鞍掛神社と梅の花(滋賀県大津市衣川)

鞍掛神社の梅

初めて鞍掛神社を訪ねたのは、2013年の3月。静まり返った境内を、梅の花が咲いていました。その佇まいが深く印象に残ったので、また梅の咲く時期に訪ねたいと思いながら3年ぶりに訪ねると、6本ある梅の古木が変わらず迎えてくれました。

鞍掛神社は衣川台という住宅地の一角にあります。参道に足を踏み入れると空気が一変します。私は特に何かを感じる性質ではありませんが、ここは聖域だと実感する場所です。

「参道の空気(雰囲気)」というと何だか感覚的な話になってきますが、境界のめりはりがはっきりしている場所なのかもしれません。寺社や自然が観光地化されてくると、聖域と世間の境界が曖昧になってくる印象を持っています。

今まで仕事等で撮影してきた中にパワースポットと言われる場所・神社がいくつかありましたが、参道で空気が一変したのは、小野神社(滋賀県大津市小野(旧志賀町小野))、大避神社(兵庫県赤穂市坂越)、室生龍穴神社(奈良県宇陀市室生)、天智天皇陵の陵墓前(京都市山科区)、そして鞍掛神社でした。

梅

鞍掛神社境内

鞍掛神社(滋賀県大津市衣川2丁目)。陽成天皇の勅命によって882年に創建された神社で、弘文天皇を祀っています。この地は、天智天皇の子・大友皇子(弘文天皇)が最期を迎えた場所という伝説が残る場所です。

鞍掛神社の伝承は、日本書紀と異なります。壬申の乱で敗れた大友皇子は、従者と共に衣川の地に落ち延びました。皇子は乗ってきた馬の「鞍」を柳の木に「掛」けると、自ら命を絶ったと伝わっています。

伝承では、大友皇子の最期をみとった二人の侍臣がいて農民となって衣川に定住しました。その子孫は同じ名字(中村姓)を名乗るようになり、鞍掛神社の氏子がその末裔だと言われています。

鞍掛神社本殿

鞍掛神社

大友皇子の最期地は各地に伝承があります。壬申の乱で敗れた瀬田の唐橋の周辺が多いようです。知られたところでは大津市内に3箇所ある御霊神社がそうですし、唐橋に近い石山寺の境内にも慰霊の若宮があります。

同じ大津とはいっても、鞍掛神社は唐橋からかなり離れたエリアにあります。壬申の乱の激戦地となった岐阜県の関ケ原を訪ねた際には「弘文天皇御陵候補地・自害峯の三本杉」があることを知りました。

こんなにたくさんの伝承地があるのは、父・天智天皇亡き後、叔父の大海人皇子(後の天武天皇)と皇位継承争いをしなければならなかった若き皇子の悲劇が、多くの人の心に刻まれてきたからでもあったのでしょう。

昨年の秋、奈良県の明日香村にある天武天皇の御陵(天武・持統天皇陵)を訪ねる機会がありました。小高い丘を登っていくと、周囲は一面の柿畑でした。あまりにのどかで平和な風景に、なんだか救われる思いがしました。(そのときの写真はこちらです

 

大友皇子の命日は7月23日とされるため、鞍掛神社では毎年7月に例祭を行なっています。

2013年例祭の様子を撮影させていただいたときの写真です。
大津市衣川/鞍掛神社 2013年例祭の写真(前編)
大津市衣川/鞍掛神社 2013年例祭の写真(後編)

鞍掛神社(大津市衣川2丁目28-1)

撮影日:2016年2月21日(日)
Kurakake shrine(Kinugawa,Otsu city,Shiga prefecture,Japan) and Japanese apricot,Prunus mume.
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