堅田の風景カレンダー 【2011年11月版】 祥瑞寺の紅葉 ~Honkatata/本堅田 213@

※カレンダー画像の公開は終了しました。

若き日の一休さんが修行し、芭蕉も訪ねた堅田の祥瑞寺の秋を、2011年11月のカレンダーにしてみました。

堅田は、琵琶湖畔の町で、滋賀県大津市の北部に位置します。
室町時代の名僧・一休さんは、22歳から34歳まで、堅田の祥瑞寺(当時は祥瑞庵)で修行しました。実は一休さん、21歳のとき師匠を亡くし、あまりの辛さに大津の瀬田川に身を投げ、助けられて堅田に来たのです。

堅田の浜で悟りを開いた後、祥瑞寺の華叟宗曇 ( かそうそうどん) 和尚から、一休の名前(道号)を授けられます。こうして誕生した一休さんは、36歳のとき、堅田から再び世に出て行きました。

***********************************************************************************************************

時は変わって江戸時代、松尾芭蕉は祥瑞寺を訪れて、こんな句を詠んでいます。
「朝茶飲む僧静かなり菊の花」

実は芭蕉さん、堅田にお弟子さんがいて、町の人達に歓迎され、堅田を何度も訪ねています。堅田町内になんと五箇所も、芭蕉の句碑があります(祥瑞寺のほか、浮御堂、十六夜公園、堅田漁港、本福寺)。

祥瑞寺の隣にある本福寺の11代住職・明式は、俳号を千那といい、近江(滋賀県)における最古参の門人です。また、芭蕉の弟子として有名な宝井其角は、父親が堅田出身で、其角の寓居は本福寺の側にありました。

十六夜の日、芭蕉は堅田で、月を愛でる俳句の会を催したこともありました。

滞在先の「義仲寺」(ぎちゅうじ)(やはり大津市)から、琵琶湖に船を出して(つまり水路で)やって来て、堅田の竹内茂兵衛成秀(たけうち もへい なりひで)という人の家で、楽しく過ごしたそうです。その日の様子を、「堅田十六夜の弁(かたた・いざよいのべん)」という俳文に書いています。

***********************************************************************************************************

「義仲寺」とは、大津で無念の死を遂げた木曽義仲の墓のある寺で、大津南部の城下町・膳所(ぜぜ)にあります。

芭蕉は、自分の亡骸は義仲寺に葬ってほしいと遺言しました。(「骸(から)は木曽塚(義仲寺)に送るべし」)遺体は多くの門弟たちによって手厚く葬られ、遺言通り、芭蕉さんは義仲さんの隣で眠っています。

大津市観光物産課のパンプレットによると、なんと芭蕉の全発句の約一割(89句)が、大津で詠まれています。大津は、芭蕉がこよなく愛した土地でした。


改めまして、おかげさまで当ブログは、来月で3周年を迎えます。人気の高かった写真をもとに、堅田(滋賀県大津市)の風景カレンダーを作ってみました。

2010年11月から2011年12月まで、一ヶ月に一枚のシンプルなカレンダーです。
11月中に、毎回一枚ずつUPしていく予定です。(次回が最終回になります。)