湖西の里山から2011・伊香立 【緑の大地、美しい山のまち(10)】 寛政9年(1791年)に作られた本殿(光源氏のモデル・源融公を祀った『融神社』にて) #shiga #otsu

寛政9年(1791年)に作られた本殿

普通は正面から撮るのでしょうが、横顔に見とれてしまったので、側面(横)から撮ってみました。人もそうですが、その良さや本質、すごさが伝わるのは、横顔だったりしますね。

案内によると、「一間流造り」という造りの本殿だそうです(写真)。
ここに祀られているのが、平安時代の源融(みなもとのとおる)公。
嵯峨天皇の第八皇子で左大臣、「源氏物語」の光源氏のモデルになった人物です。
ちなみに、宇治の平等院は融公の別荘(!)でした。

 

撮影地は、堅田の西に位置する「伊香立」。京都・大原と境を接する、美しい里山の町です。ここ伊香立南庄に荘園をもっていたのが、融公でした。

由緒によると、現在の社地は融公が閑居されたときの旧跡で、後世のために鏡を埋めたといいます。天慶8年(945-6年)にその鏡を掘り出して神璽とし、祠を建ててお祀りしたのが創建になります。寛和2年(986年)、花山法皇の近江巡行の折に、最初の社殿が造営されました。

永延2年(988年)、一条天皇の時代に南庄は神領となりましたが、鎌倉時代以降は衰え、廃絶となりました。融神社は、南庄(現・伊香立南庄町)、谷口(現・真野谷口町)、家田(現・真野家田)三村の産土の神となりました。

こうして土地の神様となった融神社ですが、比叡山から10数キロしか離れていない場所にあります。元亀2年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちの際には、融神社も社殿その他が焼亡しました。当時の神職だった山本若狭は、神璽(融公由来の神鏡)を持って、山間に避難したといいます。

天正7年(1579年)になって社殿は再興され、後世は、武士の所領となりました。その後、寛政8年(1790年)に火災にあい、現在の社殿は寛政9年(1791年)の再造営となっています。

Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan.


堅田周辺の町/Towns around Katata 088 伊香立南庄町(滋賀県大津市)の写真 融神社9
「湖西の里山から2011・伊香立 【緑の大地、美しい山のまち(10)】   寛政9年(1791年)に作られた本殿(光源氏のモデル・源融公を祀った『融神社』にて)」

■撮影地:融神社(滋賀県大津市伊香立南庄町1846) ■撮影日:2011.06.06 15:18
■アクセス:JR堅田駅から江若バス・堅田葛川線「南庄」下車、徒歩15分

Photograph of Ikadachiminamisyotyo,Otsu,Shiga,Japan  2011.06.06 15:18
“Tooru Shrine in Ikadachiminamisyotyo ,Otsu City,Shiga Prefecture,Japan 6”


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