日枝の山道3(延暦寺の門前町、坂本。旧竹林院~山の辺の道~西教寺)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(26)

旧竹林院庭園-1
旧竹林院の庭園。2013年7月よりしばらく公開中止との事で、先日撮影させて頂いた。(撮影日:2013年6月5日)

※追記:2014年9月2日より、公開が再開されています。

旧竹林院庭園-2
旧竹林院は、比叡山延暦寺の僧侶の隠居所(里坊)だった場所である。
京阪電車の坂本駅や日吉大社にも近い場所にあり、一般公開されている。

坂本の里坊には、美しい庭園がみられるところが多い。
『滋賀県の歴史散歩』(山川出版社)によれば、坂本には借景の自然、山から流れる渓流、豊富な石材、苔に適した土質と気候という条件がすべて揃っている。
青年僧の修行道場ではなく、延暦寺の僧侶の隠居所だったということも大きい。

中世の坂本は琵琶湖に面した水運の町で、北国から京都への交通の要所だった。
もっとも栄えたのは室町時代で、人口は一万数千人あったという。

織田信長の比叡山焼き討ちのとき、門前町の坂本も焼け、衰退していった。
それでも坂本には、延暦寺の里坊が50ほど残っており、美しい町並みがある。
滋賀県大津市坂本は、国の重要伝統的建造物群保存地区になっている。

旧竹林院庭園-3
大宮川の清流がめぐり、苔と木々が美しい旧竹林院。国指定名勝庭園になっている。
水辺に映る赤い和傘と、静寂な空間。時間を忘れるひとときだった。

今回お会いしたスタッフの方は、全員女性で、おもてなしの心のあふれた方ばかりだった。人の動きをよく見ておられて、その人にあった言葉をさりげなくかけて、そっと退出する。
飛び込みの撮影だったが、「ガラス戸を自由に動かしてくださいね」とスタッフの方。
帰り際もすっと出てこられて、「おくつろぎいただけましたか?お気をつけて」とひとこと。こういう心配りのできる方は、本当にプロだと思う。同性としてお会いできて嬉しかった。

日吉大社の参道は、一面の青もみじ
比叡山延暦寺の門前町、坂本。日吉大社の参道は、一面の青もみじ。
日枝の山道第3回(今回)は、初夏の坂本を、旧竹林院~山の辺の道~西教寺まで歩いた。

実を言うと、白州さんの『近江山河抄』で登場する坂本は、主に日吉大社と西教寺である。
坂本は8年ほど前によく歩いた場所で、竹林や渓流沿いに趣のある散策路が多い。西教寺をご紹介するなら、あまり知られていない「山の辺の道」と一緒にご紹介したかった。

6月に入るとほぼ気温30度での撮影になる。歩いている人には殆ど会わなくなる。
このシリーズの撮影も、秋までしばらくお休みにしないといけないかなと思いつつ、歩く。

穴太積の石垣に咲いていたムラサキカタバミ/Oxalis corymbosa DC./Violet wood-sorrel
穴太積の石垣に咲いていた、可憐なピンクの花(ムラサキカタバミ)。

日吉大社東本宮と、山の辺の道
旧竹林院から西教寺に向かって車道を数分歩くと、日吉大社への近道の表示がある。
場所は慈光院のすぐ先で、途中に観光客用の無料駐車場がある。
近道の表示に従い竹林と民家の間の小道を行くと、日吉大社東本宮が見えてくる(写真)。

山の辺の道(案内板)
日吉大社境内(※有料)には入らずに、「山の辺の道」の案内どおりに右折する。

山の辺の道""/
日吉大社境内脇に続く「山の辺の道」。左側が日吉大社境内、右側が穴太積の石垣。

日吉古墳群-1

日吉古墳群-2
山の辺の道では、日吉古墳群を見ることができる。

琵琶湖の見える高台(山の辺の道)
琵琶湖の見える高台に出る。山の辺の道の最後で出会うのが・・・

八講堂千体地蔵-1
八講堂千体地蔵。
比叡山の麓にある八講堂跡周辺で出土した地蔵を、ここに集めて置いたのが始まりという。

八講堂千体地蔵-2(地蔵の背中と琵琶湖)
八講堂千体地蔵の背中と、琵琶湖。
色のあせた案内板には、「八講堂千体地蔵縁起」という表題で次のように書かれてあった。

山門堂舎記によると「八講堂は叡麓日吉社の北に建立された」とあり比叡山の山字名に「八講堂」という谷があり寺屋敷が残っている。山下における論議法要の中心的で重要なお堂であったのであろう。八講堂跡から紅染寺跡にかけての広範囲にわたり無数の地蔵尊が散在している。比叡山が修行の山で、一般の人の参詣に制限があったので、せめて山麓で日夜論議法要の梵音のきこえる処に小さな石造をまつって成仏を祈ったのであろう。近世田畑を耕作するのに際し入鍬ごとに地蔵尊が出てきたので、誰言うことはなしに、ここに集められたのがこの千体地蔵尊である。

八講堂千体地蔵-3(大日地蔵菩薩)
大日地蔵菩薩を中心に、琵琶湖を眺めるように並ぶ無数の地蔵たち。
八講堂千体地蔵の先で山の辺の道は終わり、車道に出る。安楽律院まで2kmとある。
ここから坂道を数分歩くと、西教寺の山門が左手に見えてくる。旧竹林院を出て30分。

青もみじが美しい西教寺の参道
青もみじが美しい西教寺の参道。傍らに宿坊がいくつか並ぶ。
緩やかな参道を歩き、もみじの木陰の下の石段を登ると、西教寺の本堂がある。

西教寺の本堂

来迎寺から坂本にかけては、浄土信仰がくまなく行渡っており、西教寺もその一つである。密教寺院のおごそかなのに比べて、心休まるものがあり、この寺にも明るい空気が流れている。(白洲正子『近江山河抄』<./cite>。以下同じ)

西教寺は一時荒廃していたのを、室町時代の真盛上人が再興し、現在は「天台真盛宗」と呼ばれている。いつ行ってみても、本堂の中から、鉦の音とともに念仏の声が聞えてくるが、これを「不断念仏」と称し、近所の信者たちによってつづけられているという。(中略)実際には平安時代からつづいていたのであろう。驚くべき信仰の強さで、比叡山の奥の深さを物語っている。

西教寺境内
西教寺境内。石垣の前と上には、一面の石仏、お墓、そして比叡山。

ここで人の心をひくのは、石垣の上に並ぶ石仏群である。(中略)仏たちの上にもあどけない表情があらわれ、見る人々の涙を誘う。「鎮護国家」といういかめしい指名をおびた叡山も、ついにここまで降りて来て、庶民のために手をさしのべた感じがする

明智光秀とその一族の墓(西教寺境内)

明智光秀とその一族の墓(西教寺境内にある案内板)
西教寺の石垣の前には、坂本城主だった明智光秀とその一族の墓がある。

織田信長が比叡山を焼き討ちした後、坂本の町を復興させたのは明智光秀だった。
地元では名君として慕う人が絶えない。
西教寺では毎年6月14日に明智光秀公御祥当法要(一族・諸将含む)が行なわれている。

西教寺客殿と泉と青もみじ
西教寺客殿(重要文化財)と涼しげな青もみじ。清らかな水が湧いていた。
池の脇には石段があって、真盛上人の御廟に続いている。せっかくなので行ってみる。

西教寺の染殿(五輪塔)

西教寺の染殿(五輪塔)案内板
真盛上人の御廟に続く石段の途中、看板があって見ると鎌倉時代の五輪塔だった。
無銘であるが、西教寺境内でもっとも古い年代の石造品だという。
白洲さんは御覧になったのかどうか分からないが、とても品のある石塔だった。

西教寺は独特の雰囲気があり、もちろん拝観もできるのだけれど、信仰の場という感が強い。
どこか簡単に近づけないところがあって、信仰心のない私はいつ行っても気後れしてしまう。いつかもっとこの空気となじんで、踏み込んで撮れたら、と思っている場所です。

 

次回:沖つ島山2(近江八幡:ちょっと番外編:八幡堀と、ネコと、菖蒲と紫陽花)です。

▼「山の辺の道」の入口(慈光院前)と、旧竹林院~山の辺の道~西教寺

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▼旧竹林院:滋賀県観光情報
http://www.biwako-visitors.jp/search/spot.php?id=1284

▼西教寺について(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/西教寺

▼西教寺ホームページ
http://www.saikyoji.org/