比良の暮雪1(比良八講(2013年3月26日撮影))~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(6)

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雪の残る比良山を背景に、「比良八講」の幟がはためく。

JR近江舞子駅から琵琶湖の方向へ歩いていき、振り返ったときに出会った風景。
比良山の麓の湿地帯は、春の芽吹きが始まっていた。
比良八講は毎年3月26日に行われる天台宗の行事で、湖国に本格的な春の訪れを告げる。

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近江舞子内湖。比良山の雄大な風景が広がる。内湖の奥に比良八講の会場がある。

午前9時に大津市南部の本福寺(大津市長等3丁目)を出発した一行は、船で近江舞子へ。11時30分ごろ南小松港で下船し、会場の雄松崎へ向かう。その様子を撮影させていただいた。

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修験者と比叡山延暦寺の僧侶が、雪の残る比良山を背景に、南小松を練り歩く。

琵琶湖の西側、比良山地東麓に吹く局地風は、比良颪(ひらおろし)と呼ばれる。
特に比良八講の前後に吹くものを、比良八講荒れじまい又は比良八荒と呼ぶ。
(比良八講と比良八荒、読み方は同じだけど、別々のものです。)

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南小松港そばの観音像前にて、湖上安全祈願を行なう一行。

比良八講荒れじまいの名前どおり、この日の風はかなり冷たかった。
修験者のほら貝が鳴り響いた後、延暦寺の僧侶と門徒の読経が始まった。

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比良八講の会場である雄松崎(おまつざき)へ。
海の家と湖岸の松林の間を行く。南小松港から雄松崎へは徒歩10分程度で着く。

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比良八講の起源は平安時代。比良明神、比良権現に五穀豊穣、風雨順時などを祈った。

修験道の地でもある比良には、古来から、たくさんの神々が祀られていた。
古代の神々は仏教と習合し、仏の化身「比良明神」「比良権現」として信仰されるようになる。

比良山の隣が、比叡山である。天台宗の開祖・最澄は、比叡山に延暦寺を開いた。
天台宗の隆盛に伴い、比良山においても「比良三千坊」と言われるほど僧坊があったという。冬から春へと変わる時期、比良の寺々では比良明神、比良権現に五穀豊穣などを祈った。
出典:http://www.hira-hakkou.net/rekishi.html

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比叡山焼き討ちや鎌倉仏教の台頭により廃れた比良八講は、戦後の混乱期に再興された。

戦時中に千日回峰行を行なった箱崎さんという行者がいた(箱崎文応大僧正、故人)。
比良山頂からは琵琶湖がよく見える。箱崎さんが悟ったのは、水への感謝だったという。

箱崎さんは福島県の小名浜(現いわき市)生まれ。水難事故に遭い、多くの仲間を失う。これを契機に39歳の春に比叡山に入り、40歳になって仏門に入ったという経歴を持つ。

水難者の回向法要、命の水瓶(琵琶湖)への感謝報恩、水源の山々の保全。
それが、比良八講を再興した本旨だったという。

1955年(昭和30)、中世以降400年以上も途絶えていた比良八講は、蓬莱で再興された。
その後、浜大津、雄琴、唐崎、堅田(琵琶湖タワー)と場所を変えながら開催された。
そして2002年より、比良の裾野である近江舞子(南小松)で行われるようになった。
出典:http://www.hira-hakkou.net/hakozaki.html

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松林の間に琵琶湖が見える。比良八講の旗の手前に、スイセンの花が咲いていた。

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琵琶湖八景のひとつ「雄松崎」(おまつざき)。青く澄み切った湖水と美しい砂浜が広がる。
背後には比良山。麓に南小松の町が見えている。とても美しい。

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雄松崎にて。比良山(比良明神、比良権現)の方向を向いて、祈る一行。
修験者同士の問答や、結界の四方を弓で射る儀式なども行なわれた。

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比良八講のクライマックス。結界の中で護摩をたく。ものすごい煙が上がる。

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最後に参加者への加持祈祷が行なわれて、比良八講は終わった。

※比良八講開催日程(毎年3月26日)
9:00~9:30 市中お練り(本福寺(大津市長等3丁目)~浜大津)
9:30~9:35 桟橋法要(大津港)
9:50~11:30 湖上法要(ビアンカ)
11:30~12:00 近江舞子浜お練り
12:00~12:50 採燈護摩供(雄松崎)

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雄松崎にて、東の方向を見ている。琵琶湖の対岸は近江八幡市。

そういえば湖東もまた、古来に神々がいて、山岳信仰が盛んだった。
琵琶湖の向こう側も同じように石仏やお寺が数多く残る地域だ。

ここ近江舞子の少し北に、琵琶湖の中に鳥居が建つ神社(白鬚神社)がある。
「白鬚神社から東の方を見渡した時の風景」として、白洲さんは次のように書いている。

湖水の中の鳥居に、すっぽりはまり込んだ工合に、長命寺の岬が見え、沖の島が霞んでいる。その時私は、妙な気持がした。もしかすると、この鳥居は、向う側を遥拝するために造られたのではないか。

いや、そんな筈はない、とすぐ思い返したが、その印象が全然間違っていたとは思えない。

鳥居は白鬚神社のものに違いないが、同時に、沖の島を遥拝する目的もあったので、比良の麓に居住した帰化人たちは、玄界灘の荒波をしのぎつつ、神の島に航海の無事を祈った時の光景を、まざまざとそこに見たに相違ない。

山の形に神秘的なものを感じるのは、古今東西変わらないのかもしれない。

 

※付記:白洲正子さんの紀行文『近江山河抄』では、比良八講は蓬莱の「小女郎池」のくだりで登場しますが、現在は南小松で行なわれています。また、『近江山河抄』の文章は、比良八講が小女郎という女性の供養のために行なわれているようにも読めますが、比良八講は小女郎伝説とは関係がないことを書き添えておきます。

大津の京1(大友皇子最期の地と、鞍掛神社の伝説)へ続きます。