沖つ島山6(琵琶湖最大の島・沖島。沖島と奥島山(大嶋・奥津嶋神社)と八幡山(日牟礼八幡宮)を結ぶ線)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(31)

堀切新港から沖島を望む
沖島(おきしま)は、滋賀県近江八幡市の沖合約1.5㎞に浮かぶ、琵琶湖最大の島。
湖上の島に人が暮らすのは、日本では沖島だけだという。

一枚目の写真は、対岸の堀切新港(滋賀県近江八幡市)から撮影。
中央から右にかけて、小島と半島のように見えるのが、すべて沖島。
手前右が伊崎山(210.4m)で、一番奥に横たわるのが比良山系。
伊崎山の伊崎寺では毎年8月、行者が湖に飛び込む「伊崎の棹飛び」が行なわれている。

堀切新港の左は奥島山で、この数キロ先に近江八幡の国民休暇村がある。
沖島へは堀切新港から一日11往復(日曜は9往復)船が出ていて、10分程で到着する。船に乗れば、伊崎山と奥島山が視界から消える前に、もう沖島が近づいてくる。

琵琶湖の畔で咲いていたムクゲの花
ムクゲの花。島のあちこちで季節の花が咲いていた。

沖島は周囲約6.8㎞、面積約1.5平方㎞の島で、約150戸ある民家の大半は漁師さんだ。
伝承によれば、平治の乱で敗れた源氏の落武者7人が住みついたが島の起こりだという。室町時代には、北陸へ向かう途中の蓮如が嵐で沖島に流れ着いたという話も残っている。

当ブログのタイトルである堅田(滋賀県大津市)もまた、沖島とゆかりが深い。
堅田は蓮如を匿ったことで比叡山延暦寺によって焼き討ちにあっている(堅田大責)。
大責の後、堅田衆は約2年間沖島に避難したという記録が、堅田の本福寺に残っている。

沖島小学校の校庭と琵琶湖と青空
沖島小学校の前から漁港周辺まで道が一本走っていて、後は路地と民家が続いている。

沖島の一本道と琵琶湖と奥島山

沖島の一本道と琵琶湖と三輪自転車

この島に自動車は一台もない。ここでは船と三輪自転車と手押し車が大活躍している。

沖島のひまわりと案山子

沖島の民家と紫の花

沖島の一本道と民家と琵琶湖と船

沖島のお地蔵さん

沖島の船と対岸の奥島山

沖島で見かけた網と三輪自転車

沖島から見た琵琶湖

沖島漁港

頭山と沖島の民家

奥津嶋神社境内から見た琵琶湖と奥島山
沖島漁業会館の裏にある頭山の麓に、奥津嶋神社(おきつしまじんじゃ)がある。
対岸に島のように見えているのが、奥島山。

奥津嶋神社の石灯籠

石灯籠には、馬らしい動物の絵が彫られてあった。

奥津嶋神社

奥津嶋神社は和銅5年(712年)、近江の国守だった藤原不比等が勅命を奉じて建立した。
建立当時の島は無人島で、琵琶湖の航行安全を守る神の島として崇められていたという。拝殿にも馬の絵がかけてあったが、詳しい話は分からなかった。

オニユリの花と沖島の路地
奥津嶋神社に面した路地。民家の前でオニユリの花が咲いていた。

沖島小学校とケンケン山のぼり口
沖島小学校の裏から山に登れるというので、船でご一緒した人と4人で登ってみた。
校舎の脇の階段を上ると、「ケンケン山のぼり口」という看板がある。
しばらく誰も登っていないのか、クモの巣を払って進む道中になった。

沖島の山中

山中にて撮影。だらだらした上りが30分は続いたような気がする。
ようやく一つの広場に出たが、その先があるというので、さらに行ってみる。
ケンケン山は、蓬莱山という名の、沖島で一番標高の高い山(225m)に続いていた。

※登山ルートは沖島公民館の裏からのぼるルートが一般的のようです。
http://www.biwako-okishima.com/meisyo-2.html

沖島最高峰・蓬莱山から見た琵琶湖と湖東の風景
「蓬莱山見はらし広場」(蓬莱山の頂上)から見た、湖東の風景。山の形が神々しい。
伊崎山と奥島山に抱かれた湾の向こうから、沖島航路の船に乗ってきたことになる。
前回ご紹介した「大嶋・奥津嶋神社」(近江八幡市北津田町)は、あの奥島山の麓にある。

大嶋・奥津嶋神社

読者は既に気がつかれたと思うが、沖の島とか奥津島というのは、九州の宗像神社の別名である。正確には、玄界灘にある「沖の島」と、大島の「中津宮」と、内陸の田島に建っている「辺津宮」で、陸地でいえば、奥宮、里宮、田宮に相当する。(中略)
長命寺の近く、奥島山の麓には、延喜式内社があって、「大島 奥津島神社」というが、宗像神社でいえば、大島の中津宮に相当する。沖の島と、奥津島神社と、それに竹生島を入れると、三つ揃って申し分ないが、それなら一番遠くにある竹生島を、「沖の島」に見立てなかった筈はない。どう考えても、これはおかしい。私が思うに、竹生島は別の文化圏に属し、ここには辺津宮に当る所が、別に存在したのではないか。 白洲正子『近江山河抄』

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日牟礼八幡宮(日牟礼神社)

 この[大島 奥津島神社の]宮司さんなら、私の疑問をといて下さるに違いない。そう思って、尋ねてみると、案の定、的確な返事が返って来た。ただし、これは自分の私見です、と断って、南に見える近江八幡の日牟礼神社が、その辺津宮に当るという。私は今まで気がつかなかったが、そういわれてみると、思い当る節がないでもない。
八幡山は俗に「宮山」と呼ばれ、沖の島と、奥島山の直線上にある。度々いうように、古代人のそういう設定は、極めて正確なのである。そのうち二つは「島」であるが、宮山だけは陸地にあり、完全に田宮の性格を備えている。(中略)
ふつう姫神は仲姫命(なかつひめのみこと)であるのに、ここでは天照大神の御子と、社伝にはっきり断ってある。(中略)

日牟礼の語源はわからないが、記紀には、応神天皇が淡海の国に幸したとき、和邇(わに)の比布礼使王(ひふれのおみ)の女、宮主の矢河枝比売(やかわえひめ)を召して、菟道稚郎子(うじのわけいらつこ)を生んだとある。そのヒフレから出たともいわれ、現に日牟礼神社には、矢河枝比売も合祀されている。(中略)また、琵琶湖の北方には、「八合(やごう)神社」があり、湖南には「矢河(やごう)神社」があって、ともに矢河枝比売を祀っているといわれたが、奥島山の周辺に、矢河枝比売の伝承がたくさん残っているのは興味深い。
白洲正子『近江山河抄』

この章を「沖つ島山」と名づけたのは、湖水の周辺の景色にふさわしいと思ったからで、ある特定の、たとえば奥島山についてだけ語りたいわけではない。(中略)琵琶湖の歴史は古いだけでなく、その自然と密接に結び合っている。そういう意味では、津田の細江から遠望される観音寺山も、広い範囲の「沖つ島山」の中に入る。(中略)奥石の森(老蘇とも書く)、石寺、石馬寺、桑実寺、沙々貴神社など、奥島山と相対して、広大な文化圏を形づくっている。
白洲正子『近江山河抄』

このシリーズの撮影は、白洲正子さんに倣って構成しています。
沖島の撮影日:2013年7月19日(金)

 

次回:沖つ島山7(佐々木源氏ゆかりの地:沙々貴神社と徳源院)の予定です。

▼沖島メモ
沖島漁協HP http://www.biwako-okishima.com/

※近江八幡駅から掘切まで、あかこんバス(近江八幡市民バス)「1.島・沖島町コース」利用。駅から片道200円です。(ただし一日6往復・平日のみ)
あかこんバス時刻表