比良の暮雪2(小野氏ゆかりの地と曼陀羅山を歩く~前編:小野神社、小野篁神社、石神古墳群、小野道風神社)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(37)

比良の暮雪と堅田と琵琶湖-1(撮影地:滋賀県草津市、烏丸半島)

「比良の暮雪」という言葉がある。下界には桜が咲いていても、比良山にはまだ雪が残っており、夏になっても消えないことがある。-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

比良の暮雪と堅田と琵琶湖-2(撮影地:滋賀県草津市、烏丸半島)

薄墨色の比良山が、茫洋とした姿を現わしている。雪を通してみるためか、常よりも一層大きく、不気味で、神秘的な感じさえした。
・・・
ヒラは古く枚、平とも書き、頂上が平らなところから出た名称と聞くが、それだけではなかったように思う。都の西北に当る出雲が黄泉(よみ)の国にたとえられたように、近江の西北にそびえる比良山は、黄泉平坂(よもつひらさか)を意味したのではなかろうか。実際にもここから先は丹波高原で、人も通らぬ別世界であった。-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

琵琶湖と琵琶湖大橋、堅田の町と比叡山~曼陀羅山~比良山

堅田のあたりで比叡山が終り、その裾に重なるようにして、比良山が姿を現わすと景色は一変する。
・・・
古墳が多いのはここだけと限らないが、近江で有名な大塚山古墳、小野妹子の墓がある和邇(わに)から、白鬚神社を経て、高島の向うまで大古墳群がつづいている。-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

堅田駅ホームから見た曼陀羅山
堅田駅のホームから見えるふたこぶが、大塚山古墳のある曼陀羅山だ。背後は比良山。
周辺は小野妹子、小野篁、小野道風を輩出した小野氏の故郷で、多くの古墳群が連なる。今回は、琵琶湖の西に位置する滋賀県大津市小野と、その南側の曼陀羅山周辺を歩いた。

撮影したのは2013年8月の終わりで、気温がようやく32、3度に下がった日だった。
小野駅で下車し、和邇駅行きの江若バスに乗って小野神社前で降りたのが8時半。
暑さを考えて、正午までに小野駅に帰ってくることを目標にした行程だった。

この一帯はハイキングコースになっていて、小野駅前に推奨コースが紹介されている。
小野駅→小野妹子の墓(唐臼山古墳)→小野道風神社→小野神社・小野篁神社→和邇駅
今回はこのコースを小野神社から小野駅まで逆にたどりながら、曼陀羅山を追加した。

※小野駅前の案内板に距離の目安が書いてあるので、ご参考までに。
堅田駅から真野を通って小野駅まで歩けば、さらに面白いハイキングコースになる。

JR小野駅
↓1.1km
唐臼山古墳(小野妹子の墓)
↓1.1km
小野道風神社
↓1km
小野神社・小野篁神社
↓1.1km
天皇神社→2.5km→栗原の棚田
天皇神社→3km→水分神社→350m→蕃山堂跡
↓500m
榎の宿・顕彰碑
↓700m
JR和邇駅

小野周辺史跡案内図
小野神社前バス停の横にあった「小野周辺史跡案内図」。

上品寺
小野神社の隣に上品寺という寺がある。すでに雰囲気が違っていた。
撮影でいろんな場所を回っていると、聖域特有の空気を感じることがある。
小野の南にある、真野の神田神社周辺を初めて歩いたときも同じだった。

小野氏が湖西に本拠をおいたのは、いつ頃のことかはっきりしないが、『古事記』によると、孝昭天皇の子孫で、高穴穂宮(景行・成務)の時代には、早くもこの地を領していた。六世紀の終り頃、小野妹子がいたことは確かで、同族の和邇氏、真野氏なども、近くに住んでいたことが、和邇、真野などの地名からも推測される。柿本人麿も和邇の一族で、「近江の荒都を過ぐる時」の歌は、ここへの往復の途上よんだのであろう。-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

小野神社参道と鳥居、ムクロジの大木
参道の向こうに、小野神社の鳥居が見える。ムクロジの大木には驚いた。
案内板によれば、胸高周囲4.19m(県下最大)だという。

小野神社本殿
小野神社。小野氏の氏神であるとともに、お餅の神様とお菓子の神様を祀っている。
本殿前の両脇に、「お餅」の形のお供えがあるのが、お分かりだろうか。

小野神社の祭神は、お餅の神様である、米餅搗大使主命(たがねつきのおおみのみこと)。そして、お菓子の神様、天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)である。

古事記によれば、天足彦国押人命は第五代孝昭天皇の第一皇子で、近江国造の祖。小野氏の祖である。日本書紀には、大和和邇(わに)の祖であるとも記されている。大和朝廷成立以前、大阪・京都・奈良・三重・愛知・滋賀一帯をを統治した王族だった。

米餅搗大使主命は、天足彦国押人命から7代目の子孫にあたる人物だ。
餅の原形となる「しとぎ」を最初に作り、応神天皇に献上したとの伝承がある。
毎年11月2日に行なわれる「しとぎ祭」では、全国の菓子業界から参拝を受ける。
1200年続いている例祭だというから、すごい。

小野神社の神田
小野神社の神田。
神田で穫れた新穀の餅米を、しとぎ祭の前日から水に浸し、生のまま木臼で搗き固める。
それを藁のツトに包み入れ、納豆のように包んだものが「しとぎ」と呼ばれるそうだ。
しとぎ祭では、この「しとぎ」が、他の神饌とともに神前に供えられる。

しとぎ祭の様子(小野駅前の案内板より)
しとぎ祭の様子(小野駅前の案内板より)。
祭儀の後、人々は注連縄を張り渡した青竹を捧げ持ち、小野地区を北、中、南の順で廻る。各地点で「しとぎ」を吊り下げて礼拝し、五穀豊穣・天下泰平を祈念する。

案内板に出てくる栗原は、小野の北にあり、琵琶湖を180度眺めることのできる棚田の町だ。水分神社を中心に、古くから、年間に17回もの年中行事が行なわれているという。小野周辺は、古来から豊かな土地だったことをうかがわせる。

▼栗原の棚田の写真はこちら(バックナンバーで掲載したものです)
湖西の里山から・360度琵琶湖を見下ろせる町「栗原」

小野篁神社本殿(正面)

小野篁神社本殿(背面)
小野神社の隣にあるのが、境内社の小野篁神社。後ろの森には小野神社古墳群がある。
平安初期の漢学者で詩人、歌人としても有名な小野篁を祀っている。
社殿は暦応三年(1340年)に佐々木六角氏により建立されたと伝わる。重要文化財。

小野小町の塔(小野神社)
幽玄な雰囲気が漂う石段の脇に、小野小町の塔がある。康永四年(1375)建立。

小野神社から小野道風神社への道標
参道の脇に、「石神古墳群・小野道風神社」への道標(矢印)。
面白そうなので、こちらを行ってみる。

民家の間を抜けると、急な坂道と合流する。坂道を登っていくと・・・

竹林の中の祠と鳥居(石神古墳群付近)
目の前に突然現われたのが、竹林の中の祠と鳥居。
信仰の対象であるのは間違いない。やはりこの辺りは、一帯が聖域なのだろう。
もしかしたら、ここも古墳の一部なのかもしれないと、後から思った。

石神古墳群案内板
ほんの少し行くと、「石神古墳群」の案内板があった。
こちらをクリックすると拡大します)

石神古墳群から小野道風神社へ続く竹林の道
石神神社。石神古墳の一部だという。背後は鬱蒼とした竹林だった。
この先で若干道に迷った。石神神社の奥にある山道が小野道風神社へ続く道だったのだ。

竹林の中へ続くやぶ道(小野・歴史の散歩道)

山道は広くなり、小野道風神社への矢印が現われる

また道は細くなり、竹林の中を歩いていく
石神古墳群と小野道風神社をつなぐこの道には、歴史の散歩道という名前がついている。
古墳群の一部と思われる竹林の中を歩くと、竹取物語のおじいさんになったような気分だ。
歴史の散歩道を抜けると、目の前に、小野運動広場が広がる(※トイレ・駐車場あり)。
小野道風神社は運動広場のすぐそばにある。

小野道風神社境内
小野道風神社。小野神社の飛地境内社である。
小野篁の孫であり、平安時代の貴族・能書家である小野道風を祀っている。
背後の森は、道風神社古墳群。小野氏ゆかりの神社は、どこも古墳とセットになっている。

小野道風神社本殿
小野道風神社本殿。興国二年(1341年/南北朝時代)建立で、重要文化財。
小野篁神社とは、建立時期がほぼ同じなだけでなく、建築的にもよく似ている。
全国的にも稀だという、切妻造、平入という建築様式は、小野篁神社本殿と共通している。

柳の教訓・道風庭園池
小野道風の故事にちなんだ、柳の木と蛙(柳の教訓・道風庭園池)。
道風は柳の枝に何度も飛びつく蛙を見て「何事も努力を重ねれば達成できる」と悟り奮起。
書家として大成し、三蹟の一人として讃えられたという故事にちなんだもの。
鳥居の前の掲示板には、地元の方の協力で建設された池だと紹介されていた。

比良山 花達院
小野道風神社と道を接して立っている「比良山 花達院」。隣は地元の集会所。
道が分からず、集会所前の階段を下りて、唐臼山古墳(小野妹子の墓)へ向かうことにする。
階段の途中で、堅田の観覧車(イーゴス108)が見えていた。
(先日お伝えしたとおり、イーゴス108は9月に解体が始まる。)

少し歩いていくと「小野妹子の墓(唐臼山古墳)」の矢印があって、ほっとする。
後は矢印に従って、しばらく小野の集落の中を歩いた。

小野児童館へ続くゆるやかな坂道と、色とりどりの花が咲く畑
小野児童館へ続くゆるやかな坂道。色とりどりの花が咲く畑に囲まれている。
小野はとても美しいところだと実感する。そろそろ小野とお別れだ。

 

次回:比良の暮雪3(小野妹子の墓(唐臼山古墳)~曼陀羅山(大塚山古墳))の予定です。


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