鈴鹿の流れ星5(甲賀市甲南町:矢川神社、新宮神社、正福寺。忍者の里の知られざる名刹たち)~近江山河抄の舞台を歩く(49)

ご訪問ありがとうございます!この記事で1300回目となりました。
「鈴鹿の流れ星」では、この秋に甲賀市各地で撮影したさまざまな写真を掲載しています。
次々回は湖東三山の紅葉を掲載予定です。
もうすぐ季節に追いつくので、しばしご容赦を・・・


矢川神社の鳥居
矢川神社という、とても長い歴史を持つ神社がある。
鈴鹿の流れ星3で紹介した飯道神社同様、「延喜式神名帳」に記載がある古社である。祭神は矢河枝比売(やかわえひめ)といい、湖西の和邇(わに)氏の女性と言われている。

矢河枝比売は応神天皇に見初められて妃となるが、とても深く愛されたようだ。
古事記には、応神天皇が矢河枝比売に送った美しい相聞歌が載っている。
近江八幡市の長命寺の奥には矢河枝比売の伝承が多く、王浜や宮ヶ浜といった地名が残る。

杉谷川と杣川が出会うところ、深川市場の中心に、矢川神社が建っている。
前章に記した矢河枝比売(やかわえひめ)を主神とし、この辺ではもっとも古い社であろう。
・・・
矢河枝比売に出会うのは、いつも水と関係のある場所だが、和邇の一族は琵琶湖だけでなく、その周辺の河川にも、勢力を及ぼしていたに違いない。矢河枝比売は水を司る巫女で、古代の詞でいえば水依(みずより)比売として、大きな権力を握っていたのではあるまいか。応神天皇が結婚を申し込んだのは当り前のことで、それは水利権と同時に、材木も水産物も手に入れることを意味した。-白洲正子『近江山河抄』「鈴鹿の流れ星」

矢川神社楼門
矢川神社楼門。室町時代中期の門である。
社記によれば1472年(文明4)、大和国布留郷五十余村から雨乞いの返礼として寄進された。二階造りだったが、文禄年間(1592-1596)の大風で組物より上を失い、現在の形になった。

新宮神社と同じ形式の楼門が、うっそうとした森を背景に建っている景色は、さすがに重々しい風格がある。昔はこのあたりを杣の庄といい、南都諸大寺の用材は、すべてこの地で調達され、杣川から宇治川経由で大和へ運ばれて行った。-白洲正子『近江山河抄』「鈴鹿の流れ星」

そういえば、前回ご紹介した嶺南寺は、奈良に縁の深い良弁の開基である。
栗東市の金勝山周辺と同様、甲南町もまた、奈良の影響下にあったことが分かる。

矢川神社楼門を見上げたところ
矢川神社楼門を見上げたところ。屋根は入母屋造の茅葺で、とても立派なものだ。

矢川神社境内
矢川神社境内。

矢川神社の石橋
楼門の前には見事な石橋がある。
この後、子どもさんがお母さんとやって来て、上に乗って遊んでいた。

甲南町の風景
撮影したのは、10月14日。甲南駅前で自転車を借りて、広い甲南町を約10km走った。
ちなみに気温は30度。これを書いている11月22日とは隔世の感がある。

新宮神社表門とコスモスの花
新宮神社の参道に、突如、茅葺屋根の門が現れた。新宮神社表門である。
墨書から1485年(文明17)の建立だと分かるこの門、実は未完成のままである。
天井の小屋の中に二階柱があることから、当初は楼門を計画していたと考えられている。
とはいえ、室町時代の楼門形式を後世に伝える見事な門である。国の重要文化財。

新宮神社表門

地図で見てもわかるように、この周辺には神社やお寺が無数にあり、その殆どに十一面観音を祀っている。中で印象に残ったのは、新宮神社の茅葺の楼門で、太い円柱が吹きはなしに建っている姿は、実にのびのびとして美しい。-白洲正子『近江山河抄』「鈴鹿の流れ星」

新宮神社の入口と拝殿
新宮神社の入口と拝殿。
ここに来るまでの参道が車道になっており、奥に神社があることが若干分かりにくかった。
長い参道は、春は桜の名所だという。きっと美しいだろう。

新宮神社
新宮神社(甲南町新治)。

732年(天平4)、紀州熊野大明神の分霊を勧請したのが始まりと伝えられている。
このあたりは飯道山麓の杣川一帯で、飯道山は古来より修験道の山として栄えた。
修験道の中心地である熊野の大明神を祀っているのも、うなずける。

飯道山麓の杣川一帯は、中世に杣庄と呼ばれる荘園が広がっていた。
後に新宮・矢川・三大寺の三荘に分かれる。現在の甲南町の一部と水口町三大寺である。それぞれに新宮神社・矢川神社・三大神社(現・日吉神社)という古刹がある。

新宮神社本殿
新宮神社本殿。見事というほかない。

地元の甲南町新治には、興味深い昔話が伝わっている。
新治の姫を巡って三大寺の神が深川の神と争い、三大寺の神が姫と結ばれたという昔話だ。これが縁で、甲南町新治では明治の頃まで「新宮の五社祭り」が行なわれていたそうだ。

三大寺の神輿二基と新治の神輿三基が、新治の熊野の刈家で祝言の杯を交わし、
猿楽や流鏑馬などを催していたという。

なお、姫を巡って争った際に深川の神が逃げる途中、左目に刺さった矢を抜いて捨てたという。その矢がそのまま生えついた所が「一つ藪」と呼ばれ、今でも新治の大明に矢竹が残っている。甲南町は、飯道山や三大寺とのつながりもまた深い。

新宮神社表門
新宮神社境内にて。本殿の脇にも立派な社があった。
新宮神社そのものについては、参考資料が殆ど見当たらず、本当にもどかしかった。
これだけのものが忘れ去られていくとしたら、本当に口惜しい。
どこも無理に観光地化する必要はないが、資料を残していただけたらありがたいと願う。
微力ながら記録を残そうと思ったのが、『近江山河抄の舞台を歩く』撮影の原点になっている。

この後、新宮神社表門の前から甲南第二小学校の方向へ自転車を走らせた。
『近江山河抄』で一言紹介されていた正福寺を訪ねるためである。

岩尾山との分岐点
途中で岩尾山との分岐点に出た。岩尾山は6km先なので、今回は立ち寄らなかった。

岩尾山は、飯道山同様、忍者が修行した山と言われている。ただし、「ここは甲賀だけでなく、伊賀の忍者の行場でもあった」と白洲正子さんは記す。

岩尾山との分岐点(337号線)
岩尾山との分岐点(337号線)。案内板には「新名神 甲南IC 1.3km」とある。
ここから、前回ご紹介した「嶺南寺」まで1.9km、「甲賀流忍術屋敷」まで2.7km。
また、ここから自転車で10分程行くと、目指す正福寺がある。

この道は観光協会HPに紹介されていたレンタサイクルのルートだが、あまりお勧めできない。というのも、甲南ICに近く、広域農道なので、車やダンプが飛ばして通り過ぎて行くからだ。自転車に乗っているほうは冷や冷やするが、自動車の運転手さんもまた怖いだろうと思う。

なぜこのような話を書くかというと、湖南市の「正福寺」へ行った時も同じ経験をしたからだ。各地でレンタサイクルを利用させて頂いたが、車道をコースにしているところが多い。コースを考える方にお願いしたいのは、実際に一度自転車で走ってもらえればという事である。自転車は重宝するだけに、ルート次第で、もっといろんな人に利用してもらえるのではないか。

正福寺
正福寺(甲南町杉谷)。
聖徳太子の創建と伝えられている寺院で、当初は天台宗、後に徳川家ゆかりの寺となった。1681年(天和元年)江戸幕府5代将軍徳川綱吉により再興され、臨済宗の寺院となっている。

正福寺のお地蔵さん
石段の下には、お地蔵さん。

正福寺山門
石段を登っていくと、立派な仁王像が二体、山門の中からこちらを睨んでいた。

正福寺の石仏
正福寺の山門をくぐると、鐘楼のそばに無数の石仏があった。

正福寺の宝篋印塔
正福寺の宝篋印塔。南北朝時代の作。

正福寺本堂
正福寺本堂。賽銭箱に徳川家の「葵の紋」がついているのが御覧頂けるだろうか。
徳川家ゆかりの寺となったのは、第5代将軍綱吉の世継ぎの祈祷が叶ったからだという。
本尊の十一面観音菩薩に出生祈願をしたところ、綱吉は息子(徳松)を授かったとある。
江戸時代以降は徳川家の祈願所として、また世継ぎ観音の寺として信仰されてきた。
・・・世継ぎ世継ぎというけれど、私はどうしても女の人の気持ちを考えてしまう。
今も昔もなんだかせつない話だ。

八坂神社境内の翁の像
正福寺の隣に八坂神社があり、境内の奥に翁の像があった。
どういうものなのかよく分からなかったが、雰囲気があったので撮影。

正福寺山門前にベンチがあったので、お弁当を食べていたら、地元の人に声をかけられた。甲南駅の近くでお店を経営されている方だという。正福寺は予約すれば拝観できるとのこと。駅からレンタサイクルで回っていると言ったら、近道など教えていただいた。自転車の場合は、新宮神社から野田に出て、甲南駅へ帰るのがいいようだ。

お花畑
新宮神社から野田に出る途中、見かけたお花畑。
とにかく広い甲南町。何より田園風景の美しいところだった。次の機会に岩尾山に伺いたい。

 

次回:鈴鹿の流れ星6(甲賀のかくれ里:油日神社と櫟野寺)の予定です。


大きな地図で見る