伊吹の荒ぶる神10(北国脇往還3:長浜市八島から、伊部宿を経て、小谷郡上まで)~近江山河抄の舞台を歩く(74)


北国脇往還は、岐阜の関ケ原から滋賀の木之本へ抜ける脇街道で、伊吹山南麓を通る。
中山道・北国街道間の近道で、秀吉の大返しや江戸時代の参勤交代に使われた歴史ある道だ。

この北国脇往還を3回に分けて歩いたのは、今年9月のことだった。
9月も中旬を過ぎると気温30度を切るが、この日は風の強い日だった事を覚えている。

2日目は昼食後、長浜市の野村西交差点付近から国道365号を歩き、草野川橋を渡った。
内保東を過ぎたあたりで、道中初めてコンビニに出合う。
しばらく行くと、八島南の交差点手前の道端に、脇往還の案内道標があった。
少し行くと特大の案内板があり、畑の中の小道を歩いて八島の集落に入っていった。
写真1枚目は長浜市八島町にて、秋葉神社の参道(写真左側の道)と北国脇往還(右側の道)。


八島は道標が多く残る土地だ。最初にご紹介するのが、八島の道標(その一)。
北国脇往還と田根みちとの分岐点に建っていたもので、近代になって寄進されたと伝わる。「東 関ケ原  約五里」「西 木之本みち」「南 内保  約五丁」「北 田根みち 八島」と刻む。案内板によれば、田根とは近代に高畑や小室など十四集落を総称した田根村を指すらしい。


八島の水車。
集落の中に水路と緑地帯があり、柿の木のそばに美しい水車があった。


八島の道標(その二)。
玄龍寺の角にあるこの道標は江戸時代のものとみられ、八島では最も古いとされる。
「左 江戸道」「右 越前道」と刻まれ、越前をさすのはこの道標だけという貴重なものだ。


八島の道標(その二・その三)。なんと玄龍寺の角とその向かいに、1つずつ道標がある。
玄龍寺側(写真右)の道標が、先ほどご紹介した江戸時代のものとみられる道標だ。
他方、その向かい側(写真左)の道標は、明治17年の北陸本線開通後に寄進されたもの。「左 関ケ原ミち」「西 虎姫驛 一里」「南 内保  約四丁 木之本 約二里」「北 八島」と刻む。


八島の道標(その四)。八島集落の北側にあり、「左 江戸道」とだけ刻まれている。
案内板には「かつては江戸に通じる主要道路であったことがうかがえる」と紹介されていた。


亀塚古墳(こがね塚)。6世紀頃に作られた円墳で、八島集落のはずれにある。
大友皇子の重臣で、壬申の乱の際に当地(浅井田根)で斬られた右大臣・中臣連金の墓と伝わる。
高さ約5m、周囲約102m。この亀塚古墳の前を北国脇往還が通っている。
ここにも地元の方が設置した脇往還の案内道標が立てられていた。

しばらく田圃の中の道を進むと、脇往還の案内道標と実宰院の看板があった。
当地近くにあった小谷城が落城後、浅井三姉妹と母のお市が避難した寺(実宰院)が近いのだ。浅井長政の姉・阿久姫が出家して住んでいたことから、実宰院(じっさいいん)に匿われたという。


次いで尊勝寺の集落に入る。民家の向こうに伊吹山の雄大な姿が見えていた。
地元の方が設置した道標を目印に進むと、民家の庭の前を通り、工場の横に出る。


畑と工場の間を、北国脇往還が通っている。


失われた北国脇往還・・・(写真の案内板をご覧下さい)。
山ノ前集落では、1978年から翌年にかけて、北国脇往還の二箇所が水田となった。


山ノ前町にて(失われた北国脇往還その一)。
車道の向こうに続く道が、かつての北国脇往還。途中で水田に変わっている。
迂回路(車道)を歩きながら、かつての脇往還の跡をたどってみた。


山ノ前町にて(失われた北国脇往還その二)。
この先は道がないが、かつて北国脇往還が通っていたと思われる箇所だ。
2014年現在の姿として、せめて記録に残しておきたいと思った。


伊部集落の入り口で、北国脇往還(地蔵堂の奥から左にかけての道)に合流する。
地蔵堂の向こうには、伊吹山が見事な姿を見せていた。
道の反対側には、近年に立てられた案内道標があった。橋を渡ると伊部宿に入る。
江戸時代も、きっとここから伊吹の姿が見えたはずだ。不思議な雰囲気がある場所だった。


伊部宿本陣跡。建物(非公開)と特大の案内板がある。
伊部は北国脇往還のほぼ中間に位置し、「上小谷伊部宿」とも呼ばれたところだ。
小谷宿は、上り(木之本方面)が伊部、下り(関ヶ原方面)が郡上の二宿一駅の形態がとられていた。
伊部本陣は代々、肥田家が勤務を命じられ、当家には三千点にわたる古文書が残されたという。1803年(享和三)の海道帳には、地図を作るために日本を旅した伊能忠敬の宿泊記録もあるとか。

そして下りの郡上とは、伊部の隣にある小谷郡上のことで、浅井長政の城下町があった場所である。
1573年(天正元年)の小谷城の戦いで小谷城は落城し、織田信長に敗れた長政は切腹する。1573年といえば、長政の娘・浅井三姉妹(茶々・初・江)の三女、江姫が生まれたとされる年だ。

北国脇往還は、伊部のはずれで小谷城址(登山道)に続く道と分かれ、小谷郡上へと続く。郡上南で国道365号を横断すると、右手に伊吹山、正面に「史蹟小谷城址」の看板がよく見えた。小谷城戦国歴史資料館(駐車場入り口)を横目に、小谷郡上の集落へと入っていく。


城下町大谷市場跡(小谷郡上)にて。
小谷城の時代、脇往還に沿ってここには城下町があった。この辺りがその中心だったらしい。そして、若狭(福井県)から届けられる、新鮮な海産物を扱う市場があった。
小谷落城後、秀吉が城下町を長浜に移したのに伴い、大谷市場も長浜へ移されたという。


小谷郡上の一角で、高札場の石碑を見つけた。


伊吹山の麓でよく見かける、三角屋根の日本家屋を見た。


小谷郡上の集落の上に、伊吹山がわずかに頭を見せていた。
伊吹は場所や季節に応じて表情を変え、どっしりとした姿で、見飽きることがない。
この日は郡上から再び国道365号に戻って、国道を横断し河毛駅まで歩いて帰った。
(撮影日:2014年9月18日)

 

次回予定:伊吹の荒ぶる神11(北国脇往還4:長浜市小谷郡上~木之本)
最終回は、小谷郡上から水辺の町・馬毛、高時川、雨森を経て、終点の木之本へ。

▼今回掲載できなかった写真を別記事で掲載しています。
伊吹山麓の道、北国脇往還を歩く~花と水辺の風景3(長浜市/野村の水路と八島の水車⇒伊部宿⇒小谷郡上のお地蔵さん)

▼【北国脇往還】全行程を地図でご紹介しています。行程メモ付き。