伊吹の荒ぶる神11(北国脇往還4:小谷郡上から雨森を経て北国街道木之本へ)~近江山河抄の舞台を歩く(75)


朝の光の中、ソバ畑の向こうに、街道沿いの集落(小谷美濃山)が見えていた。
北国脇往還を3回に分けて歩く最終日は、長浜市の小谷郡上から木之本までの約11km。河毛駅から小谷郡上に出て、道なりに進み、小谷美濃山から小谷丁野(おだにようの)へ入る。


小谷丁野町に立てられていた北国脇往還の石碑。
碑文によれば、石碑前の道は昔、山田川が流れ、小谷山との間に南北に街道が走っていた。江戸時代初期頃、山田川は現在のように西進し、街道がここに移されたと推測されている。そして北国海道という名の街道は、明治初め頃から北国脇往還と呼ばれるようになったという。


小谷丁野にて、集落をまっすぐ走る北国脇往還。
地元の方が話しかけてこられたので、しばらく立ち話をした。
北国脇往還のことはよくご存知で、外から来る人間のこともよく見ておられると実感する。


山田川を渡って、高月町馬上(まけ)の集落に入る。
御覧の通り、暮らしの中に水路がある美しいところだ。


馬上集落と北国脇往還。


馬上の水路脇にある「北国きのもと道 すきのかねゐはら道」の道標。
反対側には「右 東京 せきかはら道」(注:せきかはら=関ケ原)と刻まれている。


馬上集落の北で、高月川を渡る。
高月川の河川敷をしばらく歩くと、導かれるように雨森の集落へと入っていく。


北国脇往還の道標。「ひだり きのもと」、反対側に「みぎ せきがはら」と刻まれている。
少し寄り道になるが、近くの雨森芳洲庵と天川命神社を訪ねてみた。


高月町雨森(あめのもり)。江戸時代の儒学者・雨森芳洲のふるさととして知られる。
美しい町並みは、平成17年に国土交通大臣表彰「手づくり郷土賞」の大賞を受賞している。
※ちなみに、当ブログのふるさと・堅田も平成6年に受賞しています(堅田の宮ノ切)


「東アジア交流ハウス雨森芳洲庵」(芳洲生家跡)。
雨森に生まれた芳洲は、18歳頃に江戸の木下順庵の門弟となる。(同門には新井白石がいた。)
20代で対馬藩の宗氏に仕え、後に朝鮮方佐役という外交の実務職に就く。
36歳から3年間、釜山に滞在して朝鮮語を習得。中国語も学び、三ヶ国語に通じていた。朝鮮通信使に二度随行している。


天川命神社(あまかわのみこと じんじゃ)のイチョウ。推定樹齢300年以上の巨木だ。
ちょうど11時20分頃だったので、神社の境内で早めの昼食にした。
ちなみに、この後、天川命神社から木之本宿まで、撮影しながら歩いて1時間くらいだった。


浅井氏の重臣・井口弾正の菩提寺とされる「己高山 理覚院」(高月町井口)。
井口氏は古くは京極家に仕え、のちに浅井氏に仕えた土豪だったという。
境内には滋賀県指定名勝「理覚院庭園」の案内板がある。
※観音堂の拝観には予約が必要。(詳細⇒理覚院/滋賀|仏像ワンダーランド


日吉神社(高月町井口(いのくち))。
北国脇往還沿いではいろんな神社に出合ったが、とりわけ印象に残る神社だった。
北国脇往還は、集落の真ん中を、南北または東西に走っていることが多い。
それゆえ、地元の氏神さますべてに挨拶して歩くようなものだった。


地元の方が立てた石柱(高月町持寺(もちでら))。
曲がり角に目印として立てられており、おかげで長浜市内は道が非常に分かりやすかった。


一面の黄金色が続く田んぼ(木之本町田部(たべ))。

ある時私は、関ケ原から遡って、藤川の集落を訪ねたことがある。
・・・
藤川から伊吹の山麓を通って、木之本へぬける裏道があり、北国街道の「脇往還」と呼ばれる。田圃の中に稲架(はさ)がつづくひなびた風景は、近江の懐深く入りこんだという感じがする。その途中、伊吹の村で、円空作の十一面観音を見た。
・・・
近江に十一面観音が多いことは、鈴鹿を歩いた時にも気がついたが、特に伊吹山から湖北にかけては、名作がたくさん残っている。-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

滋賀県北部(湖北)は京都の鬼門にあたるため、多くの仏像が作られ、地元の方に守られてきた。特に高月町は観音の里として知られ、渡岸寺 (どうがんじ)観音堂には国宝の十一面観音がある。このシリーズの締めくくりとして、石道寺とともに、次回ご紹介したい。


北国脇往還の起点・木之本宿(木之本町木之本)へと入る。
「みぎ 京いせミち ひだり 江戸なごや道」と刻まれた道標がゴールだ。


本陣跡にある薬局の前では、薬に関する古い看板を見ることができる。


北国街道・木之本宿の落ち着いた町並み。老舗の醤油屋、酒屋などが立ち並ぶ。
ちなみに、この界隈では現在、黒田官兵衛博覧会が行われている(2014年12月28日まで)。木ノ本駅の北側に位置する木之本町黒田が、黒田氏発祥の地と言われている場所なのだ。

この日はまだ暑かったので、木之本地蔵院に寄って、木ノ本駅まで歩いて帰った。
それにしても地名は「木之本」、駅名だけ「木ノ本」が使われている理由は、表記の関係なのかな・・・?

(撮影日:2014年9月23日)

 

次回予定:伊吹の荒ぶる神12(渡岸寺、石道寺、そして湖北の仏様たち)

▼今回掲載できなかった写真を掲載しています。
伊吹山麓の道、北国脇往還を歩く~花と水辺の風景4(長浜市/高月町馬上の水辺⇒雨森のイチョウ⇒木之本)

▼【北国脇往還】全行程を地図でご紹介しています。行程メモ付き。