最近知ったファミリーヒストリー(家族史) : 兼松さんの場合

幻のアジサイ、ヒチダンカ

 

RAW現像の話を書こうと思いながら、いい加減なことは書けないからと資料を見返しているうちに、6月になりました。今月は少しまとまった時間が取れそうなので、その話は追々書きますね。

最近暑くなってきたので、涼しげな写真をと思い、先月末に撮影したアジサイの写真を出してみました。以前にもご紹介した、幻のアジサイ「ヒチダンカ」(七段花)です。

 

曽祖父の故郷である岐阜県(中山道)を歩いています

昨年秋から始めた中山道の撮影が、ついに美濃路(岐阜県)に入りました。月に数回(現在は月1回)程度、旧中山道を歩いています。一度行って撮れなかった場所は撮り直しをしながらなので、ゆっくりしたペースです。

兼松は岐阜に多い苗字だそうですが、私のご先祖様も岐阜の出身です。曽祖父の故郷が岐阜県太田町(現在の美濃加茂市太田町)でして、太田は中山道の宿場町なのです

太田宿に寄るのは今年の秋頃の予定なので、今からその日を楽しみにしています。

実はこのブログを始めた約11年半前、岐阜からのアクセスがびっくりするほどありました。どなたかのお知り合いと思われたのかもしれませんね。

 

兼松家の養子となり起業した曽祖父。美濃加茂市太田町から東京へ。

曽祖父が岐阜出身だと聞いてはいましたが、太田だと分かったのは20年ほど前のことです。現在東京にある兼松家の墓石に「昭和○○年岐阜県加茂郡太田町共同墓地ヨリ(移転)」と刻んであったのに気が付いたからでした。

当時はそれ以上のことは分からなかったのですが、少し前に家族が身内の遺品を整理した時、曽祖父の手紙や書類、戸籍の写しが出てきまして、曽祖父は稲木家から兼松家に養子に入ったことが分かりました。

 

曽祖父の弟にあたる方の息子さん(甥の稲木さん)が、私の曽祖父のことを「大伯父」と呼びかける手紙が見つかったのです。

稲木兄弟は商才があったようで、私の曽祖父は東京で、その弟さんは名古屋で、ともに資材関係の会社を興しており、どちらの会社も現存していることも分かりました。

といっても、兼松家のほうは祖母の代で当時の番頭さんに会社を譲り経営から離れてしまっているので、私の世代になるとそれ以上のことは分かりません。

そもそも私の周りは勤め人ばかりですし、「兼松」と検索すると出てくる、兼松株式会社さんや銀座かねまつさんの関係者ではありませんので、念のため・・・

大正時代に会社を興し、昭和初期の激動期にぐっと伸びた創業者というのは、やっぱりエネルギーというか熱量が違うなと感じ、今まで知らなかった曽祖父の人物像や新しいことを切り拓いていくフロンティア精神に励まされる思いがしました。

 

戸籍上最後の兼松さんとなった、愛すべき仙台の叔父。

実は、曽祖父の子孫はほとんど女性で、戸籍上で兼松を名乗る人間は現在誰もいなくなりました。私がなりゆきで仕事上兼松と名乗っている位です。

最後に兼松と名乗っていたのは、仙台にいた私の伯父です。既に亡くなっていますが、カメラ(ライカ)が好きな人でした。唯一の贅沢がカメラだったようです。

伯父は戦後すぐの幼少期に難病にかかりましたが、体のことなど愚痴一つこぼさず、和裁の仕事に就き、将棋と猫と写真を愛していました。

亡くなった伯父のことを想うと、伯父の写した優しい雰囲気の写真を見ると、私は今でも涙が出ます。やっぱりあの伯父の姪だと感じるから、せめて写真の仕事では兼松と名乗っていこうと思っています。

(注記:私の場合、同姓同名の男性写真家がいることもあり、作家名として兼松純で通しています。結婚して苗字が変わる可能性、独身で通す可能性、両方を考えたとき、荒井由実さん=松任谷由実さんのような認知度はまれなので、実名に近い作家名にしたのですが・・・最初から最期まで同じ姓名で仕事ができる仕組みがあれば、こんな工夫をしなくていいのだけれど。)

 

「兼松」さんの分布数

ちなみに「日本姓氏語源辞典」さんによれば、「「兼松」さんの分布数」は圧倒的に岐阜と愛知が多いですね。(知らなかった・・・)
意外と滋賀県大津市にもいらっしゃったりする・・・↓

「兼松」さんの分布数。日本姓氏語源辞典

皆さんの苗字でも、ぜひお試しください。とても興味深いサイトです。

 

掲載写真「滋賀の里山から 幻のアジサイ、ヒチダンカ(再び)」
2019/5/30 滋賀県内にて撮影

From Satoyama landscape in Shiga prefecture,Japan
Hydrangea serrata f. prolifera

 

幻のアジサイ「ヒチダンカ」(七段花)について

特別編17 滋賀の里山から(2) 幻のアジサイ、ヒチダンカ