伊豆神社の掘割~古絵図で見る堅田(3)

秋の夕暮れ時、浮御堂と琵琶湖
暑中お見舞い申し上げます。少しは涼しい気分になるかなと、秋の写真を選んでみました。秋の夕暮れ時の浮御堂と琵琶湖です。

浮御堂は近江八景のひとつ「堅田の落雁」として知られる景勝地です。江戸時代の古絵図にも絵入りでしっかり載っています。

前々回、前回に引き続き、延宝5年(1677年)の本堅田村絵図をもとに堅田を歩いてみました。

伊豆神社
浮御堂のそばにあるのが、古くから堅田大宮と呼ばれてきた伊豆神社です。
室町時代には、伊豆神社に堅田の宮座(自治組織)が置かれました。

伊豆神社には堅田の歴史を後世に伝える資料が数多く残されています。
延宝5年(1677年)の本堅田村絵図もそのひとつです。

伊豆神社の掘割-1
伊豆神社をぐるっと囲む掘割の位置は、江戸時代の絵図とほとんど変わっていません。
↑こちらは伊豆神社正面の左側(本福寺方向)の写真です。
↓下の写真は伊豆神社正面の右側(浮御堂北湖岸方向)です。
伊豆神社の掘割-2
この写真の方向へ歩いて右折すると浮御堂、左折すると掘割が続いています。

伊豆神社の掘割-3
こちらも伊豆神社の掘割です。常夜灯の奥に掘割が続いています。

舟入跡の児童公園
他方、江戸時代とだいぶ変わっているのが、浮御堂周辺の湖岸です。伊豆神社は舟入に向かって建てられていますが、その舟入跡が児童公園になっています。この児童公園を湖岸へ降りると、「おとせの浜」(桜の隠れた名所)があります。

おとせの浜の対岸に寿寧寺という寺がありますが、その周辺は「西の切(きり)」と呼ばれました。ちなみに、浮御堂周辺が「東の切」です。「大道町」「中村町」といった江戸時代の地名とあわせて、下の地図にまとめておきました。

(概略図ですので、地域区分の誤差はご容赦下さい。)
(地図上で項目名または赤い矢印をクリックすると解説が出ます。)


本堅田は、近世初めから元禄11年(1698年)まで幕府領でした。元禄11年~文政9年に、堀田家が治める堅田藩領となります。

今回参考にした絵図は延宝5年(1677年)作成のため、まだ堅田陣屋はありません。
そのため、まとめ地図にはかっこ書きで紹介しています。

この古絵図には、祥瑞寺、本福寺、光徳寺、妙盛寺、神田神社、寿寧寺も載っています。

少なくとも江戸時代からあるというのは、すごいことです!地図のほうで写真とともにご紹介しておきました。町歩きにご活用下さい!