伊吹の荒ぶる神4(琵琶湖岸の神話の町~朝妻湊跡と湖底遺跡、世継の七夕伝説、山内一豊の母・法秀院ゆかりの地、元伊勢・坂田神明宮(滋賀県米原市朝妻筑摩・世継・飯・宇賀野))~近江山河抄の舞台を歩く(62)


関ケ原を越えて滋賀県に入ると、最初に迎えてくれるのが伊吹山である。
標高1,377m。日本百名山のひとつであり、美しいお花畑で知られている。
その麓に広がる風景を写真でご紹介しているのが、「伊吹の荒ぶる神」シリーズになる。

参考にしたのは、随筆家・白洲正子さんの紀行文『近江山河抄』(1974年刊)である。
2013年夏にまずご紹介したのが、中山道の宿場町である柏原と醒井(米原市柏原、醒井)。
そして、独自の情報として、醒井養鱒場で知られる上丹生(米原市上丹生)を追加した。
今回は3回に分けて、琵琶湖岸から関ケ原まで、伊吹山の麓の風景をご紹介します。
(撮影:2014年2月、2013年10月)


朝妻湊跡(米原市朝妻)。奈良時代から江戸時代に至るまで、湖上交通の要衝だった。
奈良時代、朝妻の隣の筑摩付近に、大膳職御厨(朝廷の台所)が置かれた。
朝妻は、北近江・美濃・飛騨・信濃からの献上品や役人を運ぶための港として賑わった。
朝妻湊からは大津、坂本へ定期便が出ていたという(※大津、坂本から京都へは陸路)。
この付近は「朝妻千軒」といわれ、家屋が千軒以上あったといわれる。
木曽義仲や織田信長が京都に向かって船出したのも、この朝妻湊からだった。

醒井の近くの湖水のほとりには、「世継」という村があるが、『大鏡』、『今鏡』などの物語が、「世継の翁」によって語られたのをみると、日本武だけでなく、神功皇后や武内宿禰の伝説の、おおよその出所は見当がつく。『坂田郡志』によると、世継は四ツ木とも書き、大きな木が四本立っていたというが、舞台か祭場のようなものを聯想させる。・・・上古に繁栄した朝妻の港の一部だから、世継の翁の語りを聞きに、集まる人も多かったと想像される。
白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

慶長18年(1612)、北村源十郎という人物が、現在のJR米原駅付近に米原港を開設する。
米原港、松原港、長浜港が彦根三港といわれ栄えていく中、朝妻湊は廃止となった。
明治18年(1886)、鉄道が敷かれると米原港も廃止され、時代は陸上交通へと変遷していく。
朝妻湊跡は現在、憩いのための公園になっている。


朝妻の尚江集落は、正中2年(1325)の大地震でほとんどが湖中に没したという伝承がある。
調査の結果、朝妻湊跡沖の湖底で、12世紀中葉を中心とする土器や軒平瓦が見つかった。尚江千軒遺跡である。


筑摩神社に掲示してあった「尚江千軒遺跡」の解説。
筑摩神社沖でも、土坑や7~8世紀の須恵器横瓶を伴う石群が確認されている。


筑摩神社。神功皇后(オキナガタラシヒメ)が祈願したという伝承が残る神社である。
JR米原駅から、米原小学校脇の道を川沿いに30分ほど歩くと到着する。
車だと「入江橋」の信号の南になる。琵琶湖に面した車道のすぐそばに神社がある。


筑摩神社の例祭は「鍋冠まつり」といい、日本三大奇祭の一つとして知られている。
数え年8つの少女8人が狩衣姿に張子の鍋をかぶって、お旅所から筑摩神社まで歩く。
毎年5月3日に行われており、『伊勢物語』に「筑摩の祭」と詠まれている歴史ある祭である。

祭神が食物の神であることから、穀物を土鍋に入れて供えたのが起源と考えられている。
筑摩付近に置かれていた御厨(朝廷の台所)の様子を再現したという説もある。
「近江なる 筑摩の祭 とくせなむ つれなき人の 鍋のかず見む」(伊勢物語)


筑摩神社の南には、磯崎神社という興味深い神社がある。
なんと、ヤマトタケルノミコトは、当地(磯の地)で亡くなったという伝承があるのだ。
伊吹の神と戦って瀕死の重傷を負ったヤマトタケルノミコトは、居醒の清水で傷を癒した。
古事記、日本書紀には、その傷が元で亡くなったと書かれている。
伝承を元に磯崎神社が建てられ、ヤマトタケルノミコトは守護神として祭られた。

「鍋冠まつり」と同じ5月3日に、磯崎神社では「磯武者行列」という例祭が行われている。
ヤマトタケルノミコトにあやかって、男児は武者姿、女児は稚児姿で湖岸を巡行する。
鍋冠まつりといい、磯武者行列といい、民俗学的にも興味深い祭礼だと感じる。


話は世継に戻る。朝妻と世継には、湖北の七夕伝説が残っている。
世継の観光地図(写真)です。こちらをクリックすると拡大します。


朝妻神社。かつては牛頭天皇社と呼ばれ、境内の外に彦星の墓と言われる石が残っている。


想い人のいる女性は朝妻神社にお参りするといい。地元の方にそう教えていただいた。
ここは恋が叶う神社なのだ。


「天野川」(あまのがわ)にかかる朝妻橋を渡ると、世継の蛭子神社がある。
ここには仁賢天皇の第二皇女・朝濡(織姫)の墓がある。

想い人のいる男性は蛭子神社にお参りするといいと、地元の方に教えていただいた。

正式な手順を踏みたい人は、7月1日からの7日間、男性は姫宮(蛭子神社)へ、
女性は彦宮(朝妻神社)にお参りする。
そして、七夕の夜に2人の名前を書いた短冊を結び、天野川に流すと恋が成就する、という。
これが湖北の七夕伝説である。


天野川(あまのがわ)にかかる朝妻橋。朝妻神社と蛭子神社をつないでいる。


蛭子神社の境内にある句碑。先述した世継の翁の伝承を踏まえた歌である。
「鳰鳥(にほどり)の 息長川は 絶えぬとも 君に語らん 言(こと)つきめやも (万葉集)」
先程の「天野川」の古名が、息長川である。

この歌は、聖武天皇と光明皇后が、難波宮に幸された時、「河内の国 伎人(くれ)の郷の馬の国人」が奉ったと伝える。伊吹山中に発する息長川は、天野川となって朝妻で湖水に入るが、その川が絶えることがあっても、お話することはつきないでしょう、という言葉は、あきらかに世継の語りを踏えている。琵琶湖には鳰鳥(かいつぶり)がたくさんいるので、「鳰の海」[注:におのうみ]とも呼ばれたが、水中にもぐっていることの出来る息の長い鳥だから、息長の枕詞にも転用された。・・・伊吹おろしの凄まじさと、鳰鳥の息の長さと、そういうものが交り合って、息長氏の伝承となり、ひいては長命寺の由来を形づくるに至った。-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

息長(おきなが)氏。伊吹山の麓を歩くと、決まってぶつかる名前だった。
ヤマトタケルノミコトの妃の一人は息長氏だし、米原市内には息長陵と呼ばれる古墳がある。
息長陵に祀られているのは、敏達天皇の皇后・息長広姫(おきなが ひろひめ)といわれている。調べていくと、息長広姫は、大津に都を開いた天智天皇の曾祖母にあたる人物だった。
ちなみに天智天皇の父(舒明天皇)の諡名は、息長足日広額(おきなが たらしひ ひろぬか)。

「安(注:現在の野洲)の三上氏も、坂田郡の坂田氏も、みな息長の一族であった」
「オキナガタラシヒメと呼ばれた神功皇后も、この一族の出であった」と白洲さんは記す。息長氏は近江の一大勢力だった。


天野川が流れる世継の集落には、「かなぼう」と呼ばれる井戸水が見られる。
鉄分を含んだ霊仙山の伏流水が、地下100メートル前後から湧き出しているのだ。
かなぼうは三層になっていて、一層目は飲料水、二層目は冷却用に使う。
三層目(ゴザがかけてある箇所)は、野菜などを洗う生活用水として使われている。


世継からJR坂田駅へ向かって歩くと、天野川のほとりに、飯という集落がある。
ここは、山内一豊の妻として知られる千代のふるさとである。
千代の父は浅井家の家臣で、若宮喜助友興という武士だった。
幼くして両親を亡くした千代は、隣の宇賀野という集落に裁縫と行儀見習いに行っていた。
その人物こそが、一豊の母・法秀院だった。
法秀尼は戦で夫を亡くし、織田信長に追われて、宇賀野の長野家に身を寄せていた。
利発な千代を見初めた法秀院が、息子(一豊)の妻に推したと言われている。


息子の迷惑になることを慮った法秀院は、最期まで宇賀野を離れなかったという。
宇賀野もまた水の美しいところで、集落を水路が巡っていた。
地元の方のご案内で、法秀院や長野家のお話を伺うことができた。


宇賀野にある法秀院の墓。平成9年に現在の新しい墳墓になっている。
現在は地元の方が顕彰会を作って、大切に守っている。


坂田駅前にある、山内一豊と千代の像。地元の彫刻家の方の作品だと伺った。
NHKの大河ドラマ「巧妙が辻」(司馬遼太郎さん原作)の放送に際して作られたものだという。一豊と千代が二人並んでいる像は、全国でもここだけだという話だった。


坂田駅のそばには「坂田神明宮」がある。内宮の坂田宮は元伊勢(もといせ)の一つである。
伊勢神宮は、伊勢に鎮座するまで、大和・伊賀・近江・美濃・尾張を移動した伝承をもつ。
一時的に鎮座した場所は元伊勢(もといせ)と呼ばれ、その一つが近江の坂田宮である。
伝承には、伊勢への道中、倭姫命は坂田宮(さかたのみや)に2年滞在したとある。

元伊勢については、近江のもうひとつの元伊勢、甲可日雲宮をめぐる話を参照いただきたい。http://katata.info/2013/11/ohmisangasyo-044/


坂田神明宮の境内にあった井戸。神秘的な水の色だった。
歴史ある社寺や建造物を撮っていると、自分の理解の次元を越えるものに出会うことが多い。そんな時、神話や伝承は何かの寓話であって、暗示するものがあるように感じる。

神話の世界をどう捉えるかは難しいが、何かを政治的に美化するということではなくて、ただその根底にあるものをつなげてみようというのが、今回の撮影のスタンスにある。
神話は好き嫌いというよりも、共同体の深層心理を探る一つの手がかりになると思っている。

倭姫命に日本武尊、世継の翁と息長氏。織姫に彦星、千代と一豊。
伊吹山の麓には、神話・伝承の人物から実在の人物まで、豊かな物語が残っている。
奇しくも、鈴鹿山脈の北側に坂田宮が、南側に甲可日雲宮があるのは興味深い。

 

次回予定:伊吹の荒ぶる神5(伊夫岐神社と息長陵(滋賀県米原市伊吹・村居田))