
中国から帰国したばかりの若き道元の心に映ったものは・・、

これからの立宗への決意か、それとも、絶ちがたき亡き父母への恋慕の情か・・。

沙門道元、正統の佛道を引継ぎ宗旨を立する数年前の歌である。
境内にある案内板より(2008年)

海蔵寺(曹洞宗)
所在地 滋賀県大津市今堅田1丁目6-15
電話番号 077-572-0126
拝観 境内自由
◆海蔵寺の写真(バックナンバー)⇒https://katata.info/tag/kaizouji-temple/



泉福寺

蓮如上人と、毛糸の帽子

堅田は町を挙げて蓮如を匿った歴史があり、蓮如に対する信仰の厚い土地です。

蓮如上人といえば、室町時代の僧侶。浄土真宗の中興の祖です。
親鸞の直系として生まれながら数々の迫害を受け、
京都から脱出して堅田に滞在した時期がありました(1465年~)。

比叡山延暦寺の衆徒が堅田を攻撃しますが、堅田は町を挙げて蓮如を守り抜きます。
1468年、堅田大責(かたたおおぜめ)と呼ばれる歴史上の事件です。
この年、蓮如は比叡山に近い堅田の地をあきらめ、北陸へと向かうことになります。

泉福寺(真宗大谷派)
所在地 滋賀県大津市今堅田1丁目5-29
電話番号 077-573-1757
拝観 境内自由
◆泉福寺の写真(バックナンバー)⇒https://katata.info/tag/senpukuji-temple/

 

2020/1/18追記:泉福寺と今堅田城

明智光秀によって落城した今堅田城は、泉福寺の辺りにあったと言われています。
『太平記』によれば泉福寺の住職(堀口氏)は清和源氏の新田氏の一族が今堅田に定住したとされています。

当ページの野神神社の紹介にある通り、今堅田は新田義貞とゆかりの深い土地です。
『日本城郭体系11』によれば今堅田城を開城したのは堀口掃部介貞祐で、
その父・貞満は「新田義貞にしたがって武勇をたてた人物」と伝わっています。

明智光秀と今堅田城(滋賀県大津市今堅田)



野神神社

野神神社鳥居

新田義貞の妻・匂当内侍(こうとうないし)の塚の場所に建立された神社です。

匂当内侍の墓石

南北朝時代、匂当内侍は後醍醐天皇の寵愛を受けて御所に仕えていました。
ある月の夜、内侍は新田義貞と出会い、愛し合うようになります。

しかし、足利尊氏の上洛によって義貞は越前に向かい、内侍を今堅田に残していきました。
3年後の延元三年(1338)7月2日、義貞は越前国藤島で戦死します。
義貞の死を伝え聞いた内侍は、悲しみのあまり琵琶湖に身を投げたといいます。

村人たちは内侍の死を哀れんで塚を築き、明応六年(1497)には、塚の場所に野神神社を建立しました。
内侍の命日にあたる10月8日・9日(旧暦9月9日)には、内侍の霊を弔う「野神祭り」が行われています。
(出典:湖族の郷資料館配布の「堅田ウォーキングマップ」、大津市教育委員会作成の案内板)

※2017/10/6追記:現在は10月第三日曜日に、伊豆神田神社の氏子さんによって実施されています
(10時から例大祭、夜8時から松明行列)。2017年は10/15(日)開催でした。

所在地 滋賀県大津市今堅田2丁目32
拝観 境内自由
◆野神神社の写真(バックナンバー)⇒https://katata.info/tag/nogami-shrine/

◆今堅田の風景写真はバックナンバーからご覧いただけます⇒https://katata.info/category/katata/imakatata/

 

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