伊吹の荒ぶる神1(中山道・柏原宿から醒井宿を歩く~前編:やいと祭と柏原宿歴史資料館、寄り道して清滝寺徳源院へ)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(33)

やいと祭ポスター
柏原を訪ねた日、駅を降りたらちょうど「やいと祭」が始まるところだった。
「やいと」とはお灸のことで、やいと祭は伊吹もぐさをテーマに行われる宿場祭りだ。

柏原(かしわばら)は中山道六十九次の60番目の宿場町で、滋賀県米原市に位置する。
JR米原駅から名古屋方面行きの電車に乗ると、醒ヶ井、近江長岡、柏原、関ヶ原と続く。
関ヶ原といえば、県境を越えてもう岐阜県になる。

薬草の宝庫・伊吹山麓に位置する柏原は、よもぎを使った伊吹もぐさの産地として栄えた。
昔は街道沿いにもぐさの店が沢山あったというが、今は亀屋佐京商店一軒が残るのみ。

柏原宿(やいと祭の日)
やいと祭一色の柏原宿で、ブラスバンド会場に向かう学生さんとすれ違った。
楽器を手に、色とりどりのシャツを着て、気持ちのいい挨拶をしてくれた。
どこの町でも女子は元気がいいと実感する。
柏原は駅を中心に旧道が一本走っていて分かりやすい。初めてでも迷うことはなかった。

高札場(札の辻)跡と常夜灯(柏原宿)
かつての宿場町をしのばせる「高札場(札の辻)跡」の案内板の隣に、常夜灯。
柏原宿は中山道でも大きな宿場町で、東西13町(約1.5km)に344軒の家があったと伝わる。

アサガオの咲く家(柏原宿)
夏らしくて涼しげな風景。
アサガオの素敵な家があったので、撮影させていただいた。

柏原宿歴史資料館
柏原駅から0.5kmほどの街道沿いに柏原宿歴史資料館がある。
これから訪ねる徳源院(京極氏の菩提寺)のことなど、色々勉強になった。

受付や館内の女性スタッフが皆さん感じのいい方で、なんだか憧れてしまった。
突然こんなことを書くと、笑われるかもしれないけれど、まじめな話。
ある日突然、同世代や少し年上の同性(女性)に、こういう場所で会わなくなる。
朝の電車の中、受付、知人の職場、撮影先、などなど。
もちろん女性の多い職場や場所はあるだろうし、地域差もあるのかもしれない。

身近でお手本になる人は少ないし、時に、諸々をかわしつつ、
時に、私ひとりで歩いているような気分になって、もう10年近く経つ。
だから、自然体で働いている方に会うと、とてもうれしくなるのかもしれない。

京極氏の資料をいただいた後、渡り廊下で思いがけず出合ったのが寝物語の里道標だった。

寝物語の里道標(柏原宿歴史資料館)

番場の宿から、醒ヶ井、柏原を経て、中山道の旧道を行くと、「寝物語の里」に来る。近江と美濃の境の宿で、両国の人々が壁ひと重をへだてて、寝物語をしたというので知られている。不破の関はここから近い。
白洲正子『近江山河抄』

実際の「寝物語の里」は、柏原駅の反対方向(関ヶ原の方向)にある。
駅から歩いて15分程度だというので、いつか機会を改めてご紹介したい。
http://www.biwako-visitors.jp/search/spot.php?id=4272

「やくし道」道標
柏原宿歴史資料館を出て少し行くと、薬師道の道標があった。
柏原宿で感心したのは、道標や案内板がそこかしこにあって人を飽きさせないこと。

柏原宿の町並み
柏原宿の町並み。
手前で右折して寄り道する予定だったので、気がついて引き返している。
※写真のすぐ先に柏原一里塚があり、次回はそこから醒井宿までを掲載予定。

醒井へ向かいつつ、徳源院へも行きたかったので、以下は寄り道の記録。

柏原御茶屋御殿跡
柏原御茶屋御殿跡。江戸時代に将軍上洛下向の際の宿泊・休憩として使われたという。
徳源院へ行くには、この御茶屋御殿跡の角で右折する。

柏原御茶屋御殿跡の公園
柏原御茶屋御殿跡は、現在小さな公園になっている。
ちなみに、徳源院の帰りにここでちょうどお昼になったので、ベンチでお弁当を食べた。
江戸時代だったら、ここでこんなことはできなかっただろう、と思いつつ。

清滝の集落(柏原中学校前にて)
分かれ道に案内がなく困ったが、持参した地図を頼りに左折し、清滝寺徳源院へ向かう。
柏原中学校の前を通ると、清滝の集落が見えてくる。
徳源院へは、この道を右折せずにまっすぐ行けばいい。

ちなみに、左手の山の中へ入っていくと、後醍醐天皇の側近だった北畠具行の墓がある。
1331年、後醍醐天皇とともに鎌倉幕府討伐を図った具行は、失敗して捕えられる(元弘の変)。翌年、京極高氏(佐々木道誉)によって鎌倉に護送される途中、幕府の命で柏原で斬られた。

「ばさら」と呼ばれた高氏は、公家である具行のことも忌み嫌っていたが、死に臨んでの具行の態度には高氏も感服し、柏原宿(清滝寺)に一ヶ月ほど留め、幕府に対して助命を嘆願したが叶わず、その別れを惜しんだと伝わる。前の晩に二人はしばし談笑し、翌日具行は剃髪(出家)後に処刑されたが、処刑前に高氏に対し、丁重な扱いに感謝の意を述べたと伝わる。

「増鏡」によれば、辞世の歌は「消えかかる露の命の果ては見つさてもあづまの末ぞゆかしき」

墓所として、米原市柏原に貞和三年(1347年)建立の宝篋印塔が残り、「北畠具行墓」の名称で国の史跡に指定されている。 -北畠具行-Wikipedia

芭蕉の句碑「折々に伊吹を見ては冬籠り」(滋賀県米原市清滝)

芭蕉の句碑「折々に伊吹を見ては冬籠り」の解説(滋賀県米原市清滝)
清滝の集落の入口に、松尾芭蕉の句碑がある。「折々に伊吹を見ては冬籠り」
同じ句碑が、他に滋賀県内に2ヶ所、岐阜県内に5ヶ所、愛知県内に1ヶ所あるという。

清滝史跡散策マップ
徳源院の前にある「清滝史跡散策マップ」。ご参考に掲載しておきます。
※散策マップ写真はこちらをクリックすると拡大します。

常夜灯の隣に「ここは清滝です」
清滝の集落に入ると、常夜灯の隣に「ここは清滝です」と案内がある。
しかし、ここから徳源院の角までの間は案内板がなく、歩いていて不安になった。
すれ違った御夫婦が声をかけてくれて、まっすぐ行けば徳源院の看板があると教えて頂く。暑い中で、仏さまにあったような心持になる。

徳源院への道
清滝代官屋敷跡の角に、徳源院の矢印案内。桜並木の参道が小さく見えている。
駐車場は参道の途中にあって、ずっとゆるやかな坂道が続く。

徳源院の塀
徳源院に到着。山門はこの左にある。右は清滝神社で、登山道の入口にもなっている。

清滝神社
清滝神社。清滝は地名のとおり、水が清らかなところだった。
その印象は、醒井(さめがい)に着くまで、道中ずっと変わらなかった。
醒井は清らかな水の町として知られ、居醒の清水やバイカモの花が美しい。次回掲載予定。(撮影日:2013年7月28日)

▼徳源院については、構成の関係で前回ご紹介しています。こちらをどうぞ。近江源氏・佐々木氏ゆかりの地を巡る。氏神「沙沙貴神社」と京極家の菩提寺「徳源院」

 

次回:伊吹の荒ぶる神2(中山道・柏原宿から醒井宿を歩く~後編:柏原一里塚から醒井宿)の予定です。


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(追記)

滋賀県教育委員会の埋蔵文化財活用ブックレットに、この地域のことが詳しく出ています。後から気がついたので、リンクを追記しておきます。ご参考になさってください。(2013年9月10日)

埋蔵文化財活用ブックレット2(近江の山寺2)霊仙山と松尾寺の文化財(PDF:1,976KB)

埋蔵文化財活用ブックレット9(近江の城郭7)京極氏遺跡群 -京極氏館跡・上平寺城址・弥高寺跡-(PDF:2,704KB)

埋蔵文化財活用ブックレット17 東海道をめぐる攻防-米原・醒井・柏原をめぐる-(PDF:2,422KB)