貴重な古墳と副葬品を撮影してきました→比良の暮雪11(小野氏ゆかりの地と曼陀羅山を歩く~番外編:曼陀羅山古墳群の現地説明会にて)~近江山河抄の舞台を歩く(61)

琵琶湖の西、堅田から高島にかけては、
NHKで放送された「里山」の舞台として知られています。
実はこの地域、一大古墳群が続いている地域でもあります!

堅田の北に位置する小野は、小野妹子や小野道風で知られる小野氏のふるさとです。
JR小野駅からバスで向かったのは、丘陵地に広がる住宅街の一角。

今回撮影させていただいたのが、昨年夏にご紹介した「曼陀羅山古墳群」です。
昨年(2013年)2月、真野北小(大津市緑町)の北側に、新たに5基の円墳が発見されました。真野北小の生徒さんの要望が叶い、古墳の一部が保存される見通しだとお伝えしました。
現地説明会が2月22日にあると聞いて、寒空の下、参加してきました。

水晶の切子玉、そして耳輪
副葬品の一部です。水晶の切子玉、そして耳輪(3号墳より出土)。

鉄製品の数々
こちらは5号墳から出土した鉄製品の数々。

須恵器
同じく5号墳から出土した須恵器。蓋がついています。
見たままの美しさをお伝えしたかったので、写真に修正はかけていません。

石室内部に落ちていたという石板
石室内部に落ちていたという石板です。敷地内にまとめて置いてありました。

真野北小学校の校舎と曼陀羅山古墳群
右から、真野北小学校の校舎と3号墳、4号墳、5号墳。奥に見えるのが曼陀羅山。

曼陀羅山古墳群1号墳
1号墳。見事な横穴式石室が現存しています。

曼陀羅山古墳群2号墳へと向かう
1号墳付近から撮影。曼陀羅山の尾根筋を背景に、参加者が2号墳へと向かう様子です。

曼陀羅山古墳群2号墳
2号墳。横穴式石室の基底部のみ現存。灰色の丸いものは須恵器(ふたの部分)です。

曼陀羅山古墳群3号墳
3号墳。横穴式石室の基底部のみ現存。中央に走る縦の石の列は、なんと排水溝!

曼陀羅山古墳群4号墳
4号墳。横穴式石室とのことですが、殆ど何も残っていませんでした。
こちらは床面に礫敷きが施されていました。左奥に雪の比良山系が見えています。

曼陀羅山古墳群5号墳
5号墳。見事な横穴式石室で、この円墳だけが保存される予定です。
(宅地開発に伴い発見された円墳なので、全部の保存はなかなか難しいようです・・・)

ちなみに今回の5基の古墳は、石室の状況より、6世紀後半のものと考えられています。
玄室(死んだ人を納める場所)の平面が長方形で、「畿内型」と呼ばれる横穴式石室です。
これは同じ大津市内の坂本から錦織にかけて見られる、「ドーム型」石室とは異なります。

百穴古墳群(玄室)

↑ちなみにこれが「ドーム型」石室です。大津市滋賀里の百穴古墳群にて撮影。
↓壁石を天井に向かうにつれて少しずつせり出して積むので、天井がドーム状になります。
百穴古墳群(案内板より、古墳のしくみ)

↑古墳のしくみ(百穴古墳群案内板より)。

ドーム型石室は曼陀羅山古墳群と同時期の古墳ですが、渡来人の墓と考えられています。そのため、古墳の作り方が違うというのは、ここには別の勢力がいたと考えるのが自然です。
曼陀羅山古墳群のある真野には、別の勢力(地元豪族)がいたと考えられています。
今回はそんな古代史の話を伺ってきました。

曼陀羅山の尾根筋から見た、真野北小学校付近の古墳
↑ちなみにこれが、昨年夏に曼陀羅山の尾根筋から撮影した、真野北小学校付近の写真です。
↓小野周辺は古墳がたくさんあります。琵琶湖と緑が美しいまちで、歩道もよく整備されています。
小野駅周辺の地図

▼バックナンバーで、ルートや小野・滋賀里の見所をご紹介しています。こちらからどうぞ。
比良の暮雪4(小野氏ゆかりの地と曼陀羅山を歩く~後編:曼陀羅山古墳群・和邇大塚山古墳)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(39)

大津の京4(志賀の大仏と百穴古墳群) ~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(10)


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