日野ひなまつり紀行(滋賀県蒲生郡日野町)

日野ひなまつり紀行

もうすぐ「ひな祭り」ですね。以前撮影した写真の中から、滋賀県日野町の「日野ひなまつり紀行」の様子を掲載します。とても華やかなお雛様なので、しばしお楽しみいただけたら幸いです。

日野ひなまつり紀行は、毎年2月から3月にかけて滋賀県日野町一帯で開催されている催しです。日野は多くの近江商人を輩出した町で、中でも日野商人は、江戸時代に主に関東で活躍し、日野椀(後に置き薬)の行商で栄えました。

「日野ひなまつり紀行」では、日野商人を彷彿とさせる商家を中心に、日野の街中で数々のひな人形が展示されています。

日野ひなまつり紀行

日野ひなまつり紀行

日野ひなまつり紀行

日野ひなまつり紀行


日野ひなまつり紀行

日野の町を歩くと印象に残るのが、日野祭を見るための独特の切り窓「桟敷窓」です。板壁に穴を開けて、年に一度祭りを見物します。

下記はバックナンバーより、5月3日の日野祭本祭当日の写真です。

日野祭本祭-12

日野祭本祭-11

日野を語る上で欠かせないのが、名君と言われる蒲生氏郷(がもう うじさと)です。蒲生氏は戦国時代に当地を治めた武将で、日野の城下町の整備を行った一族でした。

蒲生氏郷は早くから織田信長に見込まれ、信長の娘(冬姫)と結婚します。日野では楽市楽座を開き、蒲生氏の氏神である馬見岡綿向神社を厚く保護しました。

本能寺の変の後は豊臣秀吉に仕え、伊勢松阪城主を経て、陸奥会津の黒川城主(会津若松城主)となりました。


日野ひなまつり紀行

日野の馬見岡綿向神社の参道周辺には「若松の杜」があったと言われます(写真)。この「若松の杜」にちなんで、蒲生氏郷は会津の黒川を「若松」へと改めました。これが現在の福島県会津若松市です。

会津若松城が鶴ヶ城とも呼ばれるのは、氏郷の幼名(鶴千代)と蒲生家の家紋(舞鶴)にちなむものだと言われています。初めてこの話を聞いた時は、滋賀と会津若松にこんな繋がりがあったことに、本当にびっくりしました。

日野ひなまつり紀行

馬見岡綿向神社(うまみおか わたむきじんじゃ)。

蒲生家の氏神として庇護を受け、江戸時代には日野商人が数々の寄進を行っています。5月2日・3日の日野祭は綿向神社の春の例祭で、湖東地方最大の春祭りです。

由緒には、鈴鹿山脈の綿向山に祀った綿向大神(天穂日命)を、796年に現在地に遷したとあります。いわゆる里宮にあたり、現在も奥宮は綿向山(標高1,110m)の頂上にあります。

この撮影をした当時、綿向神社で貴重な雛人形をたくさん見せていただきました。今年も展示されているそうです(今年の日野ひなまつり紀行は2020年3月8日まで)。下記はすべて綿向神社で撮影したものです。


日野ひなまつり紀行

日野ひなまつり紀行

↑こちらは明治14年4月に京都で作られた逸品。明治22年1月に、京都の下鴨神社の社家であった鴨脚(いちょう)家より、鴨脚光朝さんの妹の為子さんが綿向神社宮司の社威信(やしろ たかのぶ)氏に嫁いだ際、持参したという雛人形です。

日野ひなまつり紀行

日野ひなまつり紀行

日野ひなまつり紀行

日野ひなまつり紀行


日野ひなまつり紀行

綿向山(標高1,110m)と日野の町です。帰りに近江鉄道の車窓より撮影しました。
この山頂に先程触れた綿向神社の奥宮があります。

一帯は古くから「蒲生野」と呼ばれ、万葉集にも歌われた歴史の故郷です。
こういった風景を末永く皆様にご紹介していけたらいいなと思っています。

◇撮影年月日:2014年3月3日
◇撮影地:滋賀県蒲生郡日野町

Copyright(c) Jun Kanematsu / junphotoworks.com(兼松純写真事務所)

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