街道をゆく「湖西のみち」北小松と堅田の話(滋賀県大津市)

北小松の町並みと113系の走る風景

前々回、琵琶湖の西を通る「西近江路」(北国海道)のことを書きました。(1月11日、西近江路の町「衣川」を歩く(滋賀県大津市衣川)

その中で触れなかった話を、補足として書いておこうと思います。
司馬遼太郎さんの『街道をゆく』の冒頭に出てくる「湖西のみち」の話です。

最初に読んだときは「湖西のみち」とは西近江路(北国海道)のことかな?くらいにしか思っていませんでした。

今改めて読み返すと、「湖西」とはどこをさすのか、そして北小松の箇所で堅田の話が出てくることに気づくなど、再認識させられることばかりでした。忘れないうちにここに書いておこうと思います。結構長文です。

 

西近江路(北国海道)は、現在の国道161号線です。

国道161号線
※拡大地図はこちら
© OpenStreetMap contributors [CC BY-SA]

国道161号線は、滋賀県大津市から福井県敦賀市まで続いています。

一方、司馬さんの「湖西のみち」は大津市から高島市へ北上し、地図で言うと「高島市」の箇所から西へ入っています。

 

「湖西のみち」と西近江路(北国海道)

数年前に滋賀県大津市衣川のことを取り上げたとき、「西近江路は『街道をゆく』の最初に司馬遼太郎さんが取り上げた道です。」と書きました。

ところが、司馬さんは近江と渡来人について考察しながら、大津市を北上して高島市安曇川から朽木へ行き、歴史上の人物に思いをはせて朽木の興聖寺で話が終わっています。

むしろ「湖西のみち」とは琵琶湖の西側の道というニュアンスで表現されたのであって、「近江国(滋賀)大津から高島を経て、越前国(福井)へ至る街道」である西近江路と断言してしまうのもどうなのかと思い、後でそのくだりを削除しました。

こちらの記事の冒頭部分にあたりますが、また後で書き直すかもしれません。

しばらく衣川特集です!(滋賀県大津市衣川)

 

湖西(こせい)とは

湖西(こせい)は滋賀県西部を表すときの言葉で、琵琶湖の西側のエリアの意味ですが大津市北部(小松・木戸・和邇・小野・葛川・伊香立・真野北・真野・堅田・仰木・仰木の里の11学区地域)と高島市をさすのが一般的です。

私は生まれてから10年以上大津市民でしたが、周りの大人は大津市南部のことを決して湖西とは言いませんでした。

大津市南部に分類される「膳所」と「三井寺」周辺に暮らしておりましたが、湖西とは大津の北のほうで、よく時雨れて、ちょうど堅田から向こうで(行くには遠い)…湖西は別の場所だと、子ども心にはそういう感覚でした。

堅田は合併で大津市になった町ですが、湖西(下の地図で言う近江西部)では一番南に位置する町です。地理的・気候的にもちょうど境界に当たる重要な場所なんだと再認識した次第です。

ちなみに静岡県の湖西市(こさいし)と時折混同されることがありますが、滋賀の場合は自治体名ではありませんので書き添えておきます。

気象庁の滋賀県の区分
出典:気象庁 (Japan Meteorological Agency) [CC BY (https://creativecommons.org/licenses/by/4.0)] via Wikimedia Commons [CC BY](この図はクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。)

滋賀県:地理・地域:地域区分

明治時代以降、琵琶湖を中心に湖南(こなん)・湖東(ことう)・湖北(こほく)・湖西(こせい)に4区分するのが一般的となった。この4区分以外に区分される場合もあり、例えば2017年時点で滋賀県では大津地域、甲賀地域、東近江地域、湖東地域、湖北地域、高島地域の7地域に区分がされている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/滋賀県


今改めて、街道をゆく「湖西のみち」を読んでみると…北小松の中に堅田の話が出てきました!

北小松駅から見た琵琶湖の眺め
北小松駅から見た琵琶湖の眺め(滋賀県大津市北小松)/ Lake Biwa from Kitakomatsu station ( Kitakomatsu,Otsu, Shiga, Japan).

改めて、西近江路について。

西近江路の通る町と言えば、明智光秀の坂本城で知られる坂本(滋賀県大津市坂本)、前々回ご紹介した衣川(きぬがわ、滋賀県大津市衣川)、当ブログの名前の由来となった堅田(滋賀県大津市本堅田・今堅田・堅田)があります。

西近江路(にしおうみじ)は、近江国(滋賀県)から越前国へ通じる街道で、古代・中世の北陸道北国海道、北国脇往還、北国往還、北国脇道とも。1887年(明治20年)に西近江路として県道となりこの名称が定着した。古より都と北陸を結ぶ道として人の往来が多いだけでなく、壬申の乱、藤原仲麻呂の乱、治承・寿永の乱(源平合戦)、織田信長の朝倉攻め(一乗谷城の戦い・金ヶ崎の戦い・小谷城の戦い)などでは大軍が移動している。また、平安時代の遣渤海使もこの道を通るなど、交流の道でもあった。https://ja.wikipedia.org/wiki/西近江路

今回ご紹介する北小松も、西近江路の宿場でした。

西近江路 経路(近世)

大津宿・札の辻(大津市札の辻) → 衣川宿(大津市衣川) → 和邇宿(大津市和邇中) → 木戸宿(大津市木戸) → 北小松宿(大津市北小松) → 河原市宿(高島市新旭町安井川) → 今津宿(高島市今津町今津) → 海津宿(高島市マキノ町海津) → 敦賀宿(敦賀市元町)

https://ja.wikipedia.org/wiki/西近江路

雪の棚田の前を走っていくJR223系
雪の棚田の前を走っていくJR223系(滋賀県大津市北小松)/ JR Kosei line  (Kitakomatsu,Japan).

街道をゆく1「湖西のみち」より

近江」というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、私には詩がはじまっているほど、この国が好きである。(中略)近江の国はなお、雨の日は雨のふるさとであり、粉雪の降る日は川や湖までが粉雪のふるさとであるよう、においをのこしている。

右手に湖水をみながら堅田をすぎ、真野をすぎ、さらに北へ駆ると左手ににわかに比良山系がおしかぶさってきて、(中略)山がいよいよのしかかるあたりに「小松(北小松)」という古い漁港がある。

北小松の町並みと113系の走る風景
北小松の町並みと113系の走る風景/ Kitakomatsu and JR Kosei line ( Kitakomatsu,Japan).
雪の日の琵琶湖(北小松漁港付近)
雪の日の琵琶湖(北小松漁港)/ Lake Biwa in snowy day near the Kitakomatsu Fishing Port.

中世では近江の湖賊(水軍)という大勢力がこの琵琶湖をおさえていて、堅田がその一大根拠地であった。この小松は堅田に属し、伊藤姓の家がその水軍大将をしていた。織田信長は早くからこの琵琶湖水軍をその傘下に入れ、秀吉は朝鮮ノ陣に船舶兵として徴用し、かれらに玄界灘をわたらせた。

この漁港から湖岸をわずかに北へ行くと、山がいよいよ湖にせまり、その山肌を石垣でやっと食いとめているといったふうの近江最古の神社がある。白鬚神社という。

白鬚神社と琵琶湖
白鬚神社と琵琶湖(滋賀県高島市)/Shirahige shrine and Lake Biwa(Takashima,Shiga,Japan).

比良の暮雪5(琵琶湖の西、小野から近江高島へ。JR湖西線の車窓の風景と、近江の厳島「白鬚神社」)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(40)

 

現在:こぞくと堅田、そして豊臣秀吉について

「こぞく」は現在、湖族と表記されることがほとんどですが、湖族の郷資料館の夏(1) 町屋の2階で一休さんを思うの写真を見ると、川口松太郎さんの『一休さんの門』(昭和58年~翌59年に読売新聞連載)にも司馬さん同様「湖賊」の表現があるので、当時はこちらが一般的だったように感じます。

湖族とは、吉川英治さんが著書「新・平家物語」の中で堅田の人々(堅田衆)を呼んだ言葉です。堅田衆は水運、漁業、船大工などを生業にしていた普通の町衆でした。海賊のような響きがありますが、海賊ではありませんでの念のため。(この話は当ブログで何度か書いております。)

中世の堅田は、大阪の堺のような自治都市だったと言われています。元禄時代、琵琶湖には1200余艘の舟があり、そのうちの約200艘を堅田が所有していたと記録されています。

お手数ですが、地図左下の「+」マークをクリックして拡大の上、堅田町エリアをご覧下さい。

現在の大津市中央3丁目・大津市島ノ関の地図です。ちょうど中央小学校周辺から島ノ関駅の辺りに、上堅田町・下堅田町という2つの町がありました。総称して堅田町と呼ばれ、今は無い歴史上の町です。

1586年(天正14年)、豊臣秀吉坂本城(明智光秀の居城)を廃城とし、現在の大津港(浜大津)の辺りに大津城を築城します。その際に、「大津百艘船」と呼ばれる船株仲間制度を作り、坂本や堅田などの船持に湖上水運の特権を与えました。このとき堅田の船頭を大津の湖岸(いわゆる堅田町)に移住させ、坂本城下の人々をやはり大津の湖岸(いわゆる坂本町)に移住させています。

ちなみに大津の「堅田町」「坂本町」「船頭町」は、船頭が多く居住する町として、古文書にも登場しています。この話は以前に下記記事で書きました。

「大津百町」の中の堅田~かつて大津旧市街に上堅田町・下堅田町と呼ばれた町がありました

 

この「大津百艘船関係資料」1237点が、平成30年に重要文化財に指定されたことを記念して、大津市歴史博物館で企画展が開催されます。

重要文化財「大津百艘船関係資料」指定記念企画展(第81回企画展)
江戸時代の琵琶湖水運 -大津百艘船の航跡-

◆開催期間 令和2年 2月29日(土)~4月12日(日)
◆場所 大津市歴史博物館(滋賀県大津市御陵町2番2号)
◆詳細⇒http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/2002.html

ご関心のある方はぜひどうぞ!(勝手に観光協会でした)

 

当ページの参考文献

当ページの掲載写真(北小松・2009年1月撮影)

特別編8・北小松 (1) 雪の棚田の前を走っていく電車

特別編9・北小松 (2) 北小松の町並み

特別編10・北小松 (3) 北小松駅から見た琵琶湖の眺め

特別編11・北小松 (4) 雪の日の琵琶湖(北小松漁港付近)