琵琶湖畔の秘境、有漏神社と阿曽津千軒。堅田との意外な関係と登山道について

琵琶湖の北端に、有漏神社(うろう じんじゃ)という神社があります。
その由緒になんと・・・堅田の地名があって驚きました!
中世のころ、堅田の漁業権が湖北まで及んでいたという史実を裏付けるものでした。

往昔湖上舟楫(ふねかじ)の神として鎮座され、遠く江南堅田方面の漁民のこの地に出漁することも多くその舟楫守護の神として崇敬したと伝える。-有漏神社(滋賀県神社庁)


↑赤い印が有漏神社。堅田は琵琶湖の最狭部(一番くびれている場所、オレンジ色で道路表示あり)の西側に位置します。

当ブログでもご紹介してきましたが、中世の堅田は琵琶湖の漁業権を持ち、琵琶湖最大の自治都市を築きました。
前回ご紹介した葵祭前儀「献撰供御人行列」も、そんな堅田の歴史を後世に伝えるために続けられている祭事です。
供御人行列と葵祭の撮影後に出かけた湖北で、有漏神社のことを知ったのは大きな驚きでした。

有漏神社から見た琵琶湖の対岸
こちらは有漏神社の鳥居前から、琵琶湖と近隣の集落(木之本町山梨子(やまなし))を撮影した一枚です。

有漏神社は琵琶湖に面した神社で、周囲に車道はなく、簡単に行ける場所ではありません。由緒に「古来祭儀に際しては、氏人ら舟に依って参拝した。」とある通り、地元(山梨子)の方は船で参拝するそうです。

陸路(山道)はあるのですが、賤ヶ岳登山道から旧道をおりるか、山本山に続く登山道から林道を延々と行くしかありません。
先日地元のボランティアガイドの方に公式にご案内いただいたので、今回は有漏神社のご紹介をしたいと思います。

新坂と米蔵
有漏神社(所在地:長浜市木之本町山梨子1)への登山道について。

賤ヶ岳登山道から山本山方面に歩いていくと、鞍部に「赤尾」集落へ下りる道標があります。この反対側の道が有漏神社へと続く旧道です。地形図だと点線になっていますが、普通に歩けました。
旧道を下って琵琶湖畔に出ると、写真の「新坂と米蔵」の案内板があります。この左手を行くとすぐに有漏神社があります。

有漏神社本堂と狛犬
有漏神社本堂。
写真の狛犬は、大津の方による寄進だと伺いました(堅田の方かどうかは、はっきりしませんでした)。

有漏神社本堂と林道
↑有漏神社本堂の上に、また別の林道があります。この林道を右へ進むと・・・↓先ほどの旧道と同じ場所に出ます。

琵琶湖と阿曽津千軒
竹生島と琵琶湖が見えるこの場所から、湖岸へ降りていく道があります。左奥の浜辺が阿曽津千軒です。

阿曽津千軒の石垣
阿曽津千軒は琵琶湖に沈んだと伝わる集落のひとつ。今は石垣が残っているだけです。
阿曽津(長浜市高月町西野)には、阿曽津婆と呼ばれる伝承があり、ここにも堅田が登場します!

阿曽津婆は金貸しの老婆で、激しい取立てに村人の恨みを買い、竹のすのこに巻かれて湖に投げ込まれます。そこへ堅田の漁師に助けられ、「あなたにこのあたりの竹をあげよう」と言って息を引き取ります。その直後、大津波が阿曽津の村を襲い、村人は近隣の、七つの「野」のつく村に移り住みました。

その当時、琵琶湖の漁業権・造船・湖上関の権利を独占していたのが、堅田の漁師でした。堅田の漁師は阿曽津の竹を守り神として使い、竹を持つ手は冬でも凍らなかったと言われています。(奥びわ湖観光ボランティアガイド協会さまからいただいた資料より)

阿曽津千軒の地蔵堂
阿曽津千軒にて。石垣の左奥に小さな地蔵堂がありました。
地蔵堂の右奥に林道が続いているので、林の中へと進みます。

阿曽津千軒と西野集落の分岐点
林道は「古保利古墳群」を経て、西野集落への分岐点に出ます。
麓に下りると西野水道に出ました。賤ヶ岳から高月駅まで歩いたので二万歩以上になりましたが、印象に残る一日でした。

賤ヶ岳頂上近くで見た、幻想的な琵琶湖の風景
同じ日に賤ヶ岳頂上近くで見た、幻想的な琵琶湖の風景です。
滋賀にはこういった場所がまだまだあるので、皆さまにご紹介できるよう、できる限り撮影に伺いたいと思っています。

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