滋賀県大津市堅田周辺に残る、御旅所「唐崎」の謎が解けました!

トトロが出てきそうな風景(クスノキとモミジの大木)

御旅所(おたびしょ)とは、神社の祭礼(神幸祭)において神(一般には神体を乗せた神輿)が巡幸の途中で休憩または宿泊する場所、或いは神幸の目的地をさす。 wikipedia(御旅所)

私が初めて御旅所「唐崎」に出会ったのは、京都に近い大津の山中。
滋賀県大津市伊香立南庄町、唐崎せせらぎ公園(融神社向かい/写真)でした。
地元の方に話を聞くと、「唐崎」は御旅所の名前だそうで、不思議に思ったのです。

「唐崎」といえば、琵琶湖畔の松(近江八景「唐崎夜雨」)で有名な、あの唐崎のこと?
どうして琵琶湖から遠く離れた山の中に、突然「唐崎」が出てくるんだろう??

水の上に浮かんでいるような風景(神田神社と水田の風景)
先程の伊香立から琵琶湖の方向に向かって車を走らせると、真野の町に出ます。
写真は滋賀県大津市真野4丁目の神田神社です。ここの御旅所も「唐崎」なのです。

唐崎にも行ってみたけれど、謎は解けぬまま、月日は流れました。手がかりは堅田の歴史をたどる旅の中にありました。

湖族の郷資料館前到着
今回は、このブログのタイトルになっている堅田とその周辺の町の話を書きます。

堅田(滋賀県大津市本堅田・今堅田・堅田)は琵琶湖畔の町で、比叡山からそれほど離れていません。鎌倉時代には比叡山延暦寺の荘園となり、その庇護を受けました。

堅田は平安時代末期(1090年)に下鴨神社の御厨(みくりや)となり、毎日「御膳料」としての鮮魚を献上する代わりに国司によって所役を免除されていました。この歴史が葵祭前儀「献饌供御人行列」として再現されていることは当ブログでもご紹介してきました(写真)。

堅田は中世に琵琶湖最大の自治都市を築きます。そのもうひとつの後ろ盾となったのが比叡山延暦寺でした。弘長2年(1262年・鎌倉時代)には比叡山の荘園として庇護を受けていたことが、本堅田の本福寺の「本福寺由来記」や延暦寺の「天台座主記」に記されています。

比叡山延暦寺の荘園(堅田とその周辺の町に関するもの)

近江滋賀郡 真野荘、真野新免、和邇荘、和邇浜、木戸荘、山田荘、大和荘、志賀南・北荘、比良荘、伊賀立(筏立)荘筏立南荘仰木荘、堅田荘、普門荘、竜花荘、戸津荘、大野荘、東坂本、三津浜、苗鹿村、法光寺、葛川山、穴太薗、志賀勅旨田南・北荘園

太字にした場所は、地元の神社に御旅所「唐崎」がある地域です。伊香立下在地町の八所神社(春祭り)も御旅所「唐崎」。仰木の小椋神社(泥田祭)は、若干イレギュラーですが、御旅所「下唐崎」。

御旅所「唐崎」はやはり比叡山延暦寺と何か関係があるのでは?と思っていたとき、和邇の天皇神社の研究をされている先生の講演を拝聴することができました。天皇神社の「和邇祭」の御旅所も「唐崎」なのです。

日吉大社の山王鳥居
手がかりは、比叡山の守護神である日吉大社(滋賀県大津市坂本)にありました。
日吉大社の祭りといえば、山王祭

山王祭のクライマックスと言えば・・・そう、唐崎神社沖の琵琶湖上です。

日吉大社山王祭は、比叡山の麓にある八王子山にあげた二基の神輿を4月12日夜に再び日吉大社に下ろし、13日~14日にさまざまな祭事を行います。最終日の15日には七社の神輿が参道をくだり、琵琶湖畔で台船に載せられて湖上を巡行します。唐崎神社沖粟津の御供献上祭を行い、神輿は再び陸に上げられて坂本の町に戻ってきます。

中世の山王祭についてはほとんど分かっていないそうですが、比叡山延暦寺の荘園だった地域には山王祭の面影を残す祭事が残っており、天皇神社の「和邇祭」は山王祭によく似ているとのお話でした。そして改めて調べてみると、唐崎神社は日吉大社の摂社です。

御旅所「唐崎」は、やはり、琵琶湖畔の「唐崎」(唐崎神社)に由来する場所でした。このことからも、「唐崎」は古来から神聖な場所として考えられてきたことが分かります。堅田と周辺の町は歴史ロマンあふれる地域だと改めて実感しました。

参考:大津市歴史博物館れきはく講座(2015/7)「日吉大社と周辺の祭り」