紫香楽の宮6(失われた奈良の文化圏を追って、正福寺と廃少菩提寺)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(23)

初夏の空と緑(野洲川の中郡橋から、滋賀県湖南市)

初夏の野洲川(中郡橋から、滋賀県湖南市)
空も緑も水も、すっかり初夏の色になっていた。再び、野洲川の中郡橋を渡る。

麦秋(菩提寺南の交差点手前にて、滋賀県湖南市)
菩提寺南の交差点の手前は、一面の麦秋。歩いている人は、誰もいない。

田んぼに小さな稲の風景(菩提寺~菩提寺西、滋賀県湖南市)
菩提寺~菩提寺西でみかけた田園風景。田んぼでは小さな稲が育っている。

前回まで、東海道五十三次の51番目の宿場町・石部を、2回に分けてご紹介してきた。
石部町は甲西町と合併して(平成16年10月)、現在は滋賀県湖南市になっている。
今回は旧甲西町エリアから、知られざる奈良ゆかりの風景をご紹介したい。

正福寺の石仏とツツジー1(滋賀県湖南市)

正福寺の石仏とツツジー2(滋賀県湖南市)
正福寺(しょうふくじ)は、1250年前、聖武天皇の勅願で良弁によって開かれた寺である。
5月下旬から6月上旬には、境内奥の石仏を取り囲むようにサツキの花が咲く。

開基当時は七堂伽藍を完備し、僧坊18、公衆12人を属していたというから大寺院だった。
本尊の胎蔵界大日如来は、金粛大菩薩(良弁)の一刀三礼の彫刻という秘仏である。

元亀年間(1570年)に織田信長と佐々木六角の兵火に遭い、一山諸堂僧坊は焼失。
本尊の大日如来や、十一面観世音菩薩など(いずれも重要文化財)は難を逃れた。
山号は大乗山で、明暦年間に浄土宗に改宗している。

菩提禅寺の前で咲いていた黄色い花
正福寺の北西(徒歩30分ほどのところ)に、菩提禅寺というお寺がある。
菩提寺山の麓の竹林に覆われた高台にあって、遠くから見ても独特の雰囲気がある。

国史跡「廃少菩提寺石多宝塔及び石仏」

国史跡「廃少菩提寺石多宝塔及び石仏」案内板
この隣の山中に、奈良興福寺の別院で「少菩提寺」と呼ばれた大寺院があった。大正15年に、国史跡「廃少菩提寺石多宝塔及び石仏」になっている。

菩提寺の山上から麓にかけて七堂伽藍・三十七の宿坊があったというが、面影はない。
やはり元亀年間(1570年)に織田信長と佐々木六角の兵火に遭い、灰燼に帰した。
前々回とりあげた西応寺に残る古絵図だけが当時の繁栄を伝える。

地元でもご存じない方が多いとの事で、菩提寺まちづくり協議会が周辺整備をされている。
史跡の入り口には、「歴史の小径」という名で、小さな看板が出ている。
菩提寺西から県道27号線を西へ向かうと、菩提禅寺の看板の次に廃少菩提寺がある。

少菩提寺は、正福寺と同様、良弁によって開かれた寺だった。
良弁は近江出身の僧侶で、聖武天皇の信任が厚く、後に東大寺の初代別当となった。
白州正子さんによれば、良弁は山岳信仰の修験者でもあり、土木の親方でもあった。
平城京造営のために、良弁が大津の石山に置いた建築事務所が、後の石山寺である。

近江南部(滋賀南部)は、巨岩と山地の多い地域であり、良弁開基の古刹が多く残る。
石山寺、栗東市の金勝寺(こんしょうじ)・安養寺、湖南市の西応寺・常楽寺・長寿寺。
中でも金勝寺と少菩提寺は別格で、少菩提寺に対し、金勝寺は大菩提寺と呼ばれた。

金勝寺は奈良の鬼門に位置し、常楽寺・長寿寺は紫香楽の宮の鬼門に位置する。
良弁は近江南部に南都仏教の一大文化圏を築いた。

廃少菩提寺 地蔵尊像(三体地蔵)
廃少菩提寺 地蔵尊像(三体地蔵)。史跡の入り口にある。

三体の地蔵尊像は、それぞれ一体ずつ別の石に刻まれている。
中尊は鎌倉初期の作で、像高158cm。
手には短い鍚杖を持ち、舟型光背の中に高肉彫して頭上に笠石をのせている。
両尊は南北朝の作。(案内板の解説より)

廃少菩提寺 閻魔像(閻魔地蔵)
廃少菩提寺 閻魔像(閻魔地蔵)。山中に続く道を数メートル歩くと、すぐ右にある。

閻魔王・如来形・地蔵・僧形二体の計五体が石に刻まれている。石の高さは160cm。
中央に頂上を山形にした矩形の深い掘込みを作り、中に坐高82cmの閻魔坐像を中肉彫りしている。(案内板の解説より)

廃少菩提寺 石造多宝塔
廃少菩提寺 石造多宝塔。地蔵尊像の向かい側にある。白洲さん絶賛の多宝塔である。

日本の石造美術史上において銘文をもつ多宝塔として大変貴重なもの。
「仁治二年(1241)辛丑七日」「願主僧良全・施主日置氏女」と刻されている。
塔高は448cmで、鎌倉時代の作である。(案内板の解説より)

白洲正子さんは『近江山河抄』の「近江路」で次のように記す。

中でも少菩提寺跡の石塔はみごとなものである。高さ四・五五メートルの大きさで、仁治二年(一二四一)の銘がある。見なれぬ形なので、寄せ集めかと思ったが、そうではなく、近江に特有の二重の多宝塔であるという。いい味に風化しており、その背後に菩提寺山が深々と鎮まっているのは、心にしみる風景である。

美しい石材に恵まれていたのと、帰化人の技術が手伝ったに違いない。それ以前からの自然信仰が、民衆の間に、根ぶかく生きていたことも忘れてはなるまい。文化財を残したのは、国でも皇室でもなく庶民なのだ。地方を歩いてみて、そのことを強く感じるが、とうの昔に失われたはずの原始信仰が、未だに健在なことに私は驚く。木と石と水-それは生活に必要なものを生み出す「山」のシンボルであり、日本人の内部に秘められた三位一体の思想である。

湖南に良弁ゆかりの寺を訪ねる旅は、今回でひとまず最終回。
紫香楽宮は、白州さんが信楽を訪ねたという秋に訪ねる予定です。

 

次回:沖つ島山1(安土のかくれ里、教林坊と老蘇の森)の予定です。


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湖南市地図(市内観光マップ)
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正福寺/廃少菩提寺
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