逢坂越8(松尾芭蕉と幻住庵)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(17)

国分山(幻住庵に続く山道)
『奥の細道』の旅の翌年。芭蕉は国分山の「幻住庵」に約4ヶ月滞在し、旅の疲れを癒した。

「石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ。」という出だしで『幻住庵記』は始まる。国分山は大津市の南部にあり、石山寺からそれほど離れていない。

芭蕉は40代以降、たびたび大津に滞在し、大津で89句の句を詠んだ。
89句というのは、芭蕉の全発句の約1割にあたる大変な数である。

とくとくの清水(案内板)

とくとくの清水
山道を数分登ったところに、芭蕉が炊事に使ったという「とくとくの清水」がある。

幻住庵跡の碑と桜の花
国分の氏神を祀る「近津尾神社」の前には、幻住庵跡の碑が建つ。
芭蕉がここで暮らしたのは、1690年(元禄3)4月6日から7月23日までの約四ヶ月間だった。門人である曲水の勧めで、幻住老人(故人)が暮らした庵で過ごすことになる。

曲水は、本名を菅沼修理定常という膳所藩士で、芭蕉からの信望が厚かった。
幻住は曲水の伯父にあたる人物で、菅沼修理定知という隠者である。
『幻住庵記』には異本がいくつかあり、幻住老人は8年前に亡くなったと書く稿もある。

先ず頼む 椎の木もあり 夏木立(句碑)
『幻住庵記』を締めくくる一句。「先ず頼む 椎(しい)の木もあり 夏木立」
近津尾神社の社務所の前に、この句碑がある。

伊賀上野生まれの芭蕉は、近江ののびやかな自然を愛したと言われる。
幻住庵を出た後には、膳所の義仲寺(大津市馬場)に庵を結んだ(無名庵)。
その後も膳所にたびたび滞在し、幻住庵を懐かしむ手紙を曲水に書いている。

大津には門弟も多く、芭蕉にとっては第二のふるさとだったと言われている。
大阪で亡くなったとき、亡骸は淀川(瀬田川)経由で運ばれ、翌日に義仲寺に着いている。さらに次の日の夜、遺言通り、義仲寺境内(木曽義仲の墓の隣)に埋葬された。

「木曽殿と背中合わせの寒さかな」(島崎又玄)

幻住庵の門
1991年(平成3)、幻住庵跡のそばに、大津市によって幻住庵が新しく建てられた。
竹下内閣のときの、ふるさと創生一億円事業によるものである。

門の奥に藁葺き屋根の庵があり、地元の国分(こくぶ)の方々が輪番で詰めている。
訪ねた日はあいにくの天気となってしまい、当番の方にお話だけ伺った。

山の中にあるので藁葺き屋根の傷みが激しく、しょっちゅう葺き替えをする必要があること。春は3月後半のアセビの花に始まり、4月に桜、コバノミツバツツジなどが咲くこと。幻住庵の下には東海自然歩道が通っていて、2時間で醍醐(京都)まで歩いていけること。正面の伽藍山の奥が石山寺で、瀬田川の向こうに近江の国府跡があるなど、教えて頂く。

撮影した4月10日頃は、ちょうどコバノミツバツツジが咲き始めて、桜がまだ残っていた。遠くの山は見えなかったが、ビルの間を東海道新幹線が走っていくのがよく見えた。

幻住庵を訪ねる人は、俳句の愛好者の方が多いとも伺った。
そこで次回は特別編として、大津における芭蕉の発句89句すべてを掲載します。

幻住庵(2013年4月現在の情報)
開館時間/9:30~16:30
休館日/月曜(祝日の場合翌日)
入館料/無料
アクセス/JR石山駅・京阪石山駅からバス国分団地行き13分、幻住庵下車。
または京阪石山寺駅から徒歩30分。駐車場あり。

 

「特別編:大津における芭蕉の発句、89句すべてを掲載」へ続きます。


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