特別編:大津における芭蕉の発句、89句すべてを掲載しています~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(18)

芭蕉は40代以降、たびたび大津に滞在し、大津で89句の句を詠んでいます。
89句というのは、芭蕉の全発句の約1割にあたる数です。

幻住庵(大津市国分)に滞在したのは、『奥の細道』の旅の翌年。春に約4ヶ月滞在しました。このときの滞在記が、芭蕉の俳諧七部集のひとつ『猿蓑』に収められている『幻住庵記』です。

大津を愛した芭蕉は、義仲寺(大津市馬場)に庵を結び(無名庵)、たびたび滞在しました。その亡骸は、遺言により、義仲寺境内にある木曽義仲の墓の隣に葬られています。

凡例:
数字 通し番号(01-89)
【】  句が読まれた場所
[ ]   句碑がある場所(大津市内)

 

◆貞享2年(1685) 芭蕉42歳
3月:初めての大津滞在。『野ざらし紀行』の旅の途中、京都から小関越で大津に入る。堅田本福寺の住職・三上 千那(せんな)、枡屋町(現・浜大津2丁目)の医師・江左 尚白が入門。千那宅、尚白宅に宿泊。

01.山路(やまじ)来て 何やらゆかし 菫草 【小関越え】 [小関天満宮]
02.辛崎(からさき)の 松は花より 朧にて 【唐崎】 [唐崎神社、近江神宮]

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逢坂越8(松尾芭蕉と幻住庵)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(17)

国分山(幻住庵に続く山道)
『奥の細道』の旅の翌年。芭蕉は国分山の「幻住庵」に約4ヶ月滞在し、旅の疲れを癒した。

「石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ。」という出だしで『幻住庵記』は始まる。国分山は大津市の南部にあり、石山寺からそれほど離れていない。

芭蕉は40代以降、たびたび大津に滞在し、大津で89句の句を詠んだ。
89句というのは、芭蕉の全発句の約1割にあたる大変な数である。

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紫香楽の宮1(瀬田川と石山寺)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(16)

石山寺の月見亭と桜
石山寺の月見亭。近江八景のひとつ「石山の秋月」の舞台である。(2013年4月5日撮影)

眼下に流れる春の瀬田川(石山寺の月見亭から)
眼下に流れる瀬田川。琵琶湖から流れる唯一の川で、下流で宇治川、淀川と名を変える。

正倉院文書には、瀬田川と石山の話が登場する。
奈良に平城京が作られたとき、近江の田上山(たなかみやま)の木を切り、材木にした。
集められた木材は、瀬田川(宇治川)を経由して、奈良まで運ばれた。
そのとき、集積拠点として石山に役所を置いたという。当時は石山院と呼ばれていた。
石山寺縁起絵巻によれば、これが石山寺の起源だという。

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コアユ、シジミ、ホンモロコ直売とシジミ汁の振る舞い★堅田漁協主催「湖族の朝市」 ★2013/4/28(日)9時~12時 琵琶湖のほとり、堅田漁業会館にて

堅田漁協初の直売イベントのお知らせです。
シジミの味噌汁の振る舞いや、てんぷらの販売、レシピの配布もあります。
琵琶湖の旬のお魚と貝を、ぜひご賞味ください。

日時 2013年4月28日(日) 9時~12時
場所 堅田漁業会館(滋賀県大津市本堅田2丁目13-13)

★直売⇒コアユ、シジミ、ホンモロコ(すべて売り切れ次第終了)
★販売&レシピ配布⇒コアユのしょうゆ煮、小魚のてんぷら
★シジミの味噌汁の振る舞い(無料)

主催・お問い合わせ:堅田漁業協同組合 電話077-572-1411


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日枝の山道2(穴太積の石垣、坂本の里坊、慈眼堂の石仏、日吉東照宮)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(15)

穴太積の石垣(滋賀院門跡)
「穴太衆」は中世に活躍した石工集団で、日本の城の石垣の大半を手掛けたとされる。
江戸城、名古屋城、金沢城、彦根城、安土城、二条城、大阪城、姫路城、竹田城などだ。

穴太(あのう)は大津市坂本近郊にある集落で、穴太出身の石工集団を穴太衆と呼んだ。彼らは安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍したが、分かっていないことも多い。穴太には古墳が多いことから、渡来人の技術を受け継いだ集団とも言われている。

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日枝の山道1(日吉大社と山王祭)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(14)

山王祭・花渡り式-1
山王祭は、「山王さん」の総本宮、日吉大社で毎年4月12日~15日に行なわれる神事だ。

男女の神様が結婚して、子どもが産まれるというストーリーで、山王祭は行なわれる。
期間が長い上、神事がたくさんあるので、今回は「花渡り式」を撮影することにした。
花渡り式は神事の合間に行なわれる華やかな行列で、13日の午後1時から行なわれる。

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逢坂越7(小関越と堅田源兵衛の伝承)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(13)

桜の名所、長等公園
桜の名所、長等公園。春はハイカーや家族連れがたくさん訪れる。小関越道標にも近い。(2013年4月4日撮影)

北国街道(西近江路)から分かれて藤尾で東海道に合流する約5kmの道が、小関越である。かつては東海道の間道として利用されてきた。芭蕉が初めて大津に入ったときの道でもある。

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大津の京5(壬申の乱と瀬田の唐橋、弘文天皇陵、そして三井寺の桜) ~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(11)

瀬田の唐橋
672年、大友皇子は壬申の乱に敗れる。最終決戦の舞台が、瀬田の唐橋だった。

瀬田の唐橋は、琵琶湖から唯一流れ出る川(瀬田川)に架かる橋である。
東から京都に入るときの重要地点で、古来より「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた。

瀬田の唐橋は、近江大津宮遷都の時に本格的に架橋されたと考えられている。
当時は、現在の位置より南の龍王社・雲住寺を東端としていたらしい。
(参考:ウィキペディア「壬申の乱」「瀬田の唐橋」)

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大津の京4(志賀の大仏と百穴古墳群) ~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(10)

木漏れ日(崇福寺跡に続く山道にて)
山中越(志賀越)は、京都と近江を結ぶ古くからのルートのひとつである。
滋賀里から崇福寺跡・志賀峠を通り、山中町を経て北白川、京都へと通じている。

この一帯は比叡山延暦寺に近く、東海自然歩道になっている。
崇福寺跡に続く山道の入口に、山中越(志賀越)の道中安全を見守る道祖神がある。

志賀の大仏
とても優しいお顔の仏さまは、「志賀の大仏(おぼとけ)」と呼ばれる阿弥陀如来座像。
13世紀頃(室町時代)に作られた、高さ約3mの石仏である。

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