HDDからSSD/HDDへの換装手順(CドライブのみSSD移行)3:システム移行編

HDDからSSD/HDDへの換装手順、システム移行編(最終回)です。

Windows7のデスクトップパソコンにて、システム(Cドライブ+@)のみSSDへ移行。データ(Dドライブ)は新しいHDDへクローンし、SSDと新HDDを併用する方法です。

HDDよりSSDの容量が小さい場合、Windows7付属の「システムイメージからの復元」は無理なため、クローンソフトを使用しました(ただし、実際のHDD使用量<SSDの容量に収まる場合であることが必要)。

クローンソフト自体は分かりやすかったのですが、そこに至るまでの周辺知識がなかったため、初心者の筆者が実際に戸惑った項目を中心にまとめてみました。たぶん、同じところで悩む方がおられるのではないかと思い、参考サイトのリストを含めて出来る限り再現しています。

 

◆そもそもHDDの中味をどうやってコピー(クローン)するか?
◆SSDの取り付けに必要なもの
◆HDDの選び方(Windows7以前と後ではハードディスクの仕様が違う(AFT・非AFT))

HDDからSSD/HDDへの換装手順(CドライブのみSSD移行)1:事前準備編

 

◆1TB HDDから大容量HDD(3TB)へのクローン方法(従来のフォ-マットでは2TBを超えるHDDは認識されないので、3TB一杯認識させる方法)~ハードディスク2TBの壁と、MBR⇒GPTクローン

HDDからSSD/HDDへの換装手順(CドライブのみSSD移行)2:フォーマットの方法とDドライブのクローン(2TB超HDDへのMBR⇒GPTクローン)

 

筆者のPC(Dell Precision T1500)では、最近になって起動時にシステムが不安定になることがありました。Dellの付属ソフトで調べたところ、指定読み取りテストとリニアリードテストでHDDエラーが数回出ていました。Dellのサイトで調べたところ、HDDの交換が必要な状態でした。

筆者のように移行元HDDの調子が良くない場合は、クローン作業中にエラーが出る可能性があります。そこで今回は、クローンソフトの「システムのバックアップと復元」機能で、システムを移行しました。

システムのみ移行する場合は、クローンする方法と、クローン箇所の選び方が鍵になります。これから自分でやってみようと考えている方の、ご参考になれば幸いです。

システム移行編(目次(5)-(8)に対応)

(5)システム(C: + システムで予約済み)HDD 500GB(68GB使用)⇒SSD 240GBに移行する方法

☆事前に準備・確認しておくこと
Windows 7のシステム修復ディスクを作成する
AOMEI Backupper Standard(インストール)
AOMEI Partition Assistant Standard Edition v6.0(インストール)
・BIOS設定画面に入る方法を確認しておく
「BIOS設定|パソコン初心者」の記事によれば、「ほとんどのパソコンが電源投入後のメーカーロゴ画面、マザーボードロゴ画面でF2キーかDeleteキーを押してBIOS設定画面に入ります。」との事です。

 

☆推奨事項(CドライブからDドライブへの変更)
[Windows 7]個人用フォルダーの「マイドキュメント」や「マイピクチャ」などのリンク先を変更する
Google Chrome のキャッシュの場所を移動する
Firefoxのキャッシュ保存先の変更方法
Windows 7 / Internet Explorer 8.0 インターネットオプションの設定 (ネットワーク接続用の設定変更)

 

☆システムのバックアップと復元方法
『初SSD、初クローンにて失敗。困っています。』のクチコミ掲示板を参考にしています。

準備:HDDにチェックディスクをかける。(「不良クラスタの検出と修復」にチェックマークを入れた上で実行)⇒チェックディスクの実行方法

手順:AOMEI Backupper Standardで「バックアップ」⇒「パーティションバックアップ」を選択。

↓「バックアップしたいパーティションまたはボリュームを選択。」をクリック。

↓「システムで予約済み」と(C:)を選択。「RECOVERY」の選択は任意。⇒「追加」を選択

☆メモ

(C:)だけ「パーティションクローン」してもWindowsは起動しない⇒(C:)のほかに「システムで予約済み」領域も必要。

疑問点1:「システムで予約済み」領域が見当たらない場合は??
⇒Windows7を再インストールしたPCでは、システム予約領域100MBはC:ドライブ内に作られる。
『Win7 再インストール後システムで予約済みが消えた><;』 の クチコミ掲示板

ちなみに、システム予約領域の実体は「bootmgr」という名のシステムファイルで、「bootmgr」がなければ起動できない。
BOOTMGR is missing 「BOOTMGR」とは何か

筆者のPC(Windows7再インストール経験あり)を調べてみると、確かにCドライブの中に「bootmgr」がありました。

疑問点2:「RECOVERY」領域は除外してよいのか?
⇒SSDの空き容量を少しでも確保するため、「RECOVERY」領域は移行させずに対処したという体験談が多かった。

疑問点3:「RECOVERY」領域をどれくらい確保するか?
「SSDの換装について」の中で言及あり。
※筆者の場合は現HDDと同じ容量を確保(約10GB)

 

↓(C:)以外のバックアップ先を指定する(画面では「D:マイバックアップ」の中にバックアップが作られる。外付けHDDを指定してもOK。)

↓「システムバックアップ機能を使用しますか?」⇒「はい」を選択。

↓「システムで予約済み」と(C:)が選択されていることを確認して、「開始」を選択。
※筆者の環境では、「システムで予約済み」該当領域が(C:)の中に作られているため、この画面になっている。また任意で「RECOVERY」を選択している。

↓システムバックアップの進行状況。「D:System Backup(1)」としてバックアップが作られる。「完了したときにバックアップの整合性をチェックします」にチェックを入れておく。


↓SSDをHDDスタンドでPCに接続した状態で、AOMEI Backupper Standardで「復元」を選択。

↓「システムを復元したいですか?」⇒「はい」を選択。

↓バックアップ元を指定し、「システムをほかの場所に復元。」にチェックを入れる。⇒「次へ」を選択。

↓復元先としてSSDを指定(「未割り当て」となっていて構わない⇒ゆえにフォーマット不要)⇒「次へ」を選択。

「SSDを最適化するにはパーティションを合わせる」に必ずチェックを入れて、「開始」を選択。

↓システム復元の進捗状況。

↓復元完了。システムがSSDに復元されました。引き続き、移行作業を行います。

(6)一つのHDD⇒SSD+新HDD に移行したことをWindowsに認識させるには

まず、PCの電源を落として、ケーブル類・外付け機器をすべて外す。
↓次にプラスドライバーで、PCケースのふたを固定しているネジを外す。

↓HDDを外す。SATAケーブル(写真1)、電源ケーブル(写真2)、固定ネジ4箇所(写真3)を外せばOK。

↓取り外したHDDから出ているSATAケーブルの、取り付けられている箇所を確認(マザーボードに書いてある数字に注目)。
1番にSSD、2番に新HDDが来るようにする(※現HDDを流用する場合は2番にHDDが来るようにする)。

↓SSDに、SATAケーブル(マザーボード1番から伸びているもの)と電源ケーブルを装着。

現HDDのあったベイに、SSDを装着(2.5インチ⇒3.5インチ変換マウントを使用)。

空きベイに、新HDDを装着。SATAケーブル(マザーボード2番から伸びているもの)と電源ケーブルをHDDに装着。PCケースのふたを閉める。

PCの電源スイッチを入れる。[F2]または[Delete]キーを押し続けて、BIOSの設定画面を呼び出し、1st Boot をCD/DVDドライブに指定する。変更内容を保存して再起動させる。

▼BIOSの操作方法

CD/DVDから起動する方法

 

CD/DVDドライブに修復ディスクを入れる。

↓キーボードの選択に迷いましたが、「Microsoft IME」でOKでした。

スタートアップ修復を行う。

スタートアップ修復が終わったら、修復ディスクを取り出したうえで、再起動させる。
BIOSの設定を元に戻す必要があるので、[F2]または[Delete]キーを押し続けて、BIOSの設定画面を呼び出し、1st Boot をSSDに指定する。変更内容を保存して再起動させる。

↓Windowsが起動したら成功!再起動を要求されるので、再起動する。

(7)パーティションの調整(3TB全部を(D:) にする)

・新HDD(旧Dドライブのクローン)が(H:)と表示されているので、(D:) としたい。
・ボリュームラベルがない状態なので、DATAと名づけたい。
・割当領域も旧Dドライブの容量のままなので、容量いっぱいに拡張したい。

AOMEI Partition Assistant Standard Editionで、
・「ボリュームラベルの変更」(DATA)
・「ドライブ文字の変更」(HからDへ)
・「パーティションの調整」を行う。(下の写真の画面で、緑色の部分を右へ容量一杯までドラッグする)

↓「実行」すると、あっという間に終わります。

リカバリー(初期化)ではなくクローンなので、WindowsUpdateをやり直したり、ソフトを延々と入れなおしたり、Adobeのソフト(Photoshopなど)の認証を行ったりといったことは、一切不要でした!!
 

(8)SSDの最適化

SSDはHDDと性質が違うため、SSDに即した最適化と状態判断が必要になります。

1. 最適化設定

Windows Vista 7 8.xの起動ディスクにSSDを使用している場合の「最適化設定」方法

上記記事の最後でも紹介されていますが、SSDの最適化を簡単に行えるフリーソフトがあります。

SSDの寿命を3倍へ「SSD最適化設定」 |
↑SSDへの交換前に必要なSSDの容量を教えてくれるなど、機能盛りだくさんでおすすめです。特にLPM(省電力設定)」、「SSDの寿命を急速に消耗させるハイバネーションをOFFにする」は、個人ではなかなか設定できないので、ぜひ!!

 

2. SSDの寿命予測・状態判断

SSDLife Free
SSDの寿命予測・健康診断・使用状況・S.M.A.R.T.を簡単に確認できるSSD用ユーティリティソフト。フリー版あり。

CrystalDiskInfo
S.M.A.R.T.に対応したHDDの動作状況や健康状態をチェック。フリーソフト。

 

3. SSDのバックアップ
AOMEI Backupper Standardの「システムのバックアップ」などを使って、意識的にバックアップをとっておくのが重要です。

 

4. SSD専用のデフラグソフト
MyDefrag
Defraggler

 

参考:クローンの方法3通り

1.HDD全体のクローン(ディスククローン)・・・HDD全体がCドライブの場合
一番シンプルで、分かりやすい方法です。
※手順⇒HDD / SSD の C ドライブ(システムドライブ)をOS丸ごとコピー/クローンできるフリーソフト「 Easeus Todo Backup 8.2 」の使い方解説!

 

2.システムのみのクローン・・・パーティションクローンを行う。(C:)のほかに「システムで予約済み」領域を選択します。

AOMEI Backupper Standardの「システムクローン」はSNSでの宣伝を条件としたロックがついていますが、同様のシステムクローンがAOMEI Partition Assistant Standard Editionで無条件でできるようです。筆者が試してみたところ、クローン画面になりました。手順はhttp://www.disk-partition.com/jp/help/migrate-system-wizard.htmlで紹介されています。

 

3.システムのバックアップと復元・・・今回はこの方法で移行。
参考:『初SSD、初クローンにて失敗。困っています。』のクチコミ掲示板

※クローン方法3通りの詳細な検討(良記事・ご一読を)⇒フリーのクローンソフト、2015|Think pad Club

全体目次

(1)HDDの中味をどうやってコピー(クローン)するか?
(2)SSDの選び方(容量・事前準備)と、移行に必要なもの
(3)HDDの選び方~Windows7(Service Pack 1以前の発売モデル)ならではの悩み
(4)データ(D:) HDD 500GB⇒新HDD 3TBに移行~ハードディスク2TBの壁と、MBR⇒GPTクローン
(5)システム((C:)+「システムで予約済み」)HDD 500GB⇒SSD 240GBに移行する方法
(6)HDD⇒SSD+新HDD に移行したことをWindowsに認識させるには?
(7)パーティションの調整(3TB全部を(D:) にする)
(8)SSDの最適化

 

HDDからSSD/HDDへの換装手順(CドライブのみSSD移行)2:フォーマットの方法とDドライブのクローン(2TB超HDDへのMBR⇒GPTクローン)

HDDからSSD/HDDへの換装手順、続編です。

新品のSSDまたはハードディスク(HDD)をPCに認識させるためには、フォーマットが必要と言われます。

新品のSSD/HDDをHDDスタンドで外付けすると、ディスクとして認識されません。「コンピュータの管理画面」を開くと「未割り当て」と表示され、「ディスクを初期化してください」画面が出るのが通例です。

しかしクローン新品のSSD/HDDを使うときは、フォーマットする必要はありません。そのまま、クローンソフトを使ってください。

一例
・CドライブHDD 500GB⇒SSD 250GBへクローン(新品SSDのフォーマット不要)
※実際のHDD使用量<SSDの容量に収まる場合なら、フリーソフトを使って移行が可能。

・DドライブHDD 500GB⇒2TBまでのHDD へクローン(新品SSDのフォーマット不要)

ただし、今回取り上げるMBR⇒GPTクローンでは、フォ-マットを行いました。
・DドライブHDD 500GB⇒HDD 3TBへクローン(新品HDDのフォーマットを実行※)

※補足:特に初めての場合は、フォーマット(GPT)⇒クローンが分かりやすくて無難かと考えています。ただし、この部分については、1TBから3TBのHDDへの引っ越し(ほげほげ日記)のように、フォーマットせずにクローンし、パーティションソフトでMBRからGPTに変換する方法も可能だと思います。

 

移行のおおまかな流れ

Windowsを起動したまま、HDDスタンドとクローンソフトを使ってWindowsはSSDに、データ(画像など)は新しいHDDに移す。・・・ココの話

PCの電源を落としてPC内部にあるHDDを取り外し、SSDと新HDDを取り付けて、Windowsを起動させる。

PCで微調整とSSDの最適化を行う。
※今回使用したのはすべてフリーソフトとWindows付属ソフトです。

 

筆者の環境

・Dell Precision T1500(デスクトップ(正確にはワークステーション))
・Windows7 professional 64bit (Service Pack 1適応済)
・一台のHDD(1TB)を、(C:)500GB(D:) 500GBとして使用

全体目次

(1)HDDの中味をどうやってコピー(クローン)するか?
(2)SSDの選び方(容量・事前準備)と、移行に必要なもの
(3)HDDの選び方~Windows7(Service Pack 1以前の発売モデル)ならではの悩み
(4)データ(D:) HDD 500GB⇒新HDD 3TBに移行~ハードディスク2TBの壁と、MBR⇒GPTクローン
(5)システム((C:)+「システムで予約済み」)HDD 500GB⇒SSD 240GBに移行する方法
(6)HDD⇒SSD+新HDD に移行したことをWindowsに認識させるには?
(7)パーティションの調整(3TB全部を(D:) にする)
(8)SSDの最適化

HDDからSSD/HDDへの換装手順(CドライブのみSSD移行)1:事前準備編

Dドライブクローン編(目次(4)に対応)

(4)データ(D:) HDD 500GB⇒新HDD 3TBに移行

☆ハードディスク2TBの壁とWindows7

※従来からのフォーマット形式「MBR」では2TBまでしか認識しません。「ハードディスク2TBの壁」と呼ばれます。

⇒2TBまでのSSD/HDDを扱う場合は、特に考えなくていい話です。該当しない方は、読み飛ばしてください。

※フォーマット形式を「GPT」にすれば、2TBを超えるディスクも認識されます。

※ところが、Windows7で2TBを超えるHDDを「起動ディスク」(いわゆるCドライブ)として使うには、 64bitで、かつマザーボードが対応していなければならないという制約があります。XP、Vista、7でどうなるかは下記記事をご参照ください。

大容量 HDD 導入時には注意!「2TBの壁」

ただし、Dドライブとして使う分には制約はありません。そこで筆者のケースでは、Dドライブとして使用します。まずは、新HDD(3TB)を「GPT」へフォーマットします。

 

☆フォ-マット方法

「コンピュータの管理」画面を表示させます。

表示方法:「スタート」ボタンをクリック⇒「コンピュータ」を右クリック⇒「管理」を選択。左側の欄から「ディスクの管理」を選択。

↓ディスクの初期化画面が同時に出てきます。今回は容量が2TBを超えるディスクなのでGPTを選択し、OKをクリック。(※2TBまでのディスクはMBRにしてください。)

↓「未割り当て」の上で右クリックし、「新しいシンプルボリューム」を選択。

↓新しいシンプルボリュームウィザードが起動します。「次へ」をクリック。

↓複数のシンプルボリューム(たとえばDとE)に区切りたい場合は、数値を指定してください。ここでは1つのボリュームにするので指定値そのままにしています。

↓現在あるドライブ(Dなど)と被らない文字を指定してください。なお、クローン後にDへ変更することが出来ますので、ご安心を。

↓Windows Vista/7/8/8.1はNTFSで。アロケーションユニットサイズは規定値で構いません。ボリュームラベルは好きな名前をつけてください。今回は初回フォ-マットなので「クイックフォーマット」はチェックを外します。

↓「完了」をクリックするとフォ-マットが始まります。3TBで一晩かかりました・・・。

 

☆2TB超HDDのMBR⇒GPTクローン(クローンソフトの選択)

※ここで問題が一つ。今までのHDDは「MBR」形式でフォーマットされています。

⇒「MBR」のHDDから「GPT」のHDDへクローンができるか?できるソフトは意外と少ないです。色々試してみたところ、可能だったのは、AOMEI Backupper標準版(フリ-ソフト)でした。Windows 10/8.1/8/7/Vista/XP対応。

サーバの場合や、機能によっては、有料版になります。こちらでご確認ください。
http://www.backup-utility.com/jp/edition-comparison.html

 

☆2TB超HDDのMBR⇒GPTクローン(クローンソフトの手順)

前回ご紹介したHDDスタンドを使ってPCに新HDDを接続した状態で、AOMEI Backupper標準版を起動させます。

↓「クローン」をクリックし、「パーティションクローン」を選択します。

↓ソースとして、クローンしたいボリューム(ここではD:)を選択します。

↓クローン先として、新しいHDD(ここではH:)を選択します。

↓「はい」を選択。

↓「開始」をクリックすると、クローンが始まります。

↓ (D:)と全く同じものが出来ました。(H:)と表示されているボリュームです。

もしMBRでフォーマットやクローンをしても、データを残したままMBRからGPTに変換する機能がAOMEI Backupperにはあるそうです。私がMBR⇒GPTクローンの方法を探していて、一番最初にたどり着いたのが、この方の記事でした。サーバーで業務使用されている場合は、特に参考になると思います。

データを残したままMBRからGPTに変換する

 

その他、参考になるサイトのご紹介

3TBハードディスクの使用法大検証、2TBの壁も再チェック

新しく買ったHDDが認識しない/WindowsでHDDを認識・フォーマットする方法

Windows 10/8/7でGPTディスクにMBRディスクをクローンする方法

 

HDDからSSD/HDDへの換装手順(CドライブのみSSD移行)1:事前準備編

事務所で使っているWindows7パソコン。ハードディスク(HDD)の調子が良くないため、先日HDDからSSDに交換(換装)しました。

システム(Cドライブ+@)はSSDへ、データ(Dドライブ)は新しいHDDへクローンし、現在はSSDと新しいHDDを併用して使っています。

SSDに置き換えても、もとのHDDはそのまま使いたい、あるいは大容量の新しいHDDを取り付けてSSDと並存して使いたいと考える人が多いと思うのですが、「Windows7でCドライブのみSSD移行」は、実際にやってみて要所要所に難所がありました。

というのも、Windows7発売当時にはなかったフォーマット仕様や大容量HDDが出てきており、そちらへの対応が必要です。

これに加えて、HDDの選び方、クローン方法、システム(Windows)のみのコピー方法など、イメージのつかみにくい話の組み合わせなので、私の分かる限りで移行手順を書きました。必要となったパーツや道具も、できる限り再現しています。

というのも、私の周囲には詳しい人がいなくて、今まで(カメラも含めていろんなことを)自分で試行錯誤しながらやってきました。ご参考になれば幸いです。

 

ところでSSDにすると何かいいことあるの?というと、Windowsやソフトの起動が高速化するメリットがあります。

ただしHDDに比べて値段が高いのが悩みどころで、容量の違うHDD/SSD同士でデータの移行をする場合も多いようです(HDDの容量>SSDの容量でも、実際のHDD使用量<SSDの容量に収まるなら、フリーソフトを使って移行ができます)。

 

移行のおおまかな流れ

Windowsを起動したまま、HDDスタンドとクローンソフトを使ってWindowsはSSDに、データ(画像など)は新しいHDDに移す。

PCの電源を落としてPC内部にあるHDDを取り外し、SSDと新HDDを取り付けて、Windowsを起動させる。

PCで微調整とSSDの最適化を行う。
※今回使用したのはすべてフリーソフトとWindows付属ソフトです。

 

筆者の環境

・Dell Precision T1500(デスクトップ(正確にはワークステーション))
・Windows7 professional 64bit (Service Pack 1適応済)
・一台のHDD(1TB)を、(C:)500GB(D:) 500GBとして使用

全体目次

(1)HDDの中味をどうやってコピー(クローン)するか?
(2)SSDの選び方(容量・事前準備)と、移行に必要なもの
(3)HDDの選び方~Windows7(Service Pack 1以前の発売モデル)ならではの悩み
(4)データ(D:) HDD 500GB⇒新HDD 3TBに移行~ハードディスク2TBの壁と、MBR⇒GPTクローン
(5)システム((C:)+「システムで予約済み」)HDD 500GB⇒SSD 240GBに移行する方法
(6)HDD⇒SSD+新HDD に移行したことをWindowsに認識させるには?
(7)パーティションの調整(3TB全部を(D:) にする)
(8)SSDの最適化

 

事前準備編(目次(1)~(3)に対応)

(1)HDDの中味をどうやってコピー(クローン)するか?

 

玄人志向 HDDスタンド USB3.0接続 KURO-DACHI/CLONE/U3 パソコンなしでHDDのまるごとコピー機能付き

実際にどういう風にしたらいいのか、全然イメージがわかなくて困っていたところ、父の積読になっていたPC雑誌(2015年春号)でこれを発見!

これを使えばパソコンなしで、HDDの丸ごとコピー(クローン)が可能です。SSDにも対応。何より時間と手間が短縮できます。ソフトの選択で悩む必要もなし。コピー元HDDの状態が悪くなければ、同じ容量(またはそれ以上)のディスクにクローンする場合に使えます。

ただし、パソコンなしで、500GBのディスク⇒250GBのディスクへのような容量が小さくなるコピーはできません。

 

 

 

Inateck USB3.0 HDDスタンド 2.5型 / 3.5型 SATA HDD/SSD対応 ACアダプター付 (PC / Notebook / Mac使用可能、SATA3 UASPにサポート)
筆者の場合、パソコンにつないでコピーできればいいのと、ディスクを差し込む口は一つあれば十分でした。500GBの内蔵ディスク⇒250GBのディスクのコピーになるので、容量が小さくなるコピーができる、このHDDスタンドを購入しました。

なんといっても、パソコンに接続するとUSB接続の外付けHDDと同じように使えるというのが便利でした。SSDのコピーにも対応しています。

Inateck USB3.0 HDDスタンド 2.5型 / 3.5型 SATA HDD/SSD対応 ACアダプター付 (PC / Notebook / Mac使用可能、SATA3 UASPにサポート)

USB3.0/USB2.0対応。差し込むディスク(HDD/SSD)容量は4TBまで対応。Mac使用可能。3TB HDDのフォーマットに一晩使いましたが、HDD、スタンドとも熱でおかしくなることはありませんでした。

移行作業が終わった後は、また別の内蔵HDDを買ってきて、このスタンドで外付けHDDとして使ってみるのもいいかも・・・(緊急時のバックアップ用に使えますね!)

付属の説明書が英語で、簡単な説明だけだったので、使用方法と取り外し方法を書いておきます。

 

使用方法

・ACアダプタを、HDDスタンドと接続。
・USBケーブルを、HDDスタンドと接続。
・ACアダプタをコンセントに挿し、USBケーブルの他方をPCに接続。
・HDDスタンドの口のように開いている部分を覗き込み、SSDやHDDの先端端子と向きが合うことを確認したうえで、SSDまたはHDDを上から差し込む。
・スタンド本体の電源ボタン(目玉状)を押す。
これだけで、外付けHDDと同じように使えます。

 

取り外し方法

Windowsの場合は、USB機器と同様「ハードウェアを安全に取り外してメディアを取り出す」でできます。
その後、スタンド本体の電源ボタンを押せば電源が切れます。
電源が切れてから、SSD/HDDの取り出しを行ってください。
イジェクトボタン(上に飛び出した棒状のボタン)を下に押し込めば、少し飛び出すようにSSD/HDDが外れます。

 

 

↓こちらはノートパソコンの方向け。写真家の先輩が実際に使っていました。
※SSDだけのコピー/クローンなら、デスクトップパソコンの方でも使えます。(SSD=2.5インチなので)

センチュリー MOBILE BOX USB3.0接続 SATA6G CMB25U3BK6G ブラック/グレー

センチュリー MOBILE BOX USB3.0接続 SATA6G CMB25U3BK6G ブラック/グレー

「2.5インチ」内蔵HDD、または2.5インチ内蔵SSDを入れて、外付けHDDケースとして使えます。USB3.0/USB2.0対応。

 

(2)SSDの選び方(容量・事前準備)と、移行に必要なもの

SSDの寿命を3倍へ「SSD最適化設定」 |
↑後日調べたところ、SSDのディスク交換・事前調査のための、フリーソフトがありました!必要なSSDの容量を教えてくれるなど、機能盛りだくさんでおすすめです。SSDに交換した後の最適化にも使えます。

 

↓実際のところ、筆者は急なHDDトラブルで選ぶ時間がなかったので、PCパーツ専門店で、店おすすめの特価品を購入。お店では約8000円でした。

 

SSDをデスクトップパソコンに入れる場合は「2.5インチHDD/SSD用→3.5インチサイズ変換ブラケット(ネジセット付き)」が必要です(※ノートパソコンの場合はHDDが2.5インチなので、変換ブラケット不要)。

 

この他、SSDとマザーボードをつなぐ「SATAケーブル」が必要です(※取り外すHDDから流用する場合は不要)。通常は0.4-0.5mあれば十分かと思いますが、できればご自分のPC内部を開けて必要な長さを確認してください。

 

面倒だなと思う方は、変換ブラケットとSATAケーブルつきのSSDがありますよ!高価なSSDだと、変換ブラケットが付属している場合が多いようです。

SSD/HDD取り付け作業に必要なのが、プラスドライバーです。

太いドライバー(2番。ご家庭にあるドライバーは通常コレです)は、PCのカバー(ふた)を開ける時にネジをはずすために使用。

細いドライバー(00番。メガネやカメラレンズ用に使われる)は、SSDと変換ブラケットをPCケース内部に取り付ける時に使用します。

写真はマイドライバー。この2番のプラスドライバーは十年来愛用しています。

(3)HDDの選び方~Windows7(Service Pack 1以前の発売モデル)ならではの悩み

☆HDDを選ぶ視点

・2.5インチか3.5インチか(ノートパソコンは2.5インチ、デスクトップは3.5インチ)
・IDEかSATAか(Windows7ならSATA)
・回転数(5400回転、7200回転)・・・同じものを選ぶのが無難。システム(OS)に使う場合は7200回転、データのみの場合は5400回転で十分という声もありました。
・AFTか非AFTか(後述)

◆HDDの選び方(解説)⇒ハードディスク交換・換装
◆自分のPCのスペックを調べる方法⇒自分のPCのハードディスクが、IDEかSATAかが簡単にわかる方法はないでしょうか?

 

☆Windows7 Service Pack 1(2012年2月~)以降と、Windows7以前では、ハードディスクの仕様が違います!(AFT・非AFT

XP、Vista、Windows7(出荷時無印タイプ:2009年~2011年)は、ハードディスクの物理セクタサイズが512バイト(=非AFT)です。現在はその8倍である、1セクタ4096バイトの「AFT」が主流になっています。

XP、Vista(SP1未適用)、Windows7(SP1未適用)で「非AFT」から「AFT」に交換すると、リカバリができない、Windows Updateが実行できない問題が指摘されています。

◆方法1:事前に措置を取った上で、AFTのハードディスクに交換する。
非AFTハードディスクから AFTハードディスクへの交換 (換装) その1
非AFTからAFTへのHDD交換について質問させてください。|価格.com

 

◆方法2:非AFT方式のハードディスクを探す。筆者の経験上、アマゾンでは「非AFT」、ヨドバシカメラでは「512Byteセクター品」と記載されています。非AFTのものは非常に少なくなってきていて、価格も高めなので、非AFTでのHDD交換をお考えの方は早めに購入されたほうがいいかもしれません。
筆者が購入したHDD(非AFT)

 

希少な1TBのHDD(非AFT)。同じものがヨドバシカメラで販売されています(2016年11月18日現在)。

【Western Digital】 WD Black 3.5inch HDD 1TB SATA 7200回転 64Mキャッシュ 512セクタ(非AFT) WD1001FAES

Western Digital製の1TBHDD。ちなみに筆者が今まで使っていたHDDは、これとほぼ同じ型番でした。デスクトップ用。

Amazon.co.jpで詳細を見る

 

ノートパソコン用の非AFT HDDを発見!

 

 

その他、参考になるサイトのご紹介

容量の違うHDD同士では、Windows7付属の「システムイメージからの復元」は無理ですが、同じ容量同士ならこの機能でHDD交換をするのも一つの方法です。実際の容量については、2番目のサイトで詳細に検討されています。

▼Windows7の「システムイメージの作成」でHDD交換をする場合の手順
Windows7の標準機能を使ってHDD交換をしてみました|文系技術屋のつれづれ日記

▼Windows7の「システムイメージの作成」でHDD交換をする場合の注意点
Windows 7 のシステムイメージでパソコンを復元する時の注意点。

 

竹生島をめぐる冒険(3) 謡曲「竹生島」と徳川家康の愛した「うさぎ」―波兎文様

月明かりに照らされた琵琶湖。その湖面に白い波が立つさまは、何匹もの兎(うさぎ)が飛び跳ねているようだ・・・と、昔の人は考えたらしい。

波間を兎が飛び跳ねている図柄は、波兎文様(なみうさぎ もんよう)と呼ばれる。

波と兎の組み合わせは、謡曲『竹生島』(ちくぶしま)の一節「緑樹(りょくじゅ)影沈んで 魚木に上る気色あり 月海上に浮かんでは 兎も波を奔(かけ)るか 面白の島の景色や」に由来するとされている。

波兎文様は桃山時代から江戸時代初期にかけて流行した。徳川家康の孫である千姫の輿に使われたと言う話があるし、豊臣秀吉の七回忌法要を描いた「豊国祭礼図屏風」の中にも見られる。

江戸時代初期以降も、衣装・家紋・建築(欄間彫刻)・陶磁器・蒔絵などに広く見られ、愛されているデザインである。

ところで、どうして兎なのだろうか。波の上を走る兎の意味するものとは。

 

 

月と兎

謡曲『竹生島』の一節「月海上に浮かんでは 兎も波を走るか 面白の島の景色や」から生まれた波兎文様。
「月と兎」と言うと、何を連想されるだろうか。

日本人にとっては、月で餅つきをするうさぎ、あるいは因幡の白兎のイメージが強いかもしれない。

中国では、兎は月で(餅ではなく)不老不死の薬をつく動物とされてきた。もともと中国では月は水の精と考えられており(月の満ち欠けと潮汐の関係との事。参照:月兎)、兎は水の精を連想させる。

波兎文様の「波と兎」の組み合わせは「月と兎」と同じ意味を持ち、不老不死・慶兆の象徴として大衆にも広まっていったという(参照:波と兎)。

 

家康の羽織にも使われた波兎文様

この波兎文様を愛した戦国大名がいる。天下人、徳川家康である。

名古屋の徳川美術館には、徳川家康が着用した羽織の数々が残されており、その中に黄金色地白い兎と白い波模様の羽織(辻ヶ花染)がある。

辻ヶ花染とは、室町時代から安土桃山時代にかけて現れた絞り染めの技法で、江戸中期以降は急速に廃れ消滅し、幻の染物と言われているそうだ。当時から高級品だったようで、徳川美術館の他の収蔵品にも、家康の衣装に辻ヶ花染が見られる。

 

【徳川美術館イメージアーカイブ/DNPartcom(外部リンク)】

▼黄金色地葵紋波兎文辻ヶ花染羽織(復元)(表面の写真)
https://images.dnpartcom.jp/ia/workDetail?id=TAM000616

▼黄金色地葵紋波兎文辻ヶ花染羽織(復元)(背面の写真)
https://images.dnpartcom.jp/ia/workDetail?id=TAM000617

 

 

 

「うさぎ」と徳川家康

以下は、徳川美術館の館長だった山本先生から伺った話を、筆者が調べた史実と共にまとめなおしたものであることを、あらかじめお断りしておきたい。

徳川家康という人物は、天文11年(1542)12月26日午前4時頃(寅年・寅の日・寅の刻)の生まれとされている。

そして征夷大将軍になったのは慶長8年(1603)2月12日、61歳の時だとされるが、当時は数え年なので(※生まれた年が1歳、以後は正月(当時は立春の2月4日頃)ごとに年齢を重ねる)、62歳が正しい。

しかし、家康は征夷大将軍就任の際の儀式(天曹地府祭)で、都状(願文)に「家康六十一歳」と自ら記入している(ここまでは史実)。数え年では年齢が1歳合わないことになる。

そのため、家康は天文12年(1543)の卯年(うさぎどし)生まれではないか、生まれを寅でそろえたのはブレーンの天海僧正が家康を神格化するための発案ではないかという考え方がある。これが徳川美術館の関係者の方から伺った見解である。

ちなみに、家康が征夷大将軍に就任した慶長8年(1603)は卯年で、数え年でいえば家康はちょうど還暦に当たる。2月12日は当時の春分前日で、征夷大将軍の就任にふさわしい時期と判断されたようだ。

 

【徳川記念財団所蔵品紹介[インターネット展示] (外部リンク)】

▼天曹地府祭都状・徳川家康墨筆(「家康六十一歳」)
リンク先5点目の写真をご覧下さい。
http://www.tokugawa.ne.jp/possession.htm

 

 

水の意味するものと、家康の波兎文様羽織

古来から、水は万物の源とされてきた。そして水を治めることは、治世者の証であった。
この話題が出るとき、筆者はいつも、古代中国の名君とされる三人の皇帝、尭(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)の話を思い出す。この三人はすべて、治水に功績が認められて皇帝となったとされている。

以下は山本先生から伺った話をもとに、筆者の表現でまとめたものであることを、あらかじめお断りしておきたい。

波兎文様の波間を兎が飛び跳ねているさまは、万物の源であり、治世者の証である水の上を、水の精である兎が跳ね回る姿である。家康にとっては、自然万物すべてを掌握した力の象徴であること背景にしたイメージではないだろうか。

他方、竹生島に祀られた弁才天は、琵琶湖の水神と同一視され、古来より篤い信仰を受けてきた。弁才天はもともとインドの水神が仏教に取り入れられた経緯を持つ。

波兎文様は由来となった謡曲『竹生島』を連想させ、竹生島の弁才天(竹生島大明神)の庇護を受けた家康、日本一の湖である琵琶湖をも掌握した天下人を連想させるにふさわしい。

そして、羽織の地色である黄金色は、権力者の色である。
もし家康が卯年生まれであるなら、波兎文様羽織は格好のお守りとなったに違いない。

 

【その他参考になるサイト (外部リンク)】

▼謡曲竹生島 歌詞と詳細(the能ドットコム)
http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_027.html

▼番外編:家康うさぎのシール
徳川美術館で「蒔絵シール 家康うさぎ 辻ヶ花染羽織より」として販売されている(通信販売あり)。
http://tokugawa.shop-pro.jp/?pid=60922995

竹生島をめぐる冒険(2) 徳川家康、秀吉の威光を琵琶湖の島に封じ込める―豊国廟唐門の移築

ちょうど今、NHKの大河ドラマ『真田丸』で大坂冬の陣の直前を放送しているが、大坂冬の陣が起きたのは慶長19年 (1614) の冬である。

同じ年の7月には、大坂の陣のきっかけとなった方広寺鐘銘事件が起きている。

豊臣秀吉の死後、家康が豊臣家の財力をなんとか削ごうとして、秀吉の供養と称して秀頼に寺社仏閣への寄進を勧めたのは有名な話だ。秀頼は京都の神社に数々の寄進を行ったので、京の町衆に人気があったという。

実は方広寺鐘銘事件の約10年前、慶長7年~8年(1602-1603)に、秀頼は秀吉の霊廟(豊国廟)の門を琵琶湖に浮かぶ竹生島に寄進している。この門は極楽門(唐門)と呼ばれ、もとは大坂城極楽橋の門だった。現在は国宝に指定されている。

豊国廟は当時、京都の東山にあった。秀頼はなぜ、湖上の島に父親の霊廟の門を移築しなければならなかったのか。

 

豊国廟極楽門(唐門)が竹生島に移築された1603年は、江戸幕府が開かれた年である。竹生島へは秀頼が寄進したとされるが、資料を見る限り、実質的に家康が決めた話のようである。

豊国廟の僧侶だった神龍院梵舜の日記『舜旧記』の中に、慶長7年(1602年)6月11日、「今日ヨリ豊国極楽門、内府(注:内大臣=末期豊臣政権の五大老だった家康)ヨリ竹生嶋へ依寄進、壊始」と出てくるのだ。

関ヶ原の戦いで天下人となった家康の意向を受けて、秀頼は豊国廟を縮小するしかなかった。家康の意向で極楽門(唐門)の寄進は決まっていたのである。

 

豊臣家のシンボル、豊国廟極楽門(唐門)。

当時の京都の人が「豊臣」と聞いて連想したのが、京都の東山にあった豊国廟だったことは想像に難くない。そして、豊国廟のシンボルが極楽門(唐門)だった。豊国廟極楽門はもとは大坂城極楽橋の門で、豊国廟に移築されたと言われている。

大阪城も豊国廟も、豊臣家の栄光のシンボルである。天下人としての徳川家の地位を世の中に示したい家康にとっては、京都にあってもらっては困る門だった。

かといって、武力に訴えて極楽門を壊すわけにもいかない。あくまでも権力が平和裏に豊臣から徳川へ移ったと示す必要があった。それには秀頼が極楽門を、京都の外へ寄進するが望ましい。

そして竹生島は、秀頼の両親にとって特別な島だった。

秀頼の母である淀君(茶々)は、湖北を治めた戦国武将・浅井長政の娘である。そして浅井氏が信仰したのが都久生須麻神社(竹生島神社)だった。竹生島は、山間にある浅井氏の小谷城からもよく見えたという。

ちなみに都久生須麻神社の祭神が、浅井姫命⇒ツクブスマ(女神)⇒弁才天と変遷してきたのは前回書いた通りである。

そして秀頼の父である秀吉が、初めて城持ちとなった地が長浜である。浅井氏滅亡後に小谷から琵琶湖畔へ城下町が移るが、それが長浜だった。竹生島は長浜の管轄下にあった。ちなみに長浜城からも、竹生島はよく見える。

当時の竹生島は、永禄元年(1558年)に大火に遭い、宝厳寺伽藍の復興が待ち望まれていた。秀頼にとって、そして淀君にとっても、竹生島は納得できる移築先だったのだろう。こうして竹生島に移築されたのが、現在の宝厳寺唐門である。

 

Wikipedia(宝厳寺)によれば、唐門と同時に竹生島へ寄進されたのが、「渡廊、観音堂、ならびに弁才天社(現・都久夫須麻神社本殿)」で、「都久夫須麻神社本殿は豊国廟あるいは伏見城の日暮御殿を移築したものとされる」とある。渡廊、観音堂、都久夫須麻神社本殿はすべて重要文化財となっている。

渡廊は宝厳寺観音堂と都久夫須麻神社を結ぶ屋根付廊下で、宝厳寺ホームページによれば「朝鮮出兵のおりに秀吉公のご座船として作られた日本丸の船櫓(ふなやぐら)を利用して作られた」ことから「舟廊下」の名がついたとある。

この寄進に際して、秀頼から宝厳寺の普請奉行を命じられたのが、秀吉の家臣で秀頼の後見役である片桐且元だった。宝厳寺の境内には、樹齢約400年という片桐且元お手植えのモチの木が残っている。

大坂城と豊国廟を思い起こす唐門を湖上の島に封じ込めてしまうことで、豊臣家の威光を平和裏に隠したい家康の目的は達成された。

その後家康は、豊臣家のシンボルを徹底的に破壊した。豊国廟も、大阪城(大坂城)も、当時の姿をとどめてはいない。

しかし、竹生島が湖上の島だったことで、唐門は破壊されずに済んだ。秀吉が建てた大坂城は、奇しくも竹生島に移した唐門だけが残ったのである。

竹生島に託した秀頼の決断は、間違ってはいなかったのだろう。唐門は後世に伝えられ、2016年現在、平成の大修理の真っ最中である。外観が撮影できないため、唐門の扉に刻まれた牡丹の彫刻をご紹介しておきます。

後日談:豊国廟の夢の跡。

豊国廟があったのは京都の東山(現在の京都市東山区)で、ちょうど清水寺の南側に位置する。豊国廟付近には京都女子大学があり、昨年から何度か付近を訪ねる機会があったにもかかわらず、豊国廟の存在に気がつかなかった。

2016年初夏に竹生島の撮影をした後、筆者の頭の中で「竹生島⇒宝厳寺⇒秀頼の寄進⇒豊国廟」と連想がつくようになったらしく、京都の地図を見て、京都女子大に続く坂道(通称・おんな坂)の先に豊国廟があることに気がついた。

結論から言うと、「おんな坂」は、もともと豊国廟の参道だったのである。「おんな坂」はなんとも不思議な道で、参道の石灯籠は大きくて見事だし、途中で道をふさぐかのように急に新日吉神宮が現われるし、あの道は一体何だろうと気になっていた。

秀吉は西方浄土の考え方に基づいて、西本願寺の東に豊国廟を造ったと言われている。豊国廟-豊国神社-西本願寺は直線状に位置するよう造られている。

しかし、家康の意向によって豊国廟と豊国神社は破棄された。他にも様々な手段で、家康は「豊国廟-豊国神社-西本願寺」のラインそのものを、徹底的に破壊したという考察がある。

この話を図解と写真入りで分かりやすく解説されている方がおられたので、リンクを貼っておきます。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kazu_san/hyaku_taiko.htm

しとぎ祭―菓子と餅の神様を祀る小野神社にて(滋賀県大津市小野)

毎年11月2日に行われている、小野神社のしとぎ祭を撮影させていただきました。撮影ほやほやの写真を、ダイジェストでご紹介します。


写真の女性が神前に供えようとしているのが、「しとぎ」です。藁のツトの中に、お餅の原型と言われる「しとぎ」が入っています。


小野神社の祭神は、お餅の神様とお菓子の神様です。なので、お菓子の献上もあります。ずらっと並んだお供えは、全国のお菓子(銘菓ぞろい)!


ご覧の通り、衣装もとても素晴らしいです。


お茶の献上もありました。


その後は、巫女の方による湯釜の儀式が続きました。


近江神宮の宮司さまによる神事です。


最後に皆さんで拝礼に向かいます。


こちらの緑の衣装も、とても印象的でした。


拝礼から戻って、宮司さまのご挨拶で「しとぎ祭」終了です。


祭儀の後の記念撮影にお邪魔しました。


祭儀の後、人々は注連縄を張り渡した青竹を捧げ持ち、小野地区を北、中、南の順で廻ります。各地点で「しとぎ」を吊り下げて礼拝し、五穀豊穣・天下泰平を祈念します。(文章の出典:しとぎ祭案内板。↑写真↓は小野地区北での様子です。)


小野地区南での、ほほえましいひとこま。これにて、しとぎのお披露目も終了しました。

小野の皆様、和邇の皆様、貴重な機会をありがとうございました!

撮影地:小野神社(滋賀県大津市小野)と小野地区
撮影日時:2016年11月2日10時59分~12時51分

追伸(私信):小野神社で声をかけてくれた和邇の女性の方(ベネチア旅行の話をしてくれた方)、あの後イベントに立ち寄れなくてごめんなさい!15時からの会場が分からなくて帰ってきました。またお会いできればうれしいです。

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※このブログは撮影地域で出会った方々との交流や、撮影地域の豊かな文化をお伝えできればと、撮影者個人で運営しているブログです。文章・画像の無断転載および複製・二次利用行為・営利目的行為はご遠慮下さい。

 

小野神社のご紹介(バックナンバーより再録)

小野周辺史跡案内図

滋賀県大津市小野は、小野妹子、小野篁、小野道風を輩出した小野氏の故郷で、多くの古墳群が見られるところです。当ブログの舞台となっている堅田の近隣でもあります。JRの駅で言うと、南から、堅田(かたた)⇒小野(おの)⇒和邇(わに)です。

小野神社本殿

小野神社小野氏の氏神であるとともに、お餅の神様お菓子の神様を祀っています。本殿前の両脇に、「お餅」の形のお供えがありますね。

お菓子の神様とは、天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)
古事記によれば第五代孝昭天皇の第一皇子で、小野氏の祖であり近江国造の祖です。日本書紀には、大和和邇(わに)の祖であるとも記されています。和邇氏は、大和朝廷成立以前、大阪・京都・奈良・三重・愛知・滋賀一帯をを統治した王族でした。

子孫の小野道風が、菓子業に功績のあった者に匠・司の称号を授与することを勅許されていたことから、小野氏の祖である天足彦国押人命がお菓子の神様として祀られています。

そして、お餅の神様とは、米餅搗大使主命(たがねつきのおおみのみこと)
天足彦国押人命から7代目の子孫にあたる人物で、餅の原形となる「しとぎ」を最初に作り、応神天皇に献上したとの伝承があります。

毎年11月2日に行なわれる「しとぎ祭」では、全国の菓子業界から参拝を受けます。1200年続いているという例祭です。

小野神社の神田

小野神社の神田(写真)で穫れた新穀の餅米を、しとぎ祭の前日から水に浸し、生のまま木臼で搗き固めます。それを藁のツトに包み入れ、納豆のように包んだものが「しとぎ」と呼ばれます。しとぎ祭では、この「しとぎ」が、他の神饌とともに神前に供えられます。

比良の暮雪2(小野氏ゆかりの地と曼陀羅山を歩く~前編:小野神社、小野篁神社、石神古墳群、小野道風神社)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(37)

比良の暮雪3(小野氏ゆかりの地と曼陀羅山を歩く~中編:小野妹子神社(唐臼山古墳)からゼニワラ古墳、曼陀羅山古墳群)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(38)

竹生島をめぐる冒険(1) 2つの都久生須麻神社―弁才天と龍神信仰 

琵琶湖に浮かぶ竹生島。古くから弁才天と龍神を祀って来た信仰の島で、宝厳寺と都久生須麻神社がある。しかし、同名の神社が滋賀県大津市本堅田にあることは、ほとんど知られていない。

本堅田の都久生須麻神社(つくぶすま じんじゃ)境内には、「喜動大弁財天」「竹生島龍神」と刻まれた石(ご神体)がある。そして本殿の祭神は、竹生島同様「弁財天」だという。そんな話を以前書いたことがある。

■JR湖西線・堅田駅⇔浮御堂周辺散歩■56 ~Honkatata/本堅田 068-069

あれから8年経ち、文化財の撮影で各地をめぐった。まるでジグソーパズルのピースを集めるように、竹生島にまつわる意外な話と出合ってきた。というのも、琵琶湖上の島であるがゆえに、歴史のタイムカプセルのように秘められた話が出てくるのだ。

今回は、当時掲載していなかった、本堅田の都久生須麻神社のご神体写真(下記)を紹介するとともに、竹生島をめぐる深い話を書いてみたい。

 

弁才天と龍神を祀る島

竹生島は弁財天と龍神を祀る島で、竹生島の宝厳寺は日本三大弁才天のひとつだ。そして竹生島の都久生須麻神社(別名・竹生島神社)は、明治時代に神仏分離令が出るまで宝厳寺と不可分一体の存在として信仰を守ってきた。

ちなみに両者は舟廊下で結ばれているため、現在訪ねても、どこからが都久生須麻神社でどこまでが宝厳寺なのか、よく分からない。文化的・信仰的な事を考えても、無理に分離する必要はなかったと思う次第。

 

弁才天と龍神は、水の神様

弁才天といえば、音楽・学芸・福徳の神様。近世になると、七福神のなかで紅一点の神様として、財宝神として信仰されるようになる。ただし七福神だと弁財天と書くことが多いようだ。

弁才天は元々ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー(Sarasvatī)で、インドの河神だという。仏教の成立過程で仏教の守護神(天部)として信仰されるようになり、さらに日本では水神と神仏習合して弁才天が数多く祀られるようになった。
(参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/弁才天

他方、龍神は龍宮に住むと伝えられる龍で、やはり水神として祀られている。

3枚目・4枚目↓の写真は竹生島の都久生須麻神社の鳥居で、琵琶湖に向かって建つ姿。ここでは竜神信仰に基づくかわらけ投げが行われている。

 

都久夫須麻神社の祭神とは・・・

都久夫須麻神社の祭神はもともと浅井姫命(あざいひめのみこと)で、これが弁才天と一緒になったのが、竹生島の弁才天信仰の始まりのようだ。

延喜式神名帳には、近江国浅井郡の社として都久夫須麻神社の名があり、祭神は浅井姫命(あざいひめのみこと)とされていた。浅井姫命は、浅井氏の氏神ともいわれ、湖水を支配する神ともいわれるが、平安時代末期頃から、この神は仏教の弁才天(元来はインド起源の河神)と同一視されるようになったようである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/宝厳寺

白洲正子さんの著作『近江山河抄』の中には、竹生島に関して驚くべき記述がある。

祀られているのも、ツクブスマという女神で、あきらかに北国の訛りがある。が、はじめは浅井比咩を祭ったといい、その方が古いように思われる。・・・そして、仏教が入った後、観世音から弁才天へと結びついて行った。・・・浅井比咩がツクブスマとなり、観世音と混淆して弁財天に変身したのが、竹生島の歴史であり、私たちの祖先が経て来た信仰のパターンである。白洲正子『近江山河抄』

つまり、浅井姫命⇒ツクブスマ⇒弁才天と姿を変えながら、琵琶湖の守り神として竹生島に女神が祀られてきたということだろう。浅井郡の地名は、平成の市町村合併で残っていない。しかし、ツクブスマの名は都久生須麻神社として残ったことになる。


 

本堅田の都久生須麻神社

由来に関して手がかりの少ない、本堅田の都久生須麻神社。

しかし、竹生島の都久生須麻神社の名が延喜式神名帳(延長5年(927年)=平安時代の書物)にあるということは、平安時代以降に本堅田の水神として成立したのは確かだろう。

中世の堅田は、大阪の堺のような自治都市を築いたと言われている。その中心は琵琶湖の漁業権と水運だった。漁業権を後押ししたのは、平安時代に堅田に御厨を置いた下鴨神社とも、堅田に湖上関を認めた比叡山延暦寺だとも言われるが、竹生島とのつながりもあったことは十分想像できる。

というのも、竹生島の北側、琵琶湖の北端(賤ヶ岳近くの湖畔)には有漏神社があって、古くは堅田の漁師の信仰を集めたとの記録がある。その近くの阿曽津千軒には、堅田の漁師が阿曽津婆を助けた伝承があって、堅田の漁師だけが阿曽津の竹を守り神として使ったと言う興味深い内容となっている。湖北で何かの特権が堅田の漁師に与えられていたという風に解釈できないだろうか。

陸運の発達した現代では、水辺の神社の痕跡やつながりは、とても見えにくい。本堅田の都久生須麻神社は、竹生島の弁才天と龍神信仰の影響を受けて成立し、そこには琵琶湖の漁業権と水運をめぐる、現代では想像できないような大きな文化圏・経済圏があったに違いない。

琵琶湖畔の秘境、有漏神社と阿曽津千軒。堅田との意外な関係と登山道について

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堅田湖族にぎわい市・2016年秋開催!10/23(日)・11/27(日)10時~15時@滋賀県大津市本堅田/浮御堂周辺

大津北商工会さんからの情報です。
琵琶湖に近い浮御堂周辺で、2016年10月・11月の第4日曜日に「あおぞら市」が開催されます。地域の特産品、各店自慢の商品、農水産品などが販売される予定です。抽選で地域特産品が当たるスタンプラリーも実施予定!お近くの方はぜひどうぞ。

◆日時:2016年10月23日(日)・11月27日(日) 両日とも 9時~15時・小雨決行
◆場所:湖族の郷資料館、浮御堂周辺(滋賀県大津市本堅田1丁目)

※例年この時期に開かれていた「ななまちフリーマーケット」は開催されません。2014年秋より「堅田湖族にぎわい市」となりました。一般の方のフリーマーケット出店募集はありませんので、ご注意下さい。(掲載写真は2009年秋の「ななまちフリーマーケット」です。)

※もよりのバス停は、江若バス・堅田町内循環線「浮御堂前」(JR堅田駅より乗車7分)です。日曜日の朝9時台までは浮御堂前までバスが行きませんので、「堅田出町」をご利用下さい。⇒堅田町内循環線時刻表[PDF]

 

※駐車場は、「堅田観光駐車場」、または「祥瑞寺駐車場」をご利用下さい。
※堅田観光駐車場の所在地:滋賀県大津市本堅田3丁目2
↓東洋紡の前(堅田高校の奥)にあります。かなり広い駐車場です。

※祥瑞寺駐車場の所在地:滋賀県大津市本堅田1丁目27
↓駐車場入り口(地図で印をつけた箇所です):イベント当日は本福寺保育園と祥瑞寺の間の道から駐車場へ入れます。

▼最新情報はこちらでどうぞ!
堅田湖族にぎわい市HP
http://www.shokokai.or.jp/25/nigiwaiichi/

朝日豊年太鼓踊(滋賀県米原市):国選択無形民俗文化財・日本遺産

秋祭りの季節となり、気温もすっかり下がってきました。皆さま、お変わりありませんか。

故郷滋賀の知られざる美しい風景を撮影する旅も、佳境に入ってきました。2013年3月から「近江山河抄の舞台を歩く」というタイトルでスタートし、2014年春からは主にアマナイメージズへの提供とこのブログへの掲載で続けてきています。

この10月9日(日)には、滋賀県米原市にて、朝日豊年太鼓踊(あさひ ほうねん たいこおどり)を撮影してきました。国選択無形民俗文化財、そして日本遺産「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産」(2014年)に指定されている民俗芸能です。

米原市朝日の八幡神社の秋の例祭で、毎年10月上旬の日曜日に行われています。12時40分ごろ、朝日集落の会議所前からお囃子の音がしてきたので行ってみると、一同は円形となり、音頭取を囲んで太鼓踊りが始まりました(「足揃え」)。


13時過ぎ、朝日会議所を出発し、八幡神社へ向かう一行。伊吹山の雄大な姿が背後に見えています。

滋賀県米原市朝日は、伊吹山の山麓に広がる田園地帯です。朝日とその近隣は中世に大原荘と呼ばれた地域で、大原荘の雨乞い踊りは岡神社で行われてきました。

そして、雨が降ったことのお礼として大原荘の村々で踊る「慈雨の返礼踊り」の名残が、この朝日豊年太鼓踊と言われています。


朝日の集落を行く一行。音頭取、笛、鉦、太鼓打ちと続きます。


八幡神社へ向かう一行。背後は伊吹山、道の脇は黄金色の田んぼ。向かいの山は横山城跡で、山麓には伊吹山四ヶ寺のひとつである観音寺があります。山を越えると長浜市石田町(戦国武将・石田三成の故郷)です。


八幡神社の石段を登り、境内へ。境内に飾られた習字は、伊吹高校書道部の皆さんが、前日の宵宮で披露した作品だそうです。


鉦と太鼓は同じ衣装です。菊の造花で飾った菅笠をかぶり、黒襟付きの襦袢の上に緋色の弓小手をつけて、カルサン袴、白足袋にわらじを履きます。

円形、二列縦隊、再び円形となって、14時過ぎまで太鼓踊りの奉納が続きました。


八幡神社の石段を降りると、正面に見事な伊吹山が・・・!
伊吹山麓には、伊吹山をご神体とした神社が各地に見られますが、朝日の八幡神社からの眺めはまた格別でした。

今年の6月には、地元(朝日)の方のご案内で観音寺から横山城跡を経て、長浜市石田町まで歩いて撮影しています。そのときの写真を、最後に関連写真としてご紹介しておきますね。(滋賀の日本遺産等については写真事務所のホームページでご紹介しています。)

資料提供:朝日豊年太鼓踊保存会
撮影・文:Copyright(c)Jun Kanematsu/junphotoworks.com(兼松純写真事務所)

米原市朝日の皆様、ありがとうございました!

 

▼関連写真▼

三成・秀吉出会いの観音寺(滋賀県米原市朝日)

惣持寺(長尾護国寺)と伊吹山寺~早春の滋賀県米原市大久保から(2)

伊吹の荒ぶる神14(円空の仏像彫刻・大平観音堂の十一面観音)~近江山河抄の舞台を歩く(79)

第25回きのこ展開催のお知らせ(2016/10/29(土)・30(日)@京都府立植物園)

筆者が「毒きのこデータベース」の移転を手掛けたご縁で、関西菌類談話会さまから京都で開催される「きのこ展」のポスターをいただきました。

京都市近郊でとれた生きのこの展示のほか、写真パネルや毒きのこの展示などが行われ、きのこを持ち込めば名前調べ(同定)もしていただけるそうです。

会場ではきのこグッズの販売や、きのこスタンプ・ぬりえコーナーもあるとのことので、ご関心のある方はぜひどうぞ!

会場の京都府立植物園は、広々とした気持ちのいい場所なので、一日のんびり過ごすのもお勧めです。売店のカレーライスがおいしいですよ。きのこ展の頃の京都府立植物園は、ちょうど金木犀の香りがして、空が高くて一番いい頃ですね。

◆日時:2016年10月29日(土)・30(日)9時~17時(最終日は16:15まで)
◆会場:京都府立植物園 植物園会館展示室
◆アクセス:京都駅から市営地下鉄「北山駅」下車3番出口すぐ
◆費用:植物園入園料のみ
◆主催:京都府立植物園、関西菌類談話会

The 25th Mushroom Exhibition at Kyoto Botanical Garden is from October 29 to October 30, 2016, in Kyoto.