沖つ島山5(近江八幡:大嶋・奥津嶋神社<北津田>~渡合橋~水郷の風景<円山>/圓山神社と寶珠寺)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(30)

Omiji089
琵琶湖の浜辺、雄松崎にて。琵琶湖の西側から、沖島と近江八幡を見ている。
写真中央が対岸の奥島山(長命寺周辺)、その左手前に少し濃く写っているのが沖島。
今回の舞台は、奥島山の麓にある水郷の町。長命寺の近くにある隠れた名所をたどった。

大嶋・奥津嶋神社道標
長命寺(第31番札所)へ行くときに通る渡合橋のそばに、書体が印象的な道標がある。

黄色い花と田んぼと緑(北津田の風景)
道標の先は、北津田の大嶋・奥津嶋神社へと続く一本道。

大嶋・奥津嶋神社鳥居(表参道)
大嶋・奥津嶋神社(近江八幡市北津田町)。
大嶋神社と奥津嶋神社の両社から成るが、元は別の場所に鎮座していた。
延文6年(1361年)以前に同地に鎮座されたという。

社伝には成務天皇高穴穂遷都のときに、大臣武内宿禰、勅を奉じて勧請するとある。
武内宿禰といえば『古事記』『日本書紀』に出てくる人物で、長命寺の由来にも登場する。
長命寺は、聖徳太子が宿禰の長寿にあやかって名づけたと言われている。

大嶋・奥津嶋神社

読者は既に気がつかれたと思うが、沖の島とか奥津島というのは、九州の宗像神社の別名である。正確には、玄界灘にある「沖の島」と、大島の「中津宮」と、内陸の田島に建っている「辺津宮」で、陸地でいえば、奥宮、里宮、田宮に相当する。(中略)長命寺の近く、奥島山の麓には、延喜式内社があって、「大島 奥津島神社」というが、宗像神社でいえば、大島の中津宮に相当する。-白洲正子『近江山河抄』

ムベの葉(大嶋・奥津嶋神社)

北津田・島町「むべ」の言い伝え(大嶋・奥津嶋神社にて)

ムベの葉。大嶋・奥津嶋神社の境内の奥で、地元の方が棚を作って育てている。北津田一帯には、天智天皇ゆかりの「むべ」の言い伝えが残っている。

その昔、天智天皇が蒲生野に遊猟した時にこの地に立ち寄り、長寿の夫婦に出会った。
長寿の秘訣を尋ねると、この地で珍しい果物を産しますと、老夫婦は霊果を差し出した。
天皇は「宜(むべ)なるかな」と得心して、毎年献上するよう命じたという。
以来、この果実は「むべ」と呼ばれるようになり、毎年11月に献上されることとなった。
天智天皇を祀った近江神宮(滋賀県大津市)に、今でも献上されているという。

大嶋神社奥津嶋神社石碑の側面

大嶋・奥津嶋神社鳥居
大嶋神社奥津嶋神社と刻まれた石碑の側面に、近江神宮の宮司の方の名前がある。
こんなところにも、近江神宮とのつながりの深さが伺える。

この鳥居のそぐそばに、近江八幡市市民バスの「奥島山神社」バス停がある。
アクセス:JR近江八幡駅から「島・岡山・玉ノ浜コース」に乗車、約28分。

近江八幡市民バス(通称あかこんバス)は、一律200円で乗車できるコミュニティバス。
近江鉄道バスが県道を運行するのに対して、県道から離れた場所にも入ってくれる。
ただし平日のみ運行で一日6往復。近江鉄道バス(長命寺線)と併用するのがお勧め。

スイレンの花(大嶋・奥津嶋神社)
境内にある池で、スイレンの花が咲いていた。
この地の景観はかなり様変わりしているようで、ため池もビオトープ事業の一環だという。
かつてこの地は歌枕として歌われ、織田信長の祖先・津田氏が住んでいた。
信長が築いた安土城は北津田を望む地にあり、水路でつながっていたと言われている。

 五月雨は津田の入江のみをつくし見えぬも深きしるしなりけり (続後撰集)
と謳った覚盛法師は、平重盛の孫で、織田氏の祖先であったという。平家が滅びた時、母親にともなわれてここに逃れ、津田氏を名のって北津田に住んでいたが、信長は祖先と縁故のある地を選んで、築城したのではあるまいか。正確にいえば、覚盛法師の邸が遠望される所に善美をつくした城を築いたので、いかにも彼がやりそうなことである。その城もわずか三年足らずで滅び、跡かたもない。「国破れて山河あり」。だが、その山河もいまや累卵の危きにある。
白洲正子『近江山河抄』


長命寺川に架かる渡合橋。干拓事業によって水門とコンクリートの護岸に変わった。
白洲正子さんが絶賛した渡合橋の風景を求めて、以前、北之庄の水郷をご紹介した。
今回は、北之庄よりも渡合橋に近い円山(まるやま)を訪ねてみた。


この渋い木造建築は「近江八幡ユースホステル」。渡合橋と円山の間にある人気の宿。

水郷の風景(近江八幡市円山町)-1
ヨシの向こうに、白鷺が飛ぶ。近江八幡市円山町にて撮影した水郷の風景。
「近江八幡の水郷」は、2006年に国の重要文化的景観第一号として選定されている。

近江八幡のはずれに日牟礼八幡宮が建っている。その山の麓を東へ廻って行くと、やがて葦が一面に生えた入り江が現われる。(中略)その向うに長命寺につらなる山並みが見渡され、葦の間に白鷺が群れている景色は、桃山時代の障壁画を見るように美しい。最近は干拓がすすんで、当時の趣はいく分失われたが、それでも水郷の気分は残っており、近江だけでなく、日本の中でもこんなにきめの細かい風景は珍しいと思う。-白洲正子『近江山河抄』

水郷めぐりの船(近江八幡市円山町)
水郷めぐりの船。円山町では2業者が和船での水郷めぐりを行なっている。

水郷の風景(近江八幡市円山町)-2

水郷の風景(近江八幡市円山町)-3
円山の集落と水郷。5月以降ヨシは背丈を増す。どこか懐かしい風景が広がる。

水郷の風景(近江八幡市円山町)-3
青い船と水郷。第3回でご紹介した北之庄(こちらも水郷の町)に向かって水路が続く。

あじさい(近江八幡市円山町)
円山の集落では、印象的な色合いの紫陽花を見掛けることが多かった。

圓山神社(近江八幡市円山町)
水郷に抱かれた円山集落の入口に、圓山神社(まるやまじんじゃ)がある。
『近江山河抄』には登場しない場所だが、雰囲気に惹かれて立ち寄ってみた。

途中でお会いした地元の方によれば、圓山神社の石段は250段余だと言う。
長命寺(808段)や桑実寺(500~600段)と比べても、勾配も段差も殆どない。
とはいえ、気温が高いので汗が噴き出し、若干息が上がった。

寶珠寺(近江八幡市円山町)
石段をちょうど半分ほど来たところに、「寶珠寺」という天台宗の寺(無住)がある。
次の日ここで法事があるとのことで、地元の方が掃除に来ておられた。

寶珠寺(ほうじゅじ)は、宝暦4年(1754)に澄尭大和尚によって中興された寺だという。
2006年に「近江八幡の水郷」の重要景観構成要素として同時選定された。
そこで2007年、老朽化が著しかった本堂の修理が行われ、往時の姿を取り戻した。
修理に伴い発見された棟札には、弘化4年(1847)現在の本堂が造立されたと記されている。由緒ははっきりしないということだった。

圓山神社の石段の途中にて(近江八幡市円山町)
さらに続く石段を、寶珠寺の前から撮影。独特の雰囲気がある。
今回の撮影でどの寺の石段も登ったが、下界と寺をつなぐ異空間であることを感じる。
石段を上り下りすることで体を動かし、心を動かし、気持ちを切り替えているのだろう。
昔の人の知恵だと感じる。

圓山神社の手水舎と神庫(近江八幡市円山町)
圓山神社の手水舎と神庫。
梅雨の晴れ間に、光が差した瞬間の一枚。

圓山神社拝殿(近江八幡市円山町)
石垣が印象的な、圓山神社拝殿。
戦国時代、佐々木氏の支流に当たる西條氏が、この地に城砦を築いたと伝わっている。

圓山神社本殿と境内社、御影大岩(近江八幡市円山町)
圓山神社本殿と境内社。本殿の上にある巨岩がご神体(神体岩)である。
この近くにある長命寺も、境内各所に巨岩が見られ、神体岩となっている。
この地域に広く巨石信仰があったことをうかがわせる。
(撮影日:2013年7月2日、琵琶湖雄松崎は2013年3月)

 

次回:鞍掛神社例祭(全2回)を挟んで、沖つ島山6(沖島)の予定です。


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▼大嶋・奥津嶋神社(地図中央)~圓山神社

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