伊吹の荒ぶる神12(渡岸寺観音堂(向源寺)、石道寺、菅山寺、そして湖北の仏様たち)~近江山河抄の舞台を歩く(76)

向源寺境内
滋賀県長浜市高月町渡岸寺(どうがんじ)には、向源寺(こうげんじ)という寺がある。
場所はJR高月駅から歩いて10分位のところで、境内には渡岸寺観音堂がある。
ここでは、日本に七体あるという国宝十一面観音像の一体を、予約なしに見ることができる。収蔵庫の慈雲閣ができたのは1974年なので、白洲正子さんの訪問はその前後だったのだろう。

寺伝によれば、736年(天平8)、泰澄が十一面観音を彫り、向源寺の前身となる光眼寺を建立。1570年(元亀元年)、湖北(滋賀県北部)を治める浅井氏が織田氏と戦った際、寺は焼失した。だが、地元の人々は十一面観音を土中に埋めて守り抜き、後に住職は向源寺を建立した。

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渡岸寺観音堂の十一面観音像。出典/ライセンス:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

近江に十一面観音が多いことは、鈴鹿を歩いた時にも気がついたが、特に伊吹山から湖北にかけては、名作がたくさん残っている。中でも渡岸寺の十一面観音は、貞観時代のひときわ優れた檀像で、それについては多くの方々が書いていられる。

こういう観音に共通しているのは、村の人々によって丁重に祀られていることで、彼らの努力によって、最近渡岸寺には収蔵庫も出来た。が、私がはじめて行った時は、ささやかなお堂の中に安置されており、索漠とした湖北の風景の中で、思いもかけず美しい観音に接した時は、本当に仏にまみえるという心地がした。-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

 

そもそも湖北(滋賀北部)に仏像が多いのは、京都の鬼門にあたることが大きく関係している。

鬼門とは北東の方位のことで、日本の陰陽道では鬼が出入りする方角として忌み嫌う。そのため、古来から都を置くときには、鬼門封じ(魔よけ)の意味で寺を建てることがあった。江戸城には寛永寺、平安京(京都)には比叡山延暦寺(滋賀県大津市)、といった具合である。

では、鬼門の鬼門に寺を建てたら、どうだろう?
鬼門封じがさらに磐石なものになると考えるのが自然ではないだろうか。

それでは、比叡山延暦寺の鬼門(北東)はどこだろうか?
―そう、湖北(滋賀県北部)だ。

私はこの話を、初めて渡岸寺観音堂に行った10年前に、案内していただいた地元の方から伺った。そして今回この文章を書いた際に、当連載で何度かご紹介している話を思い出していた。平城京(奈良)の鬼門には東大寺、さらにその鬼門に金勝寺(滋賀県栗東市)があるという事・・・。

確かに近江には、京都や奈良のような、きらびやかで華々しいものは残っていないかもしれない。だが、鬼門の鬼門にあたる場所に寺を作り、仏像を守り続けると言うのは、まさに裏方の鏡である。『近江山河抄』で読んだ言葉―「近江は日本の楽屋裏」―が、脳裏に蘇る。

石道寺
石道寺(しゃくどうじ)は、滋賀県長浜市木之本町石道の高台にある真言宗の寺だ。

本尊の十一面観音像は、井上靖の小説「星と祭」に登場する十一面観音として知られる。実際に目にした時、口元にまるで紅をつけたかのような朱が印象的で、愛らしい観音様だった。

石道寺の山伝いには紅葉で有名な「鶏足寺」(けいそくじ)があり、秋は多くの人で賑わう。この二つの寺は、山中の歩道を歩いて5-10分程度のところにあり、とても近い。

先日も湖北の石道寺(しゃくどうじ)という寺で、美しい十一面さんにお目にかかった。伊吹連峰のつづきの己高山の麓、石道の集落から少し登った谷間にある。無住の寺なので、あらかじめお願いしておくと、農家のおばさんが案内してくれた。
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お寺は桜並木の参道を登ったところに、ひそやかに建っていた。昔はもっと奥の谷にあったのを、洪水で寺が流され、麓に降ろしたと話してくれる。-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

与志漏神社参道から己高山方面を望む
10年前に初めてこの地を訪ねたとき、地元の方から興味深い話を伺った。

近くの己高山にあった名刹・鶏足寺が昭和の初めに焼失し、事実上の廃寺となったという。そこで、鶏足寺の名が絶える事を惜しんだ飯福寺住職が、改宗までして飯福寺を鶏足寺に改めた。

しかし住職の死後は廃寺となり、寺は「鶏足寺(旧飯福寺)」と呼ばれるようになったというのだ。つまり、現在「鶏足寺」と呼ばれている紅葉の名所は、旧飯福寺のことなのである。

石道寺、鶏足寺はともに、山岳信仰の霊地「己高山」(こだかみやま)の山中にあった名刹である。中世にかけて天台系山岳仏教の聖地として栄えるが、後に真言宗の寺院に転じた歴史も同じだ。そして己高山にあった寺院は、明治以降に廃絶するか、山麓に下りる道を辿った。

鶏足寺の本尊・十一面観音像は、同じ古橋地区の己高閣(ここうかく)で見ることができる。鶏足寺と周辺寺院の仏像が、己高閣・世代閣(よしろかく)と呼ばれる収蔵庫で収蔵・公開されているのだ。

己高閣は1963年、世代閣は1989年に、地元の方によって与志漏(よしろ)神社境内に建てられた。己高閣・世代閣は、鶏足寺から山中を抜け、田圃の中の道を歩いて20分位のところにある。

菅山寺参道鳥居
高月、木之本に引き続き、余呉の菅山寺(滋賀県長浜市余呉町坂口)をご紹介したい。

湖北の仏様は一度に紹介しきれないほどあるが、締めくくりに菅山寺をご紹介したい。数年前に菅山寺に行った時、坂口の皆さんの献身が印象に残り、いつか書きたいと思っていた。

菅山寺はもとは龍頭大箕寺と称し、奈良時代に孝謙天皇の勅命を受けた照檀上人が開山したという寺だ。菅原道真は余呉湖の近くの川並村に生まれ、6歳から11歳までこの寺で学んだという伝承がある。

平安時代に菅原道真が宇多天皇の勅使として入山し、3院49坊を建て、大箕山菅山寺と改名したという。明治以降は無住となったが、地元の坂口地区の方々がずっと寺を守ってきた。

大箕(だいき)山麓の里坊・弘善館で、菅山寺の十一面観音を見ることが出来る(※要事前予約)。

▼菅山寺十一面観音(弘善館)の写真と解説
菅山寺弘善館/滋賀[仏像ワンダーランド]
菅山寺 十一面観音立像(弘善館)[長浜・米原・奥びわ湖を楽しむ観光情報サイト]

菅山寺山門とケヤキの巨木
ちなみに大箕山の山道を1時間ほど登ると、菅山寺の山門が見えてくる。

山門の左右には、道真公御手植えと伝わるケヤキがある。樹齢千余年といわれる巨木だ。

今回の菅山寺の写真は2010年2月に、地元の方の案内でスノーシューを履いて訪ねたときのもの。冒頭の向源寺は2009年11月、石道寺は2014年11月に撮影させていただいた。

湖北の十一面観音は、その殆どが泰澄大師の作で、後に寺が廃れたのを、伝教大師が再興したと伝える。勿論、伝説にすぎまい。が、伝説にはよみ方というものがあって、その信仰ははじめ越前の白山で樹立され、比叡山関係の寺が発展させたと解するなら、そう見当はずれとは思えない。
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伝記からも知れるように、泰澄はシャーマン的な人物で、もっぱら呪術によって人を救済したらしい。彼は近江の三上氏の出と伝えられ、伝統的にそういう霊力を備えていた。十一面観音とは、要するに、白山の神が化身したものに他ならず、そういう手つづきを経なければ、外来の仏教を骨肉化することは出来なかった。
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民衆の間には、太古から山の神の信仰が根づよく残っていた。仏教を拡めるには、彼らと手を結ぶ必要があり、その要求に応えたのが泰澄であった。-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

姉川の戦い(織田・徳川vs浅井・朝倉)、小谷城の戦い(織田vs浅井)、賤ヶ岳の戦い(秀吉vs柴田勝家)・・・湖北は戦国時代に戦乱の舞台となり、仏像を土や川の中に埋めて守った話が多い。

向源寺近くの「高月観音の里歴史民族資料館」では現在、そういった仏像を特別に展示している。

湖北の仏像が一堂に会する機会はなかなかないので、ご関心のある方はぜひどうぞ。(2014年12月28日まで、特別企画「戦火をくぐり抜けたホトケたち」開催中)

※「戦火をくぐり抜けたホトケたち」のご案内(写真が見事です)→高月観音の里歴史民俗資料館