比良の暮雪9(葛川明王院)~近江山河抄の舞台を歩く(57)


葛川明王院の朝。開け放たれた戸の向こうに、秋の名残の紅葉。


葛川明王院の本堂内部。自分で照明をつけて自由に参拝できるようになっている。


比叡山の麓、堅田から江若バスに揺られること、46分。坊村で下りて徒歩数分。
大津市北端の葛川地区の山麓に、葛川明王院がある。
この近辺は、1,000m級の山々が連なる比良山系の登山口になっている。
明王院だけを訪ねる人は少ないようで、歩いているのは殆どハイカーさんだった。

位置的な事を書くと琵琶湖の西岸に堅田という町があって、堅田の西に京都の大原がある。そして、堅田の北西に葛川という地区があるとイメージして頂けたらありがたい。


葛川明王院は、平安時代に相応和尚(そうおうかしょう)が開いた修験道場である。
相応は比叡山の回峰行の創始者とされる人物で、明王院は重要な修行の場となっている。4棟の建物すべてと境内地、隣の地主神社境内地が重要文化財に指定されている。


訪れた11月下旬、安曇川の支流である明王谷沿いには紅葉が残っていた。
写真右の岩の中に仏様が祀ってあるのが、小さく見えている。


葛川明王院本堂。1715年(正徳5)の建立。


本堂と階段と護摩堂。


護摩堂と庵室(あんしつ)。
左側の護摩堂は、1755年(宝暦5)の建立。
右側の庵室は、行者が寝泊りする建物で、内部は畳敷きだという。1834年(天保5)の建立。


政所表門(建立は江戸時代初期)。奥は社務所になっている。
境内の様子や建物の配置は、中世の頃とほとんど変わっていないというお話だった。


明王谷そばの石垣の参道。


参道の奥には、登山道の入口と、紅葉の石垣。


明王谷の南側には、明王院の鎮守である地主神社(じしゅ じんじゃ)がある。
859年(貞観元年)、相応和尚(そうおうかしょう)の創建と伝えられている。
本殿・幣殿(へいでん)とも、1502年(文亀元年)の建立で、ともに重要文化財。
中世の幣殿建築は類例が大変少ないとのことで、この地域の文化の高さが伺える。


葛川明王院の周辺は、大津・京都のいわゆるかくれ里でもある。
写真の比良山荘は高級料亭として知られており、宿泊もできる。
ちなみに、坊村バス停近辺にはお蕎麦屋さんなどもあり、公衆トイレも完備されていた。
行くのは大変だったけれど、江若バスの運転手さんや出会った方に本当によくして頂いた。だから、こういう場所はいつも、ずっと心に残るのだと思う。


葛川明王院への道中、バスは花折峠口を通る。
この道は若狭街道(別名・鯖街道)と呼ばれ、福井の若狭と京都を結ぶ(国道367号線)。

最後に、花折峠と比叡山の回峰行について、白洲さんの言葉をご紹介したい。
ちなみに、比叡山横川から坂本の飯室谷までの行者道は、前回歩いてご紹介している。

今その行者道は、坂本から琵琶湖の岸を堅田へ出、そこから西へ入って、比良の山麓を、途中に出る。途中からは、花折峠の急坂を越え、安曇川ぞいに葛川へ至る・・・-白洲正子『かくれ里』

[花折峠は]比叡山の回峰行者たちが、樒(しきみ)を折るところから出た名称で、峠の上からの見晴らしは、その美しい名にそむかない。回峰行というのは、平安初期の相応和尚が開いた修験道の一派で、比叡山から比良山へかけて「回峰」することにより、身心を鍛錬する。・・・毎年七月半ばには、叡山の奥の院ともいうべき「葛川明王院」に籠もって、きびしい行を行う。そこへの途中、花折峠で樒を採り、叡山を遥拝するのがしきたりになっている。「この世に別れを告げる」と彼らはいっているが、花折峠から先は断食と無言の行に入るので、その言葉どおり命がけの荒行である。-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

比良の暮雪と堅田と琵琶湖-2(撮影地:滋賀県草津市、烏丸半島)
琵琶湖の対岸から見た比良山系。

堅田のあたりで比叡山が終り、その裾に重なるようにして、比良山が姿を現わすと景色は一変する。比叡山を陽の山とすれば、これは陰の山と呼ぶべきであろう。ヒラは古く枚、平とも書き、頂上が平らなところから出た名称と聞くが、それだけではなかったように思う。都の西北に当る出雲が黄泉(よみ)の国にたとえられたように、近江の西北にそびえる比良山は、黄泉平坂(よもつひらさか)を意味したのではなかろうか。実際にもここから先は丹波高原で、人も通らぬ別世界であった。-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

比良の暮雪と堅田と琵琶湖-1(撮影地:滋賀県草津市、烏丸半島)

相応和尚の後継者たちが、比良山に籠るのは、平安時代以来、いや神代依頼、そこに伝わって来た起死回生の思想による。・・・また特に花折峠で「この世に別れを告げる」のは、その度毎に死んで生れ変ることを体験するためだ。-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

白鬚神社と琵琶湖-2

比良山について、私は陰気なことばかり記したが、大切なことは、この山が、新しい生命の泉であることだ。その裏側にある葛川明王院は、比良山をへだてて、白鬚神社と相対しており、古代人のこういう感覚はきわめて正確なのである。-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

白鬚神社(琵琶湖畔)と葛川明王院は、背中合わせのパワースポットとも読める。
とても新鮮な視点だった。

比叡山に延暦寺と坂本があるように、比良山に明王院と白鬚神社があるのかもしれない。
近江の霊山の場合、麓の里地または水辺とセットで、悟りが開かれているように感じる。
それは前回、比叡山の横川から回峰行の道を実際に駆け下りてきて実感したことだった。
春になったら今度は比良山系に登って、また違う視点で近江を眺めてみたい。
(撮影日:2013年11月30日、比良山系の雪景色は2013年2月に別途撮影)


※葛川明王院へは、バスは一日3往復で、堅田駅~坊村は片道1000円(イコカ・ピタパ可)。今回の撮影は8:50堅田→9:36坊村、10:19坊村→11:03堅田のバスで、とんぼ返りした。10:19の後は最終の15:46のみ(2013年11月現在)。

※堅田葛川線は2013/12/21にダイヤ改正される予定。最新情報は下記でご確認下さい。

▼江若バス時刻表(堅田葛川線/堅田駅発、細川行き)
http://www.kojak.co.jp/bus/rosen/

▼葛川明王院(滋賀県大津市葛川坊村町155)
http://www.kinki36fudo.org/27.html

Omiji078
⇒バックナンバーより、比良の暮雪1(比良八講)

※「比良の暮雪」(ひらのぼせつ)は近江八景の一つ。
比良山系の残雪のことで、春になっても(時に夏まで)雪が残っている風景をいったもの。読み方等を調べている方がおられたので、追記しておきます。

▼その他のバックナンバー
比良の暮雪2(小野氏ゆかりの地と曼陀羅山を歩く~前編:小野神社、小野篁神社、石神古墳群、小野道風神社)

比良の暮雪3(小野氏ゆかりの地と曼陀羅山を歩く~中編:小野妹子神社(唐臼山古墳)からゼニワラ古墳、曼陀羅山古墳群)

比良の暮雪4(小野氏ゆかりの地と曼陀羅山を歩く~後編:曼陀羅山古墳群・和邇大塚山古墳)

比良の暮雪5(琵琶湖の西、小野から近江高島へ。近江の厳島「白鬚神社」)

比良の暮雪6(近江高島:白鬚神社、鵜川四十八体石仏群、大溝城跡、乙女が池)

比良の暮雪7(滋賀県高島市安曇川町:彦主人王御陵・田中神社・玉泉寺の石仏)

比良の暮雪8(高島市安曇川町、高島市鴨:神代文字の石、鴨稲荷山古墳、高島歴史民俗資料館、藤樹書院跡、陽明園)

次回:比良の暮雪10(堅田/浮御堂の紅葉)の予定です。


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