鈴鹿の流れ星3(滋賀県甲賀市:修験道の山、飯道山に登る)~近江山河抄の舞台を歩く(46)

飯道山道標(甲賀市水口町三大寺)
飯道山(はんどうさん)に登ってみたいと思っていた。
古くから修験道・山岳信仰の聖地とされ、甲賀忍者の修行の場だったとも言われる山だ。
そして、信楽側の登山口である宮町には、紫香楽宮の宮殿跡があったと考えられている。
今回、地元の方にご案内頂ける機会に恵まれて、貴生川駅から歩くことになった。
貴生川→水口町三大寺→飯道山→信楽町宮町→宮町遺跡→内裏野地区→紫香楽宮跡駅の約10kmである。

※内裏野地区:紫香楽宮跡と呼ばれ、駅名にもなっている。現在は甲賀寺跡と考えられている。
※前回、信楽町の日雲神社を「紫香楽宮跡」に近いと書いたが、より正確には内裏野地区。

甲賀市水口町三大寺でみかけたお地蔵さん
水口町三大寺でみかけたお地蔵さん。前掛けのデザインがとてもいい。
三大寺はとてもゆったりとした集落で、歩いていて気持ちがよかった。

この登山の8日後に、三大寺に近い甲南町の新宮神社に伺って、ある昔話を知った。
新治の姫をめぐって三大寺の神が深川の神と争い、三大寺が姫と結ばれた昔話である。
これが縁で、甲南町新治では明治の頃まで「新宮の五社祭り」が行なわれていたそうだ。

三大寺の神輿二基と新治の神輿三基が、新治の熊野の刈家で祝言の杯を交わし、
猿楽や流鏑馬などを催していたという。

飯道山麓の杣川一帯は、中世に杣庄と呼ばれる荘園が広がっていた。
後に新宮・矢川・三大寺の三荘に分かれる。現在の甲南町の一部と水口町三大寺である。
それぞれに新宮神社・矢川神社・三大神社(現・日吉神社)という古刹がある。
甲南町は甲賀忍者のふるさとだが、飯道山や三大寺とのつながりもまた深い。

飯道寺(甲賀市水口町三大寺)
三大寺登山口への途中にあるのが、飯道寺。もとは麓の里坊のひとつだったという。
鎌倉時代に隣接の三大神社(現・日吉神社)の別当となり、普賢院宝持院と称された。
江戸時代に延暦寺の末寺となり、寺号を惣持坊本覚院と改めている。

飯道山上にあった飯道寺(奈良時代の開基)は、明治の神仏分離令により廃寺となった。
そこで明治25年に、本覚院が飯道寺と改称し、飯道寺の伝統を引き継いだという。
毎年11月3日には江州飯道山行者講による「笈渡し祭」が行われているというお話だった。

飯道山の石仏(甲賀市水口町三大寺)
飯道山は近江の修験道場として栄えてきたところで、江州飯道山行者講が残っている。
栗東の金勝山(こんぜやま)、大津の太神山(たなかみやま)と並ぶ修験道の山である。

杖の権現茶屋休憩所(飯道山)
杖の権現茶屋休憩所。岩壷不動尊の先からここまで、きつい岩場の上り道が続く。
飯道山頂上へは、ここからさらに500mの距離を登る。

三上山(飯道山頂上からの眺め)
眼下に三上山が見える。飯道山頂上(標高664m)からの眺め。

飯道山頂上(標高664m)
ここから飯道神社へと向かう。25分程下った二の峰山頂に、飯道寺遺跡と神社がある。

飯道寺遺跡
飯道寺遺跡。最盛期の飯道寺には20箇所余りの坊院が建ち並んでいたと言われる。
智積院跡~宝蔵跡には、立派な石垣がそのまま残されている。

飯道山の風景-1
役行者の開基という伝承がある飯道山。中世から近世にかけて最も栄えたという。
山岳信仰の場にふさわしい、独特の風景を見ることができる。

飯道山の風景-2

役行者(えんのぎょうじゃ)にはじまる山岳信仰は、空海・最澄らがもたらした密教と結びつき、本地垂迹(ほんちすいじゃく)説という独特の理念を打建てた。天竺の仏が、日本の神に姿を変えて、人間を救うという説である。多くの僧が・・・山に籠って独自の修行と呪法を行うようになり、吉野から熊野にかけて大峰巡りがその中心となった。山野に臥したところから、山伏(山臥)と呼ばれ、野武士(野臥)という言葉もそこから出た。・・・次第に形をととのえたのは十世紀ごろからで、以来「修験道」と呼ばれるようになる。
・・・
「野臥」が盛んに活躍したことが『太平記』に見え、山に馴れた僧兵や山伏たちは、縦横に山野を闊歩し、間諜の役を果したであろう。狼火や花火が用いられたのはその頃のことで、彼らの中から忍者も発生した。後に山伏は呪術者として、民衆の中に深く浸透して行ったが、日本の文化はそういう蔭の人々によって、諸国へ普及したのである。-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

山上の飯道神社の鳥居(甲賀市信楽町宮町)
飯道神社の鳥居をくぐる。眼下には信楽町宮町の集落が広がっていた。
ここで昼食をとり、飯道神社を撮影した。

飯道神社と巨岩(甲賀市信楽町宮町)
飯道神社。裏山に修験者の行場があり、奇岩・巨岩が散在している。

飯道神社裏山の巨岩(甲賀市信楽町宮町)
岩の名前は、のぞき岩、不動明分け岩、蟻の塔渡し、胎内くぐりなど、さまざま。

飯道神社本殿-1(甲賀市信楽町宮町)
飯道神社は「延喜式神名帳」に甲賀郡八座の一座として記載がある古社である。

飯道神社本殿-2(甲賀市水口町三大寺)
現在の本殿は慶安3年(1650)の再建で、昭和50~53年に解体修理された。

飯道神社本殿-3(甲賀市水口町三大寺)
桧皮葺、入母屋権現造りで、極彩色の華やかな本殿である。国の重要文化財。

宮町の飯道神社の鳥居(甲賀市信楽町宮町)
信楽町宮町へ下りると、ここにも飯道神社の鳥居があった。

甲賀市信楽町宮町
目の前は、信楽町宮町。ここには、かつて紫香楽宮の宮殿跡があった。
(撮影日:2013年10月6日)

地形的にいっても、紫香楽の宮の鎮護として、一つの宗教圏を形づくっていたに相違ない。
当時の山岳信仰の行者たちは、単に仏教を広めるだけでなく、木材や鉱物を供給する生産者であり、土木を開発する技術者でもあり、医学に詳しい知識人の集まりであった。・・・聖武天皇が紫香楽の宮を造り、大仏建立を企てたのも、そういう集団をひかえていたために他ならない。伝教法師が比叡山を開いた時も、ここに来て材木を調達している。その伝統は、修験道の山伏に受けつがれ、・・・肥沃な山野は、鎌倉時代には甲賀武士の活躍する地盤となり、山岳兵法と結びついて、甲賀流の忍術を育くむに至った。-白洲正子『近江山河抄』「鈴鹿の流れ星」

 

次回:紫香楽の宮7(紫香楽の宮跡/宮町遺跡と内裏野地区)の予定です。


大きな地図で見る

にほんブログ村 写真ブログ 地域の歴史文化写真へ にほんブログ村

滋賀県ランキング