本堅田、琵琶湖畔の静かなお正月の風景

前回は1月1日に撮影した今堅田の風景を掲載しましたが、本堅田もちゃんと撮影してきましたよー!というわけで、引き続き、お正月の本堅田を一挙掲載します。

ちなみに当ブログは12月27日に開設9周年となり、記念として、4回連続で、年末の本堅田をご紹介しました。

今回はそのときご紹介できなかった場所と、新年ならではの本堅田の風景を掲載します。まずは、浮御堂北湖岸の穏やかな新春の風景からどうぞ。

湖岸沿いに遊歩道が続いていて、浮御堂北湖岸から十六夜公園・堅田港まで歩くことができます。

冬場はユリカモメの天国で、湖上に白く浮かんでいる大群がユリカモメです。

十六夜公園周辺は、こちらでご紹介していますので、あわせてどうぞ↓

琵琶湖畔の本堅田にて、年末の風景2(十六夜公園から浮御堂周辺)
当ブログは12月27日に開設9周年となりました。12月25日に本堅田を歩いて撮影した様子を、4回にわたってお届けする予定です。2回目の今回は、浮御堂周辺の隠れた名所をご紹介します。冒頭の写真は、堅田港の対岸で咲いていた小さなお花です。▼前回はこちら琵琶湖畔の十六夜公園。公園の名前は、松尾芭蕉が十六夜の日に堅...

十六夜公園の対岸が堅田港です。漁師さんの漁船などが停泊しています。左の大きな建物は、大津北警察署堅田水上派出所です。

堅田港と琵琶湖と三上山

堅田港。こちらには臨時の観光船などが停泊します。対岸に三上山(近江富士)が見えていますね。対岸に三上山が見えるのは、堅田ならではの風景です。


堅田に多いのが、お地蔵さんと地蔵堂です。

かつてこの辺りは琵琶湖でした。堅田内湖と琵琶湖にはさまれた本堅田と今堅田の地域では、かつての水辺のなごり(守護神)として、地蔵堂が残っていると考えられています。

堅田港周辺は路地の多い場所です。琵琶湖に続く路地が至るところで見られます。


お正月の伊豆神社。ご近所の方がたくさん初詣に来ておられました。

琵琶湖畔の本堅田にて、年末の風景3(おとせの浜~伊豆神社の幸福の石~本福寺)
当ブログは12月27日に開設9周年となりました!12月25日に本堅田を歩いて撮影した様子を、4回にわたってお届けします。今回はその3回目。琵琶湖畔の風景と、その周辺の「石」にまつわる名所をご紹介します。写真は、琵琶湖畔の「おとせの浜」です。防波堤の向こうは入り江、背後は比叡山。右手前に、岩のように見えるのは...

伊豆神社から本福寺、光徳寺へ続く路地です。本福寺は年末にご紹介したので、今回は光徳寺の方向へ行ってみますね。

光徳寺。殉教者・堅田源兵衛の首で知られるお寺です。

前回今堅田のところで書きましたが、浄土真宗中興の祖である蓮如は、比叡山延暦寺から迫害を受け、堅田に滞在した時期があります。堅田は町を挙げて延暦寺と戦って負け(堅田大責)、蓮如は越前に向かうことになりました。

実はそのとき宗祖である親鸞の木像を三井寺に預けたのですが、後年三井寺から人の首を二つ差し出すなら返そうと言われます。堅田の漁師源兵衛は、蓮如を助けるために自分の首を父親に討たせます。

源兵衛の父親は息子の首を三井寺に持って行き、自分の首もはねてくれと言い、三井寺は親鸞の木像を返したという話が残っています。

浮御堂周辺5・堅田源兵衛の首(光徳寺) ~Honkatata/本堅田 164
前回、蓮如が越前吉崎へと逃れた話を書きました。そのとき蓮如は、三井寺(滋賀県大津市)に親鸞の御真影(ごしんねい・親鸞の木像のこと)を預けていったのです。文明十二年(1480)、三井寺に赴いたところ、人の生首を二つ並べるなら返そうと言われ、蓮如は困り果てました。ここ堅田の光徳寺の門徒であった漁師の源兵...

驚くべきことに、堅田源兵衛の伝承は、実は大津市内のほかのお寺にもありまして・・・小関町の等正寺、三井寺町の両願寺です。

『滋賀県の歴史散歩』(山川出版社)を見ると等正寺だけ載っていて、「同じ人間の首がなぜ3つもあるのかは謎である(両願寺は現在非公開) 」とのこと。

私は源兵衛さんの故郷である光徳寺だといいな、救われるのに、と思っていますが、どちらにしろ悲しいお話ですよね。

実は2011年の3月に、光徳寺のご住職から源兵衛さんの首を見せていただいたことがあります。どくろ、それも小さな部類に入ると思われる、愛らしいものでした。

逢坂越7(小関越と堅田源兵衛の伝承)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(13)
桜の名所、長等公園。春はハイカーや家族連れがたくさん訪れる。小関越道標にも近い。(2013年4月4日撮影)北国街道(西近江路)から分かれて藤尾で東海道に合流する約5kmの道が、小関越である。かつては東海道の間道として利用されてきた。芭蕉が初めて大津に入ったときの道でもある。長等神社と長等公園を結ぶ車道の途...

 

前回、松尾芭蕉の句碑があるとご紹介した祥瑞寺です。新年の装いをご紹介します。


堅田漁港の芭蕉句碑

こちらが前回ご紹介できなかった、堅田漁港の芭蕉句碑です。
入り口のすぐ右側に句碑があります。

「海士の屋は小海老にまじるいとど哉」(芭蕉)

堅田漁港と漁協会館。↓こちらでも三上山が見えていますね。


堅田漁港の前にある福聚院(福聚禅院)。お庭が見事です。

↓堅田漁港周辺は、堅田内湖の風景がおすすめです。

琵琶湖畔の本堅田にて、年末の風景1(堅田内湖周辺と堅田漁港)
当ブログは本日開設9周年となりました!2006年のお正月に浮御堂を訪ねたのがきっかけで、時々堅田に来て写真を撮っていました。約2年後の2007年12月27日に、日めくりカレンダーのように写真を載せて始まったのがこのブログです。なかなか堅田に来ることができない時期もありますが、現在も湖西線に乗って草津から通って...

↓映画ロケ地となった自転車屋さんのほか、神田神社、堅田教会などを掲載。

琵琶湖畔の本堅田にて、年末の風景4(湖族の郷資料館~神田神社~商店街~堅田教会)
当ブログは12月27日に開設9周年となりました!12月25日に本堅田を歩いて撮影した様子を、4回にわたってお届けします。最終回の今回は、湖族の郷資料館周辺と、商店街に出て堅田教会までの風景です。この冬公開映画のロケ地となった、あの自転車屋さんも登場します!湖族の郷資料館は、二階建ての町屋をそのまま活かした...

撮影日:2017年1月1日
撮影地:滋賀県大津市本堅田2丁目、本堅田1丁目
Lake Biwa and Honkatata town(Otsu,Shiga,Japan).

Copyright(c)Jun Kanematsu/junphotoworks.com(兼松純写真事務所)

 

【葵祭前儀「献撰供御人行列」の写真(1)】 滋賀・堅田町内巡行編1 神田神社出発から伊豆神社フナの神事まで(2016/5/14撮影) #滋賀 #shiga #Japan #photography

朝7時半過ぎの神田神社では、奉納の太鼓が勇壮な音を響かせていました(滋賀県大津市本堅田1丁目)。

2016年5月14日。滋賀堅田から下鴨神社へ、葵祭のためのフナとフナ寿司を奉納する献饌供御人行列に同行撮影させていただきました。(地元の方のご協力で、同行撮影は2009年より毎年続けています。)

堅田(神田神社)は平安時代(1090年)に下鴨神社の御厨(みくりや)となり、湖魚を奉納してきた歴史があります。この歴史を後世にも伝えようと、1990年より献饌供御人行列が行われています。1994年からは堅田町内だけでなく下鴨神社へも巡行する現在のスタイルとなり、現在は葵祭の公式行事となっています。

御厨(みくり・みくりや)とは、「御」(神の)+「厨」(台所)の意で、神饌を調進する場所のことである。御厨-ウィキペディア

※葵祭前儀「献撰供御人行列」の写真を6回に分けて掲載しています。枚数が多いのと、レイアウト上時系列に沿って掲載したかったため、6回目(最終回)からさかのぼって約15枚ずつ掲載しています。

神田神社本殿。この季節はツツジがきれいです。撮影前には必ず参拝しています。

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滋賀堅田の桜、一挙大公開!(後編・おとせの浜から真野川まで)

4月12日(火)に、堅田駅周辺の桜を訪ね歩いてきました。前編では、堅田駅から駅西口(山の手)→衣川台→天神川→仰木道から浮御堂周辺への道中を掲載しました。

後編にあたる今回は、浮御堂周辺→居初邸の前から堅田内湖→伊豆神田神社→今堅田の琵琶湖岸→米プラザ前→真野川下流と歩きました。帰りは真野川周辺から駅までバスに乗ろうかと思いつつ、結局駅まで歩きました。

この10年に撮影しながら覚えた道を、ほぼ全部歩いた感じです。

堅田なぎさ苑前から見たおとせの浜の桜

堅田なぎさ苑前から見たおとせの浜(本堅田1丁目)。ヨシ原の向こうに桜が見え、釣りをする人をよく見かける場所です。


堅田なぎさ苑前の桜

堅田なぎさ苑前(本堅田1丁目)。琵琶湖の入り江に面した公共施設(公民館)です。琵琶湖のそばというのが、いかにも堅田らしい風景です。

5月14日には、なぎさ苑は供御人行列の準備会場になります。供御人行列は葵祭の前儀で、堅田から京都の下鴨神社へ鮒と鮒寿司を届ける神事です。なぎさ苑の前で桜を見ると、もうすぐ供御人行列だなあと思う筆者です。そうか、あと一ヶ月なんですね。


伊豆神社参道の桜

伊豆神社参道(本堅田1丁目)。江戸時代から残る掘割に、桜の花びらが散って桜色に染まっていました。道は浮御堂北湖岸へ続いています。ちなみに右折すると浮御堂の前に出ますよ。

↓2009年撮影の写真はこちらに掲載しています。

浮御堂の隣・伊豆神社から(2) 蔵通り、桜咲く ~Honkatata/本堅田 252
昔から残る掘割、満開の桜、蔵の並ぶ道。バケツを下げている人が行く、この道の向こうは琵琶湖です。堅田(滋賀県大津市)の写真 本堅田 伊豆神社22「蔵通り、桜咲く」 2009.04.07 12:03■撮影地:伊豆神社 ■拝観:境内自由■住所:滋賀県大津市本堅田1丁目19-26 ■TEL:077-573-2354A canal left from old days, cher...

↓伊豆神社境内の桜はこちらに掲載しています(2015年撮影)。

滋賀の桜(7) 伊豆神社の桜と、幸福の石(滋賀県大津市本堅田)
伊豆神社は、近江八景「堅田の落雁」として知られる「浮御堂」のそばにある神社です。堅田大宮とも呼ばれ、琵琶湖に続く掘割(江戸時代のもの)が周囲を取り囲みます。春にはやさしい色の桜が、↑石橋の両脇↓と、本殿の奥で咲いてくれます。琵琶湖に続く掘割が見えています。写真2枚目に写っている道をまっすぐ行くと琵琶...

↓こちらも境内の桜です(2008年撮影)。

桜 ~Honkatata/本堅田 038
4月4日(金)に今年(2008年)の堅田の桜を探しに行ってきた。街の中のソメイヨシノはほぼ満開、本堅田の湖岸は七分咲きだった。この写真は、本堅田の伊豆神社のもの。ただ、今堅田・出島灯台周辺の桜は、咲き始めのものがほとんど。真野川までは足を延ばせなかったが、そちらの見ごろは次の週末あたりだろうか。堅田の...

光徳寺から祥瑞寺へ続く路地と、祥瑞寺の桜

光徳寺から祥瑞寺へ続く路地(本堅田1丁目)。一番奥は祥瑞寺の境内で、桜が咲いています。左折すると腰切り地蔵(北向地蔵)と本福寺保育園があります。


十六夜公園の枝垂桜

十六夜公園の枝垂桜(本堅田1丁目)。琵琶湖畔の公園で、浮御堂がよく見えます。公園の名は、堅田を訪れた松尾芭蕉の紀行文『堅田十六夜の弁』から採られました。


都久生須麻神社と枝垂桜

都久生須麻神社と枝垂桜(本堅田1丁目)。堅田では遅めに咲く桜で、隣の敷地にある医院の方が植えられた桜です。神社に続く鉄階段が新しくなっていました。

堅田、桜と花と緑(11)・路地と琵琶湖と桜と ~Honkatata/本堅田184、Honkatata/本...
琵琶湖畔にある十六夜公園と、その一角にある枝垂桜です。向かいの都久生須麻神社(つくぶすまじんじゃ)の路地から、撮影しました。この枝垂桜、神社の隣にある医院の方が、寄贈されたと伺いました。例年遅咲きの桜ですので、昨年の写真を早めに出しています。撮影した日は、近所の子どもたちが、十六夜公園に遊びに来...

堅田港近くの一本桜と民家と舟

堅田港近くの一本桜(本堅田2丁目)。桜の全容は↓こちらです。

琵琶湖の畔、堅田港の桜 ~Honkatata/本堅田 380
琵琶湖(堅田港)から引かれた水路のそばで、桜が満開でした。水路に見えているのはすべて漁師さんの舟。ここから琵琶湖へ出漁して行きます。奥に見えている倉庫のような建物は、堅田水上派出所(いわゆる水上警察)。建物の左に、三上山(近江富士)が顔をのぞかせていました。大きな地図で見る堅田(滋賀県大津市)の...

堅田内湖と舟と桜

堅田内湖(本堅田2丁目)。この場所を桜の咲く季節に撮ったのは初めてでした。

↓ちなみに5月末にはこんな感じになります。

琵琶湖のほとりの風景写真「Katata/堅田」|琵琶湖のラグーン(潟湖)、堅田内湖。...
まるで水の上に浮かんでいるような町。堅田内湖のほとり、滋賀県大津市本堅田2丁目を歩いてきました。堅田内湖は何度かご紹介してきましたが、この界隈の写真は初掲載です。実は一枚目の写真、10年以上前に大津市のパンフレットで見たことがあって、ずっと探してきた場所でした。地元の方に聞いても分からず、もう無くな...

琵琶湖大橋の見える公園と桜

琵琶湖大橋の見える公園(今堅田1丁目)。今堅田版のおとせの浜と言ったらいいでしょうか。湖岸では、冬場に刈られたヨシが生えてきていました。茶色の球状のもの、丈の長い茶色の草がヨシです。


堅田内湖公園と桜

堅田内湖公園(今堅田1丁目)。公民館の隣で水門と一緒に撮りました。奥で桜が咲いています。


道の駅米プラザと桜

道の駅米プラザ(今堅田3丁目)。かつてこのあたりにあったイーゴス108(観覧車)がないので、ここに来るまでの道中、寂しくなりました。あるはずのものがないので落ち着かない感じといったらいいでしょうか。堅田在住ではないため、このあたりに来ることは少なく、イーゴスのない風景に慣れるまでもう少しかかりそうです。


真野川の桜

真野川下流(真野5丁目~今堅田3丁目)。桜の名所です!

写真ブログ「Katata/堅田」更新しました|真野川の桜 ~Imakatata/今堅田 132 #sh...
本日撮影した桜です。琵琶湖のほとり・真野川の桜は満開でした。今年は例年より1週間程度遅れましたが、咲き始めて2、3日で満開になりました。堅田の桜は、ちょうど見ごろです(^^)(2012年4月16日)真野川は湖西の山から流れ、大津市今堅田3丁目と真野5丁目の境界を流れて琵琶湖に注ぐ川です。国道161号線の琵琶湖大...
堅田の桜の写真(2) 真野川 
淡い桜色の下、一面に広がるセイヨウアブラナの黄色。土手はやわらかな緑で覆われ、真野川が流れていきます。堅田の桜の名所・真野川(滋賀県大津市)の春の風景です。(この写真は2008年4月9日に撮影したものです。)真野川は湖西の山から流れ、大津市今堅田3丁目と真野5丁目の境界を流れて琵琶湖に注ぐ川です。国道161...
堅田、桜と花と緑(10)・真野川の桜 ~Imakatata/今堅田 010(2)
堅田の桜の名所のひとつが、今堅田の真野川(まのがわ)沿いの桜。7日に見に行った感じでは、そろそろ見ごろです。国道161号線から真野浜水泳場までの間、真野川の片側に、桜並木が延々と続いています。途中に橋がないので、桜を近くで見るか対岸から見るか、決めてから歩くことをおすすめします。橋は真野浜水泳場まで...

今回は掲載していませんが、堅田駅西口の再開発が進んでいて新しい道路ができていました。一部はすでに歩けるようになっていたので、真野の中村八幡宮から本堅田6丁目へと歩いています。

堅田駅西口(本堅田6丁目)の街並みは印象がすっかり変わっていて、牧歌的だった江若バスの営業所の辺りは一変していました。今堅田では伊豆神田神社の隣の圓成寺が墓地になっていたりと、歩きながら新しい発見がたくさんありました。堅田駅西口の写真については、時期を改めて掲載したいと思っています。

最初に中村八幡宮に行くと決めていた以外は、足の向くまま、気の向くままの撮影でした。新緑も日ごとに濃くなって、春の伊吹満載。お天気に恵まれた一日でした。

堅田駅(真野1丁目)の桜は、散りかけていたので今回は撮影していません。
堅田駅の桜は↓こちらに掲載しています。

堅田、桜と花と緑(5)・堅田駅と満開の桜 ~Station/駅 107
堅田の春は、光あふれて、町中で桜の花が咲いて、本当に美しいです。2008年4月、私はみつばちのように桜を追いかけて、堅田の春を撮りました。今月はその中から、堅田の桜と花と緑の写真をお送りします。JR湖西線の写真 堅田駅の写真(滋賀県大津市真野) 堅田駅79 「堅田駅の桜2」 2008.04.06 08:43photograph o...

※堅田駅西口の再開発のため、大友桜があると思われる公園に入ることができませんでした。大友桜については、京都新聞のふるさと昔語り(113)大友桜(大津市)をご参照下さい。

撮影日:2016年4月12日(火)
Beautiful scenery of Katata (Honkatata and Imakatata,Otsu city,Shiga,Japan).
Copyright(c)Jun Kanematsu/junphotoworks.com(兼松純写真事務所)

 

伊吹の荒ぶる神8(北国脇往還1:関ケ原から藤川の里を訪ねる、上平寺に寄り道して春照へ)~近江山河抄の舞台を歩く(72)

ある時私は、関ケ原から遡って、藤川の集落を訪ねたことがある。一条兼良はしばらくこの辺に滞在し、『藤川記』という書を残したが、定家も若い頃いたと伝えられ、彼が住んだという旧家も残っている。
・・・
藤川から伊吹の山麓を通って、木之本へぬける裏道があり、北国街道の「脇往還」と呼ばれる。田圃の中に稲架(はさ)がつづくひなびた風景は、近江の懐深く入りこんだという感じがする。その途中、伊吹の村で、円空作の十一面観音を見た。-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

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伊吹山麓の道、北国脇往還を歩く~花と水辺の風景1(関ケ原の栗の木⇒米原市春照のヒガンバナ)


滋賀から岐阜にかけて、北国脇往還と呼ばれる脇街道があります。
北国街道から中山道への近道で、木之本(滋賀)から関ケ原(岐阜)までの30数キロの道です。

近江(滋賀県)から関ケ原へ抜ける近道として、江戸時代に参勤交代に利用されて栄えました。この街道沿いには、歴史あふれる美しい集落が残っています。

その宿場のひとつ、藤川(滋賀県米原市藤川)を訪ねるのが当初の予定でした。
藤川へは路線バスが通っておらず、関ケ原から歩いていくことを考えていたからです。
せっかくの機会なので、関ケ原から木之本までを3回に分けて歩いてみることにしました。(『近江山河抄の舞台を歩く』「伊吹の荒ぶる神」の続編としても今後掲載予定です。)

歴史の話を書くと、どうしても花や風景の写真を載せる機会が少なくなってしまうので、それとは別に、北国脇往還のまちの花や水路の風景を中心に載せてみようと思います。

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堅田内湖と地蔵と老ヶ川橋~古絵図で見る堅田(1)


暑い日が続きますね。皆さま、お変わりありませんか。
何か涼しげな写真を・・・と思い、水辺の写真を選んでみました。
今回は久しぶりに、琵琶湖の畔の町・堅田(かたた)からお届けします。
1枚目の写真は、「堅田内湖」(かたた ないこ)から引かれた水路が、町を巡る風景です。
内湖(ないこ)は滋賀県独特の言葉で、琵琶湖と水路で繋がった水域を指します。
有名なのは近江八幡市の西の湖(にしのこ)で、高島市の乙女ヶ池なども内湖です。

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【葵祭前儀「献撰供御人行列」の写真】 滋賀・堅田町内巡行編(2014/5/14) #katata #shiga #japan #festival #photo


葵祭の前日にあたる5月14日。
琵琶湖畔の本堅田から、京都の下鴨神社へ、鮒と鮒寿司を献上する祭事が行われています。
葵祭の公式関連行事の一つになっている「献撰供御人行列」です。
2009年以降、堅田から同行して撮影させていただき、今回で6年目となりました。
本堅田の美しい町並みとともにお楽しみいただければ幸いです。

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琵琶湖の畔の風景写真「Katata/堅田」|特別編46:近江八幡(おおみはちまん)~願成就寺(がんじょうじゅじ)にて–Beautiful Scenery of Omihachiman City-4- #shiga #japan #photo

願成就寺

まずは写真を御覧頂いた方にご利益がありますように!

その名も、願成就寺(がんじょうじゅじ)。聖徳太子が開基した由緒あるお寺です。
日牟礼山(八幡山)の石段を少し登ったところに、近江八幡の旧市街を見守るように建っていました。

滋賀県近江八幡市は、琵琶湖の東に位置する「水郷と近江商人のまち」。
このブログのタイトルになっている「堅田」のほぼ対岸にあります。

願成就寺案内板

願成就寺の由来

推古天皇27年正月に聖徳太子(48才)が勅を賜り、近江国(滋賀県)に48箇所の寺を建立。最後にこの寺を建て、故に願いが成就したとして願成就寺と号した。
—聖徳太子の願いが「叶った」から、建てたお寺なんですね。さすがにスケールが違います。

願成就絵札案内板

ふもとの京街道門前通りでは、お寺にちなんで「日本一願いが叶う絵札」(願成就絵札)を販売していました。一枚百円、十二枚セットで千円とのことです。願い事のある方はぜひ。

京街道門前通り

京街道門前通りは、町屋の並ぶ落ち着いた通りです。蕎麦屋の日牟禮庵の前で撮影。

願成就寺のお地蔵さん

暑さの中にも一服の清涼感。願成就寺の石仏です。境内ににはたくさんの石仏がありました。


本願寺八幡別院

京街道門前通りから見えていたのが、本願寺八幡別院。実に見事な姿のお寺です。

本願寺八幡別院案内板

本願寺八幡別院。由緒に蓮如上人の開基とありました。

近江(滋賀)のお寺は、京都・奈良に隠れてしまっているけれど、素晴らしい寺がたくさんあります。
生活の中に溶け込んでいて、何より地元の方が大切にされている社寺。
私は、そういう風景を丁寧に撮っていけたらと思っています。

北元町の町並み1
北元町の町並み2

本願寺八幡別院の辺りは「北元町」と呼ばれます。
北元町の町並みにはどこか時間が止まっているような独特の雰囲気があって、近江八幡ならではの美しさを感じました。

案内板によれば、西元町・西末町・北末町とあわせて、明治維新までは「寺内(じない)」と呼ばれていました。寺内とは、本願寺八幡別院の門前町という意味です。

近江八幡は豊臣秀吉の甥・秀次が開いた城下町です。その後、近江商人の町として栄えました。そんなことも相まって独特の雰囲気を醸し出しているのだろうと思います。


夏の八幡掘8・白い蔵と小道

夏の八幡掘。八幡掘は琵琶湖に繋がる運河で、近江八幡を代表する風景です。

「八幡堀は天正13年(1585年)に豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に城を築き開町したことに始まります。秀次は、八幡堀と琵琶湖とを繋ぎ、湖上を往来す る船を城下内に寄港させることで、人、物、情報を集め、さらに楽市楽座制を実施することで城下を大いに活気づけました。」(近江八幡観光物産協会 八幡堀~八幡堀とその歴史について~より)

(※八幡掘の詳細は第1回に掲載しています。)

常夜灯とサルスベリの花、日牟禮八幡宮の鳥居(八幡掘に続く石段の途中から撮影)

常夜灯の側の木陰で、サルスベリ(百日紅)のピンクの花が咲いていました。
向こうには、八幡掘に続く石段と、日牟禮八幡宮の鳥居。
日差しが遮られたせいか、暑い夏もどこか終わりを感じさせてくれるような、そんな一コマでした。

Crape-myrtle ( Lagerstroemia indica ) and A torii at the entrance of Himure hachimangu in Omihachiman City, Shiga Prefecture,Japan. Photography by J.Kanematsu. September 10, 2009.


※この日の撮影では、八幡掘と旧市街の町並みを中心に撮りました。
他にも素敵な場所がたくさんありますので、ご関心のある方は下記を参照下さい。

観光地として有名な場所や他のヴォーリズ建築、水郷めぐりについては、
近江八幡観光物産協会 http://www.omi8.com/index1.htm
八幡山ロープウェー http://www.ohmitetudo.co.jp/hachimanyama/

町歩きのモデルコースについては、
遊歩百選-近江八幡のまちなみ http://www.gaido.jp/machikado/2004/10/23yuuho/


■撮影地:滋賀県近江八幡市小船木町(願成就寺)、北元町(本願寺八幡別院)、大杉町(八幡掘)
小船木町、北元町へのアクセス:JR近江八幡駅から近江鉄道バス約5分 小幡町下車
近江鉄道バス時刻表:6番 長命寺行きまたは長命寺経由 休暇村行き
http://time.khobho.co.jp/ohmi_bus/pol_dsp.asp?teicd=8020

■地図:願成就寺~本願寺八幡別院周辺

大きな地図で見る

琵琶湖のほとりの風景写真「Katata/堅田」|大阪の堺と並ぶ自由都市だった港町、堅田。殿原衆三家の一つ、居初氏の邸宅にて(前編) ~Honkatata/本堅田 477-484 #shiga #otsu #photo

居初氏庭園の緑の垣根

ひしゃく

白い蔵

中世の堅田は、琵琶湖の水運・漁業・造船を支配する力を持ちました。その筆頭格が居初氏です。

居初氏は、下鴨神社に湖魚を奉納する「供御人」の系譜に繋がる旧家でもあります。
献饌供御人行列の「供御人」はここから来ています。

※「献饌供御人行列」(けんせん くごにん ぎょうれつ)
葵祭の前日(5/14)、堅田から下鴨神社に”琵琶湖の鮒(ふな)”を奉納する行列。
葵祭の写真とともに、5月のバックナンバーでご紹介しています。


居初氏庭園のツツジ

歴史を遡ると、堅田は1090年(平安時代)に京都の下鴨神社御厨(みくりや)となりました。続いて堅田とその周辺地域に比叡山延暦寺の荘園(堅田荘)が成立します。

御厨(みくりや)とは、「厨(くりや)」(「台所」の意)の敬語的表現。
中世日本においては皇室や伊勢神宮など、有力な神社の荘園(神領)を意味する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/御厨

当時、堅田には三つの党がありました(居初・刀弥・小月の殿原衆)。
堅田は下鴨神社延暦の権威を背景に、湖上関の通行税の徴収権などの湖上特権を確立していきます。
御厨となって約90年後の1182年、伊豆神社に宮座が置かれ、堅田は殿原衆を中心に惣の運営を始めます。
大阪の堺と並ぶ、中世の自由都市の始まりでした。

茶室の茅葺屋根

この間、堅田では、自由都市ならでは人の往来がありました。
一休和尚が堅田の祥瑞庵(現在の祥瑞寺)で修行(1415年)
・京都を追われた蓮如上人が堅田の本福寺に数年滞在(1465年~)
・蓮如上人を匿ったことが発端となって、比叡山延暦寺の衆徒が堅田の真宗門徒を攻撃(1468年、堅田大責

蓮如上人の件以前に、堅田は湖上関の通行税(上乗)の徴収で室町幕府に疎まれていたようです。花の御所造営に使う木材に同じように上乗を要求した事から、8代将軍足利義政は領主である延暦寺に堅田の処分を要求しました。当時の延暦寺は蓮如を「仏敵」としていたので、蓮如を匿った事が比叡山を刺激したわけです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/堅田

堅田大責で町を焼かれた人々は、琵琶湖に浮かぶ沖島に逃げました。
2年後に比叡山延暦寺に和解金を払う事で再び堅田へ戻ってきます。
そのとき、堅田の実権が殿原衆(地侍)から全人衆(まろうどしゅう、商工業者・周辺農民)へと移っていったと言います。

1587年、豊臣秀吉が大津百艘船制度を設けた事で、約500年続いた堅田の特権時代が衰退していきます。

※5月27日に、堅田観光協会の取り組みで一般公開された際、撮影させていただいたものです。せっかくの機会ですので、地元の方に伺った事など交えて、居初氏と中世の堅田の歴史を書いてみました。
居初邸には天然図画亭(てんねずえてい)と呼ばれる日本庭園(名勝)があります。次回掲載します。


クスノキの大木

居初邸の庭園にある巨木。クスノキのようです。

琵琶湖岸から見た居初邸

↑琵琶湖岸から見た居初邸。そして、↓居初邸から見た琵琶湖と葦(ヨシ)。目の前に広がる雄大な風景です。

居初邸から見た琵琶湖とヨシ

堅田(滋賀県大津市)の写真 本堅田 「居初氏庭園にて」 1-8
2012.05.27撮影■撮影地:滋賀県大津市本堅田2丁目

Isome-shi Garden.This is a Japanese garden made before 1681.
Photograph of Honkatata-2chome,Otsu,Shiga,Japan 2012.05.27″At Isome-shi Garden”1-8


堅田の風景動画(短編集・Silent Movie)
動画・2009.5.14献撰供御人行列(Silent Movie)

琵琶湖のほとりの風景写真「Katata/堅田」|涼しげなお地蔵さん。本堅田2丁目にて。 ~Honkatata/本堅田 474-476 #shiga #otsu #photo

涼しげなお地蔵さん。本堅田2丁目にて- 1

堅田内湖〈前回)から琵琶湖の方向へ向かって歩いていくと、一本の道にぶつかります。
道の角にあったのが、このお地蔵さん。↑地蔵堂の左下にも、二体あります。↓

涼しげなお地蔵さん。本堅田2丁目にて- 2

初夏を思わせる、涼しげなお地蔵さんです。前掛けと湯のみ、季節のお花がいいですね!

一枚目の写真に写っている住宅の裏は、実はもう琵琶湖です。
次回ご紹介するのは、この通りにある旧家です。 ↓

居初邸の蔵-1

本堅田2丁目の「居初邸」です。(敷地内より、一般公開の際に撮影。)
中世の堅田は琵琶湖の水運を支配する力を持ちました。その筆頭が居初氏です。

居初邸には、天然図画亭(てんねずえてい)と呼ばれる日本庭園(名勝)があります。
普段は居初さんが個人宅としてお住まいなので、予約しないと見学はできません。
先日(5月27日)に、堅田観光協会の取り組みで一般公開された際、撮影させていただきました。


堅田(滋賀県大津市)の写真 本堅田 「涼しげなお地蔵さん。本堅田2丁目にて」 1-2
堅田(滋賀県大津市)の写真 本堅田 「居初邸の蔵」 1
2012.05.27撮影■撮影地:滋賀県大津市本堅田2丁目

Photograph of Honkatata-2chome,Otsu,Shiga,Japan 2012.05.27
“Jizo at Honkatata-2chome”1-2
Photograph of Honkatata-2chome,Otsu,Shiga,Japan 2012.05.27
“Kura (Japanese Old Warehouse) at Isome Residence”1


堅田の風景動画(短編集・Silent Movie)
動画・2009.5.14献撰供御人行列(Silent Movie)