坂本に残る「衣川北国道」の道標~北国海道と衣川の話(滋賀県大津市衣川)

衣川北国道の道標

山王祭直前の3月中旬。比叡山の門前町・坂本で、思いがけない道標と出会いました。「左 衣川 北国道」と刻まれています。

場所は坂本3丁目の大神門神社の境内で、京阪坂本駅から湖岸へ下っていく道(井神通り)に面した神社です。

衣川北国道の道標

こちらが大神門神社(だいしんもん じんじゃ)です。
大神門神社と並ぶようにして日吉神社一の鳥居が見えますね。それが井神通りです。

ところでなぜ、坂本に衣川(きぬがわ)の道標があるのか??不思議でした。
答えは北国海道にありました。坂本も衣川も北国海道のそばの町なのです。

北国海道は西近江路とも呼ばれ、司馬遼太郎さんが『街道をゆく』で最初に取り上げた道です。現在の国道161号線といえば分かりやすいかもしれません。

衣川と北国海道については、前回特集のときの冒頭の文章を再掲しておきます。

このブログは、2007年に、琵琶湖畔の町・堅田の写真を掲載したことから始まったブログです。堅田は滋賀県大津市北部に位置するまちで、南北に西近江路(北国海道)、西は京都の大原で、東は琵琶湖、しかも琵琶湖の最狭部(幅が最も狭いところ)にあるため、古くから交通の要所でした。

堅田の南西に広がるのが、衣川(きぬがわ)という地区です。近世には西近江路の宿駅(衣川宿)が置かれたところで、近江国(滋賀)大津から高島を経て、越前国(福井)へと、古来から多くの往来がありました。

倉園神社の道標

坂本6丁目の倉園神社(くらその じんじゃ)の境内には、別の道標があります。お地蔵さんの横に、「右 元三大師 西教寺道」と刻まれた明和2年(1765年)の道標があります。そして、この右奥に、やはり北国海道の道標があるのです。

倉園神社の北国海道道標

倉園神社の道標。「右 北国海道 左 元三大師 西教寺 乳野 仰木道」とあります。文化9年(1812年)の道標で、乳野は千野(ちの・大津市千野)のことです。

それでは仰木道へ飛んでみましょう。↓(堅田に近くなってきましたね)

衣川の北国海道道標

地元の方なら、ご存知の地蔵堂と道標ですね。厳密に言うと場所は本堅田5丁目になるのですが、衣川1丁目との境にあります。これが現在の「衣川北国道」です。

高島の白鬚神社(こちらも北国海道沿い)へ行く道標として使われていたようで、白鬚大明神と刻まれています。全体を写したのが次の写真です。

衣川の北国海道道標と榎

北国海道道標と榎(衣川1丁目~本堅田5丁目)。
榎(エノキ)は江戸時代に街道筋の一里塚に植えられることが多かった木です。
こうしてみると、衣川が昔から交通の要衝にあったことが良く分かりますね。

※2月末から3月初めにかけて、このブログで衣川の特集をしました。
前回の特集時に取り上げられなかったのが、
・北国海道道標と榎(衣川1丁目~本堅田5丁目)
・西羅古墳
・明神橋から見た堅田駅方面・再開発の様子です。
今回は、北国海道道標についてとりあげてみました。

衣川の目次ページはこちらです↓

しばらく衣川特集です!(滋賀県大津市衣川)
このブログは、2007年に、琵琶湖畔の町・堅田の写真を掲載したことから始まったブログです。堅田は滋賀県大津市北部に位置するまちで、南北に西近江路(北国海道)、西は京都の大原で、東は琵琶湖、しかも琵琶湖の最狭部(幅が最も狭いところ)にあるため、古くから交通の要所でした。堅田の南西に広がるのが、衣川(き...

Copyright(c)Jun Kanematsu/junphotoworks.com(兼松純写真事務所)