逢坂越7(小関越と堅田源兵衛の伝承)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(13)

桜の名所、長等公園
桜の名所、長等公園。春はハイカーや家族連れがたくさん訪れる。小関越道標にも近い。(2013年4月4日撮影)

北国街道(西近江路)から分かれて藤尾で東海道に合流する約5kmの道が、小関越である。かつては東海道の間道として利用されてきた。芭蕉が初めて大津に入ったときの道でもある。

長等神社と長等公園を結ぶ車道の途中に、小関越道標の案内板がある。
長等公園から小関越道標前に出る脇道もあるが、一般的ではないかもしれない。

長等公園へのアクセスは、以下の2ルートになる。
1.三井寺駅→(徒歩10分)→三井寺総門前→(5分)→長等神社→(5分)→長等公園
2.上栄町駅→(徒歩10分)→長等公園(→三井寺)

白洲さんは2のルートで、関蝉丸神社(上栄町)から長等公園を経て三井寺を訪ねたらしい。今回歩いたのは1のルートで、琵琶湖疏水の桜を眺めながら、まず三井寺へ向かった(前回)。

長等公園はかつて三井寺の境内だったというし、長等神社は三井寺を守護する神社である。この一帯は、歴史的にも一続きのものと考えて差し支えないと思う。

小関越道標
江戸時代中頃に建てられた小関越道標(写真右)。
「右小関越 三条五条いまくま 京道」

他の面には「左り三井寺 是より半丁」「右三井寺」と刻まれている。

三井寺観音堂は、西国三十三所観音巡礼の第十四番札所である。
刻銘の「いまくま」は、第十五番札所の京都今熊野観音寺をさす。
巡礼道としても使われていた道だったことが分かる。

小関越(大津市小関町から山科方面を望む)
大津市小関町から山科方面を望む。この先はハイキングの装備と同伴者が必要。
そこで今回は、観光として気軽に行ける小関越の入り口(大津側)をご紹介してみようと思う。

小関越の入り口で出会った石仏その1
小関越の入り口で出会った石仏。等正寺の少し先の墓地の前にあって、壮観である。

小関越の入り口で出会った石仏その2
享保十五の文字が見える。(手前の石仏は新しいが)古い石仏は江戸時代のものらしい。

小関越の入り口で出会った石仏その3
古い石仏が無数に置かれている。奥のお地蔵さん(お堂の中)は最近のもののようだ。

小関越の入り口で出会った石仏その4

小関越の入り口で出会った石仏その5
峠道は藤尾に続いており、藤尾川に沿って出ると、白州さんも訪ねた寂光寺がある。

寂光寺には素晴らしい摩崖仏があり、仏が刻まれた岩の一部をお堂の中に入れているという。拝観には予約が必要なので、撮影の機会を得て、後日ご紹介したい。

寂光寺から100mほど行くと琵琶湖疏水に出る。疏水沿いに歩き、陸橋を渡ると四宮である。四宮駅(京阪山科の一つ手前)はすぐ。疏水の先の公園を行き、JR山科駅まで行くことも可能。

シハイスミレ
「山路来て 何やらゆかし すみれ草」(松尾芭蕉・野ざらし紀行より)

この句は小関越で詠まれたものと言われている。
当時芭蕉が見たスミレは、シハイスミレ(写真)のようなスミレだったらしい。
小関越の大津側は自然が残っていて、往時を感じさせてくれる。

かたたげんべえくびのてら(両願寺)
話は長等神社の手前に戻る。突然「かたたげんべえくびのてら」という文字を目にした。

後ろに見えているのが長等神社の鳥居である。

三井寺町の両願寺
場所は、三井寺町の「両願寺」というお寺の前だった。なぜ、ここに?

かた田源兵衛(両願寺)
ここにも「かた田源兵衛」の文字。こちらも両願寺の境内だった。謎は深まる。

かたたげんべえくび(等正寺)
小関越道標の隣にあった「かたたげんべえくび」という道標。こちらは「等正寺」のもの。

殉教者の堅田源兵衛については、当サイト(Katata/堅田)でも何度か掲載したことがある。

浄土真宗中興の祖である蓮如は、比叡山延暦寺から迫害を受け、大津に滞在した時期がある。その間、蓮如は数年堅田に滞在し、堅田は町を挙げて延暦寺と戦って負けている(堅田大責)。比叡山に近い堅田の地を諦めた蓮如は越前に向かい、宗祖親鸞の木像を三井寺に預けた。

その後京都に戻った蓮如は、人の首を二つ差し出すなら木像を返そうと三井寺から言われる。それを聞いた堅田の漁師源兵衛は、父親を説得して、自分の首をはねてもらう。源兵衛の父親は、息子の首を三井寺に持って行き、自分の首もはねてくれと言った。

驚いた三井寺は親鸞の木像を返し、蓮如は「真宗復興の祖は源兵衛である」と涙したという。その後源兵衛の父親は巡礼の旅に出て、旅先の広島県福山市で亡くなっている。源兵衛の首は本堅田の光徳寺に祀られた。(というのが、光徳寺に伝わる話である。)

実は2011年の3月に、光徳寺のご住職から源兵衛さんの首を見せていただいた。
どくろ、それも小さな部類に入ると思われる、愛らしいものだった。

小関町の等正寺
小関町の等正寺。この寺にも源兵衛の首が祀られているという。

『滋賀県の歴史散歩』(山川出版社)を見ると等正寺だけ載っていて、光徳寺と同じ伝承だった。

堅田源兵衛の首(等正寺)によれば、3つの寺に堅田源兵衛の首の伝承がある。
3つの寺とは、本堅田の光徳寺、小関町の等正寺、三井寺町の両願寺。
「同じ人間の首がなぜ3つもあるのかは謎である(両願寺は現在非公開) 」とのことだった。

源兵衛さんの話は、堅田以外にも、三井寺のそばに2箇所あったということになる。
ここで堅田に出会えたのが驚きであり、大きな収穫だった。
こんな風に埋もれている話に光を当てて、きちんと残しておきたいと思ってきたからだ。
もうしばらく、春を追いかけながら、近江山河抄の舞台を撮影していく予定です。

 

日枝の山道1(日吉大社と山王祭)へ続きます。


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