1月11日、西近江路の町「衣川」を歩く(滋賀県大津市衣川)

衣川と堅田の地図
衣川と堅田の地図(滋賀県大津市衣川)/ Kinugawa~Katata Map ( Otsu, Shiga, Japan).

1月11日(土)に堅田とお隣の衣川(きぬがわ)をぐるっと歩いて撮影してきました。JR堅田駅から今堅田本堅田(琵琶湖畔)と歩き、天神川緑地を経て衣川へ。

堅田の南西に広がる衣川は、近世に西近江路の宿駅(衣川宿)が置かれたところです。西近江路は近江国(滋賀)大津から高島を経て、越前国(福井)へ至る街道で、古来から多くの往来がありました。

 

現在の衣川では西近江路が国道161号線になっており、仰木口交差点(県道仰木堅田線との交差地点)で堅田駅の方向へと旧道に入ります。(往時をしのばせるものといえば、北国海道道標と榎くらいしか残っていないのが残念です。)

上の地図で中央に大きく「北国海道」とあるのがその旧道です。そのまま地図を見ていただくと「現在地」の近くに梅宮神社があり、周辺には鞍掛神社、衣川天満宮があります。今回はこれに稲荷神社を加えた衣川4社と、国指定史跡「衣川廃寺跡」を訪ねました。


稲荷神社鳥居と琵琶湖と三上山
稲荷神社鳥居と琵琶湖と三上山(大津市衣川2丁目)/Inari shrine,Lake Biwa and Mt.Mikami .

衣川の町の少し高台にある「稲荷神社」の境内から琵琶湖を見ています。

正面に見える山は、琵琶湖の対岸にある三上山(近江富士)。西近江路(北国海道)は一番手前に見える家々のあたりを通っています。

稲荷神社はJR湖西線の線路を挟んで、梅宮神社と対峙するような位置にあります。目の前を電車が走っていくところに遭遇しました。

稲荷神社鳥居と電車と三上山
稲荷神社鳥居と電車と三上山(衣川2丁目)/Inari shrine,JR train and Mt.Mikami .

稲荷神社鳥居と衣川廃寺跡
稲荷神社鳥居と衣川廃寺跡(衣川2丁目)/Inari shrine and Kinugawa abandoned temple trail.

稲荷神社(右に3つ鳥居が写っている)の隣には国指定史跡「衣川廃寺跡」があります。

時は飛鳥時代。667年3月19日、中大兄皇子(後の天智天皇)は飛鳥から近江大津に都を遷しました。滋賀里の崇福寺跡のように同時代に大津にあった寺院が衣川寺です。

衣川寺は壬申の乱前後の火災によって焼失したと考えられており(廃寺)、大津宮とともに歴史の表舞台から消えていったお寺だったようです。1977年(昭和52)に国の史跡に指定されています。発掘調査の写真などは下記記事をどうぞ。

衣川廃寺跡
衣川廃寺跡(衣川2丁目)/ Kinugawa abandoned temple trail.

国指定史跡「衣川廃寺跡」(滋賀県大津市衣川)


衣川の畑と家々と三上山
衣川の畑と家々と三上山(大津市衣川1丁目)/ Kinugawa(Kinigawa, Otsu, Shiga, Japan) .

先程の場所から湖西線の高架をくぐって下りてきました。畑の向こうに並ぶ家々のあたりが西近江路(北国海道)で、三上山が右上にわずかに姿をのぞかせています。梅宮神社のすぐ前に広がる風景です。

梅宮神社の鳥居をくぐって、同じ場所を見て見ると・・・↓


梅宮神社鳥居から見える三上山
梅宮神社鳥居から見える三上山(衣川1丁目)/ Mt.Mikami from Umenomiya shrine(Kinigawa) .

やはり三上山が正面に見えます。

あまりに真正面なので、先程の稲荷神社といい、この梅宮神社といい、対岸の三上山を意識して建てられたのではないかと感じることがあります。衣川という土地自体が絶妙な場所なのかもしれません。

もともと街道筋で人の往来が多かったこともあり、寺社が集まったり、特別な伝承が残る素地があったのではないかと思うのです。近江(滋賀県)の場合は、それに加えて琵琶湖との関係で眺望がいい場所が選ばれているようです。撮影しながら常々感じています。

梅宮神社
梅宮神社(衣川1丁目)/ Umenomiya shrine(Kinigawa, Otsu, Shiga, Japan) .

衣川の梅宮神社は、鎌倉時代(正応5年・1292年)に京都の梅宮大社の分霊を勧請した神社で、子授け・安産・縁結び、酒造の神として信仰を集めてきました。

京都の梅宮大社には、平安時代、嵯峨天皇の皇后(橘嘉智子)が梅宮大社に参拝したところ、皇子(のちの仁明天皇)を授かったという由緒があります。衣川の梅宮神社にも似たような話が伝わっていて、明応8年(1499年)に近江守護佐々木高頼の夫人が参拝して子を授かり、社殿を再建したとあります。

衣川はいわば京都の嵯峨野や貴船のような、都の郊外にある由緒ある散策地の役割を果たしていた感があります。

子授け・安産・縁結びの神様、梅宮神社の節句祭(滋賀県大津市衣川・2017年3月撮影)

梅宮神社の梅のつぼみ、ふくらむ
梅宮神社の梅のつぼみ、ふくらむ / Japanese plum buds swell at Umenomiya shrine(Kinigawa) .

住宅街の中にある鞍掛神社
住宅街の中にある鞍掛神社(大津市衣川2丁目)/ Kurakake shrine(Kinigawa, Otsu, Shiga, Japan) .

衣川は大友皇子(天智天皇の皇子。明治3年(1870年)に弘文天皇と諡号)とゆかりの深い土地です。

衣川には、大友皇子が最期を迎えた地であるという伝承が1300年以上にわたってあります。壬申の乱に敗れた大友皇子は、従者とともに衣川に落ち延びて、乗ってきた馬の「鞍」を柳の木に「掛」けると、自ら命を絶ったと伝わっています(鞍掛神社の伝承)。

衣川地区の田園風景(大津市衣川35)/Japanese rural landscape (Kinugawa, Otsu, Shiga, Japan).

鞍掛神社自体は、上の写真右側の丘の中腹にあるのですが、手前に広がる畑の中に鞍掛神社の地蔵堂があります。伝承に従えば、鞍を掛けた柳の木はこの辺りにあって、ここで亡くなられたということになります。

鞍掛神社の地蔵堂
鞍掛神社の地蔵堂(大津市衣川35)/Jizodo of Kurakake shrine (Kinugawa, Otsu, Shiga, Japan).
鞍掛神社の地蔵堂から衣川天満宮を見る
鞍掛神社の地蔵堂から衣川天満宮を見る(大津市衣川35)/Jizodo of Kurakake shrine (Kinugawa).

鞍掛神社の地蔵堂です。いつもお花が手向けてあります。ちょうど明神橋・衣川天満宮の社寺林(ひいては堅田駅西口)の方向を見ています。鞍掛神社については下記をどうぞ。

大津市衣川/鞍掛神社 2013年例祭の写真(前編)~大友皇子最期の地の伝説が残る神社、7/23の皇子の命日にちなんで


衣川天満宮
衣川天満宮(大津市本堅田6丁目)/Kinugawa Tenmangu shrine (Honakatata,Otsu,Shiga,Japan).

衣川4社の最後に、衣川天満宮にお参りしました。石段を上ると拝殿と本殿があります。撮影した日は旧正月(どんと焼)の直前でしたので、いずれも地元の方が作業をされている場所は遠慮させていただきました。また次にお会いする際はぜひご挨拶させてください。

衣川天満宮
衣川天満宮(大津市本堅田6丁目)/Kinugawa Tenmangu shrine (Honakatata).

それでは、2020年が皆様にとって良い年でありますように!

◇撮影日:2020年1月11日(土)
◇撮影地:滋賀県大津市衣川1丁目~2丁目、大津市本堅田6丁目
◇photograph of Kinugawa at January,2020(Kinugawa,Otsu city,Shiga prefecture,Japan).

Copyright(c) Jun Kanematsu / junphotoworks.com(兼松純写真事務所)

次回は、衣川天満宮の隣に新しく開通した都市計画道路から堅田駅西口まで掲載します。

↓続きを公開しました(2020/1/26更新)↓

1月11日、再開発めざましい堅田駅西口周辺を歩く(滋賀県大津市本堅田6丁目~真野1丁目)


歴史の宝庫・滋賀県大津市衣川について

しばらく衣川特集です!(滋賀県大津市衣川)

▼衣川の仰木口交差点付近にある北国海道道標と榎坂本にある衣川の道標とともに掲載

坂本に残る「衣川北国道」の道標~北国海道と衣川の話(滋賀県大津市衣川)

▼7世紀中ごろ:衣川廃寺跡

国指定史跡「衣川廃寺跡」(滋賀県大津市衣川)

▼13世紀から16世紀:衣川城

衣川城跡/衣川のお地蔵さんと鞍掛神社の伝承(滋賀県大津市衣川)

▼江戸時代:堅田藩領。龍瑞寺は堅田藩領主堀田正高の祈願寺で享保5(1720)年頃に開山。歴代住職の石塔がなんと衣川廃寺跡に残っています。

衣川廃寺跡と幻の龍瑞寺(滋賀県大津市衣川)

衣川4社

子授け・安産・縁結びの神様、梅宮神社の節句祭(滋賀県大津市衣川・2017年3月撮影)

鞍掛神社と梅の花-2017年3月/滋賀県大津市衣川

衣川天満宮と梅の花(滋賀県大津市衣川)

衣川天満宮参道「合格の道」に、サクラサク写真です(受験生の皆さんの健闘を祈って)

ある里山の半年:稲荷神社の鳥居が新しくなって秋を迎えるまで(滋賀県大津市衣川)

西近江路について

西近江路の通る町と言えば、衣川以外にも、明智光秀の坂本城で知られる坂本(滋賀県大津市坂本)、当ブログの名前の由来となった堅田(滋賀県大津市本堅田・今堅田・堅田)があります。

西近江路(にしおうみじ)は、近江国(滋賀県)から越前国へ通じる街道で、古代・中世の北陸道北国海道、北国脇往還、北国往還、北国脇道とも。1887年(明治20年)に西近江路として県道となりこの名称が定着した。古より都と北陸を結ぶ道として人の往来が多いだけでなく、壬申の乱、藤原仲麻呂の乱、治承・寿永の乱(源平合戦)、織田信長の朝倉攻め(一乗谷城の戦い・金ヶ崎の戦い・小谷城の戦い)などでは大軍が移動している。また、平安時代の遣渤海使もこの道を通るなど、交流の道でもあった。

経路(近世)大津宿・札の辻(大津市札の辻) → 衣川宿(大津市衣川) → 和邇宿(大津市和邇中) → 木戸宿(大津市木戸) → 北小松宿(大津市北小松) → 河原市宿(高島市新旭町安井川) → 今津宿(高島市今津町今津) → 海津宿(高島市マキノ町海津) → 敦賀宿(敦賀市元町)

https://ja.wikipedia.org/wiki/西近江路

 





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