HDDからSSD/HDDへの換装手順(CドライブのみSSD移行)3:システム移行編

SSD

(最終更新:2019年12月20日 この記事はWindows7以前とWindows10に対応しています)

HDDからSSD/HDDへの換装手順、システム移行編(最終回)です。

Windows7のデスクトップパソコンにて、システム(Cドライブ+@)のみSSDへ移行。データ(Dドライブ)は新しいHDDへクローンし、SSDと新HDDを併用する方法です。

イメージ図

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HDDからSSD/HDDへの換装手順(CドライブのみSSD移行)2:フォーマットの方法とDドライブのクローン(2TB超HDDへのMBR⇒GPTクローン)

プラスドライバー

(最終更新:2019年12月20日 この記事はWindows7以前とWindows10に対応しています)

HDDからSSD/HDDへの換装手順、続編です。

新品のSSDまたはハードディスク(HDD)をPCに認識させるためには、フォーマットが必要と言われます。

新品のSSD/HDDをHDDスタンドで外付けすると、ディスクとして認識されません。「コンピュータの管理画面」を開くと「未割り当て」と表示され、「ディスクを初期化してください」画面が出るのが通例です。

しかしクローン新品のSSD/HDDを使うときは、フォーマットする必要はありません。そのまま、クローンソフトを使ってください。

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HDDからSSD/HDDへの換装手順(CドライブのみSSD移行)1:事前準備編

SSD

(最終更新:2019年12月20日 最新情報を追加。この記事はWindows7以前とWindows10に対応しています)

事務所で使っているWindows7パソコン。ハードディスク(HDD)の調子が良くないため、先日HDDからSSDに交換(換装)しました。

システム(Cドライブ+@)はSSDへ、データ(Dドライブ)は新しいHDDへクローンし、現在はSSDと新しいHDDを併用して使っています。

SSDに置き換えても、もとのHDDはそのまま使いたい、あるいは大容量の新しいHDDを取り付けてSSDと並存して使いたいと考える人が多いと思うのですが、「Windows7でCドライブのみSSD移行」は、実際にやってみて要所要所に難所がありました。

というのも、Windows7発売当時にはなかったフォーマット仕様や大容量HDDが出てきており、そちらへの対応が必要です。

これに加えて、HDDの選び方、クローン方法、システム(Windows)のみのコピー方法など、イメージのつかみにくい話の組み合わせなので、私の分かる限りで移行手順を書きました。必要となったパーツや道具も、できる限り再現しています。

というのも、私の周囲には詳しい人がいなくて、今まで(カメラも含めていろんなことを)自分で試行錯誤しながらやってきました。ご参考になれば幸いです。

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竹生島をめぐる冒険(3) 謡曲「竹生島」と徳川家康の愛した「うさぎ」―波兎文様

夜の竹生島のイメージ

月明かりに照らされた琵琶湖。その湖面に白い波が立つさまは、何匹もの兎(うさぎ)が飛び跳ねているようだ・・・と、昔の人は考えたらしい。

波間を兎が飛び跳ねている図柄は、波兎文様(なみうさぎ もんよう)と呼ばれる。

波と兎の組み合わせは、謡曲『竹生島』(ちくぶしま)の一節「緑樹(りょくじゅ)影沈んで 魚木に上る気色あり 月海上に浮かんでは 兎も波を奔(かけ)るか 面白の島の景色や」に由来するとされている。

波兎文様は桃山時代から江戸時代初期にかけて流行した。徳川家康の孫である千姫の輿に使われたと言う話があるし、豊臣秀吉の七回忌法要を描いた「豊国祭礼図屏風」の中にも見られる。

江戸時代初期以降も、衣装・家紋・建築(欄間彫刻)・陶磁器・蒔絵などに広く見られ、愛されているデザインである。

ところで、どうして兎なのだろうか。波の上を走る兎の意味するものとは。

 

琵琶湖に向かって建つ都久生須麻神社鳥居

 

月と兎

謡曲『竹生島』の一節「月海上に浮かんでは 兎も波を走るか 面白の島の景色や」から生まれた波兎文様。
「月と兎」と言うと、何を連想されるだろうか。

日本人にとっては、月で餅つきをするうさぎ、あるいは因幡の白兎のイメージが強いかもしれない。

中国では、兎は月で(餅ではなく)不老不死の薬をつく動物とされてきた。もともと中国では月は水の精と考えられており(月の満ち欠けと潮汐の関係との事。参照:月兎)、兎は水の精を連想させる。

波兎文様の「波と兎」の組み合わせは「月と兎」と同じ意味を持ち、不老不死・慶兆の象徴として大衆にも広まっていったという(参照:波と兎)。

 

家康の羽織にも使われた波兎文様

この波兎文様を愛した戦国大名がいる。天下人、徳川家康である。

名古屋の徳川美術館には、徳川家康が着用した羽織の数々が残されており、その中に黄金色地白い兎と白い波模様の羽織(辻ヶ花染)がある。

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竹生島をめぐる冒険(2) 徳川家康、秀吉の威光を琵琶湖の島に封じ込める―豊国廟唐門の移築

伊吹山から見た竹生島と琵琶湖

ちょうど今、NHKの大河ドラマ『真田丸』で大坂冬の陣の直前を放送しているが、大坂冬の陣が起きたのは慶長19年 (1614) の冬である。

同じ年の7月には、大坂の陣のきっかけとなった方広寺鐘銘事件が起きている。

豊臣秀吉の死後、家康が豊臣家の財力をなんとか削ごうとして、秀吉の供養と称して秀頼に寺社仏閣への寄進を勧めたのは有名な話だ。秀頼は京都の神社に数々の寄進を行ったので、京の町衆に人気があったという。

実は方広寺鐘銘事件の約10年前、慶長7年~8年(1602-1603)に、秀頼は秀吉の霊廟(豊国廟)の門を琵琶湖に浮かぶ竹生島に寄進している。この門は極楽門(唐門)と呼ばれ、もとは大坂城極楽橋の門だった。現在は国宝に指定されている。

豊国廟は当時、京都の東山にあった。秀頼はなぜ、湖上の島に父親の霊廟の門を移築しなければならなかったのか。

 

竹生島

豊国廟極楽門(唐門)が竹生島に移築された1603年は、江戸幕府が開かれた年である。竹生島へは秀頼が寄進したとされるが、資料を見る限り、実質的に家康が決めた話のようである。

豊国廟の僧侶だった神龍院梵舜の日記『舜旧記』の中に、慶長7年(1602年)6月11日、「今日ヨリ豊国極楽門、内府(注:内大臣=末期豊臣政権の五大老だった家康)ヨリ竹生嶋へ依寄進、壊始」と出てくるのだ。

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