衣川城跡/衣川のお地蔵さんと鞍掛神社の伝承 (滋賀県大津市衣川)

衣川城跡

滋賀県大津市衣川に、琵琶湖の見える閑静な住宅街があります。衣川台です。JR堅田駅から高架に沿って歩き、天神川の明神橋を渡って歩くこと、約20分。先日ご紹介した鞍掛神社へ続く坂道を登っていくと、右手に児童公園があります。

公園の入り口近くには、なんと、「衣川城跡」の石碑が!突然出合った歴史ミステリー、ずっと気になっていました。衣川城について分かっていることはとても限られていて、案内板に書いていることや資料をまとめると、次のような感じです。

寿永3年(1184)、源頼朝が木曽義仲の討伐を命じた粟津合戦にて、勲功を立てた山内義重という武将がいました。この義重が衣川領を賜り、文暦元年(1234)に築城したのが衣川城です。太永6年(1526)、山内宗重のときに細川入道高国の攻撃により落城しました。

公園内の段差は、当時の城の構造を活かしたのではないかとも言われています。2枚目は公園入口より撮影したのですが、写真左側が一段高くなっています。

ところで、右側の「知ったカイツブリ」の飛び出し坊や(どちらも滋賀県名物)、かわいいですよね・・・↓

衣川公園

早春の畑と、JR湖西線を走る普通列車

先ほどの公園から坂道を下ると、JR湖西線の見える高台に出ます。そこから撮影した早春の畑と電車の写真です。さて次に、この畑の中を通る道を行ってみると・・・

地蔵堂

由来を記した石

衣川のお地蔵さん

地蔵堂の中にたくさんのお地蔵さんが祭られていました。由来文をみて、またびっくり!大友皇子を祀る「鞍掛神社」のことが書いてありました。

大津に都を開いた天智天皇。天皇亡き後、息子の大友皇子と、天皇の弟の大海人皇子の間で起きたのが、壬申の乱(672年)です。

叔父である大海人皇子に敗れた大友皇子(弘文天皇)は、壬申の乱後、ここで自刃したという言い伝えがあります。由来文には「以来1340年にわたり、侍臣の子孫である中村一族により、この地蔵をお守りしています」とありました。

鞍掛神社とお地蔵さんの間は少し離れているのですが、こちらもぜひお参りしていただけたら、撮影者としてとても嬉しいです。今回は衣川の隠れた名所のご紹介でした。

 

鞍掛神社はこちらでご紹介しています。
http://katata.info/tag/kurakake-shrine/

 

撮影日:2016年2月21日(日)
Kinugawa,Otsu city,Shiga prefecture,Japan.
Copyright(c) Jun Kanematsu/junphotoworks.com(兼松純写真事務所)